アダルトチルドレン 2022/04/13 (水) 8:07 PM
お休み中は天気がとってもいい感じでした。だいぶ男爵芋達は青々とした葉っぱを繁らせている感じです。
冬の間はちょっと縮こまっていましたが大地にしっかりと根を張り、太陽の光を浴びてスクスクと大きくなっている感じです。
日々、様々な方々の回復される姿を拝見しています。回復される方々の共通点があるなと感じます。それは「人生を楽しむようになる」という事かも知れません。
ご来室当初は「生きる」という事は様々な問題を抱え、そしてその葛藤の中で引き起こされた不安材料の中で戦っている事があるかも知れません。
回復と共に興味深いのですが、それまで抱えていた様々な問題が片付いて来て、日常生活が整ってくる感じがあります。自然と問題が片付いてくる。
その要因として「周りの事をあまり考えなくなる」事から、「”私”の幸せ」を中心に選択出来るようになるからかも知れません。
とかく人に気を配ったり「いい人」として存在することは、社会的に適応的な面として捉えられる場合もあるかも知れません。しかし自分を犠牲にしすぎた場合、そこには怒りの問題が反比例して大きくなってしまうのですよね。
常に人が頭の中に居座っている。
すると自分の感覚が感じられなくなってしまうのですよね。
「はて、自分は何を求めいている?」っていう感じに、そこには「周りのニーズを基準」に生き、「自分のニーズ」というものが感じにくくなってしまうのですよね。
幼少期の家族関係の中で「いい子」として存在している場合、周りの幸せのために自分を犠牲にし、周囲の問題を引き受け行動するパターンを引き受けてしまう事があるかも知れません。
家族葛藤を抱えている親の笑顔を見たいから、そのために子供としての存在の自分は、それを基準として行動させられてしまう。そしてそれが家族が喜ぶ事だから、ご自分を犠牲にし生きるパターンが出来上がってしまうのかも知れません。
しかしそれは本来ご自分が求めているものではないので、生きていく上で無理があるかも知れません。
その結果、ご自分の感覚を感じられない、怒りの問題を抱えながら「人を支えるための人生」を生きるという展開となってしまうかも知れません。
そんな「不幸な親を支える優しい子」の役割から離れていくと「”私”が楽しいこと」、「”私”が興味があること」、「”私”が求めていること」のために人生を生きていくことが出来るのです。
心から満たされているから、ストレスをためることなく「本来の力」を発揮していく。するとそれまで葛藤に満ち溢れていた日常生活が、シンプルに整ってくるのですよね。
”私”の幸せのために生きる。
その姿は一番シンプルで整った「本来の姿」なのですよね。
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【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい
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