子育ての悩みや育児ノイローゼ対処方法として以下のような内容を
インターネット上でよく見つけることがございます。
・頑張りすぎないこと
・素直に人を頼ること
・話を聞いてもらう
・自分の好きなことに時間を費やす
・自分へのご褒美をする
これらを日常のルーティンとして日々実践できれば、子育てには苦しまなくかも知れません。また改めて書き出さなくても大抵の方が知っている対処法かと思います。
ところが、これらを実践しようとすると自分の中に得体の知れない不自然さを感じ、人を頼ることに罪悪感を持ってしまう方がいらっしゃるかも知れません。気がつくと自分のためどころか子どものために100%の時間を費やして1日が終わり、子育てに頑張った結果、ストレスを蓄積してしまいます。
一方、保育園、幼稚園,子育て支援の職員、ママ友からのアドバイスや子育てに関する情報交換、夫のヘルプ、子育て給付金、補助金やサービスなど、精神面や経済面での様々なサービスを十分活用してみても子育てに不安や怒りを感じたり、世間一般にいわれているほど子育てを楽しいと感じられない。
「そんな私の子育ては間違っているのでは?」と常にほかのお母さんの子育てと自分を比較したり、「これではいけない」と子育てで100点を取らなければという気持ちから解放されず、怒りの感情が高まり、子育てが苦しくなってしまわれているかも知れません。
以下のような心の声があなたの体の中で聞こえてはいないでしょうか。
①常に良い結果をださなければならない
②好き嫌いを問わず何でもできる自分こそ価値がある
③人に相談するくらいなら自分で答えを出したい
④挑戦的でなくなると空虚に感じる
⑤人に対して誠実で礼儀正しいことを重要と考えて、自分を後回しにしてしまう
⑥人に対して適当、あいまい、いい加減は許されない
⑦忍耐こそ価値がある
⑧ある目標が達成されると空しさを感じる
⑨他人を頼る前にもう少し頑張ってみたい
⑩自分を許してくれる人はいないと思っている
⑪人のために協力できるのであれば自分を活用してほしい
皆さんは①から⑪でどのような人を思い描くでしょうか。
非常にアグレッシブで独立心と誠実さを兼ね備えた選ばれた人格者、ストイックで献身的で知性ある完璧主義の人、頑張りすぎの人、素直に人を頼ることができない人などが浮かんできます。
元々、能力の高い方は「本来の自分」が許せません。自分を許す基準が世間一般(他者)に評価されるという承認欲求であることが多く、他人指向となってしまい、いつまでも「本来のご自分」と出逢うことが難しくなるかも知れません。常に「他者から見た自分」を気にされてしまうかも知れません。他者のために何かをしてあげることが自分のためでもあるという、世間が認める「良いこと」や「正しさ」のカラクリに巻き込まれていたりします。
子育ての場合ですと、わが子との関係の中であらわれていたりします
①から⑪の項目の「他人」や「人」という部分を、「母親」又は「父親」に置き換えてみてください。
①常に良い結果をださなければならない
②好き嫌いを問わず何でもできる自分こそ価値がある
③人に相談するくらいなら自分で答えを出したい
④挑戦的でなくなると空虚に感じる
⑤人に対して誠実で礼儀正しいことを重要と考えて、自分を後回しにしてしまう
⑥人に対して適当、あいまい、いい加減は許されない
⑦忍耐こそ価値がある
⑧ある目標が達成されると空しさを感じる
⑨他人を頼る前にもう少し頑張ってみたい
⑩自分を許してくれる人はいないと思っている
⑪人のために協力できるのであれば自分を活用してほしい
親の期待に応えられない”私”はいつか親が認めてくれる日を夢見て、「完璧主義でなければならない」とご自分を追いやってしまうかも知れません。「99点は駄目、100点でなければダメです」というメッセージの背後には、親からのネグレクトや怒り、虐待によるトラウマ体験の記憶が隠れているかも知れません。
親の期待に応え続けて来た”私”は、気がつくと「親の着ぐるみ」を着てわが子に同様に対応してしまう事は良くある事です。こうして上の世代からの影響が世代間を通じて引き継がれまうのです。
親の期待に応え続け戦ってこられて来たご自分を書き換える作業が、心理カウンセリングの面談の中心課題となって行くかも知れません。その書き換え作業は、親ではなく「自分の期待に応えられる”私”」を発見することかもしれません。
未だ「本来の自分」を発見していない方は、自分の才能に気づいていなかったり、「世間一般の楽しい」は知っていても「”私”が楽しい」という感覚を失っていらっしゃるかも知れません。そして道徳や正義感、誠実さ、礼儀正しさの心の装置によって、ご自分を中心として生きる事が難しくなっているかも知れません。
親と子の生育環境によって形成される「愛着」は、子育てに与える影響が遺伝的因子よりも強いと言われています。「愛着」とは、生物が特定の養育者に寄り添い、くっ付こうとする近接行動のことです。
カルガモの赤ちゃんがお母さんの後を追う「後追い行動」を思い浮かべてください。人間の乳幼児期にもこれと同様の行動が存在します。「愛着」は子どもが社会性をもって心理的に安定して発達するために不可欠なものです。
言い換えますと、子どもがストレスを感じたときに、特別なひとりの養育者(お母さん)を安全基地としながらそこで守られ、深い絆を結ぶことを言います。子どもは守られていることを学習することで「自分は何かあっても安全だよ」と思える場所を心の中に一生涯持ち続けます。
社会生活という集団の中で自分を発揮したり他者を信じたりできる適応力は、安定した安全基地が心の基盤となるためであると言われています。
イギリスの心理学者で精神科医の J.ボウルビーは1950年代にイタリアの孤児院の戦争孤児や乳幼児研究によって、こうした愛着理論を確立しました。
J.ボウルビーの「母性的養育の剥奪( deprivation of maternal care)」は、その後、M.エインズワースによって類型化され、幼児の愛着行動のパターンは「安定型」、「回避型」、「抵抗・両価型」と3つに分類されます。
その後、1980年代にメイン (Main,M.) とソロモン (Solomon,J.) が「混乱型」を付け加え、現在、4つに分類されています。
「安定型」
子どもがストレスを感じたときに親のレスポンスがタイミングよく的確な場合です。親への信頼と安心感があり、親が安全基地として機能しています。親から離れると不安で泣いたりしますが、親が現れるとすぐに安心して泣きやみます。
「回避型」
子どもにとっての安全基地であるべき親が安全基地として機能してません。
子どもは親から離れていても親を求めるストレス反応がありません。親が子どもにレスポンスせず無関心であったり、特別なひとりの養育者を独占できずに複数の養育者にそだてられた子どもに生じます。子どもは自身のストレスを攻撃性や反抗的態度によって表現したりします。
「抵抗・両価型」
子どものストレスに対する親のレスポンスがあったりなかったりしたため、親から分離すると激しく不安なります。親が子どもの前に登場すると、子どもは激しく泣いたり怒ったり、叩くなどの行動をします。安全基地としての親が機能不全なため、子どもは不安定な状態なので、親への愛着行動がいったん始まると、抱き着いてなかなか離れないほど過剰となります。
「混乱型」
本来「安全基地」である親が恐怖を感じさせる存在であるため、子どもは怯えたそぶりを見せます。「回避型」と「抵抗・両価型」の特徴が一緒になったような状態です。虐待をしてしまう親は、親に接近したいけど恐怖を感じるといった葛藤を子どもに残します。子どもの行動パターンは無秩序となり、激しい感情を見せたかと思うと無反応になったりします。
子どもは自分ひとりでは生存できない存在ですので、親に不安を表現して生存を安定させます。それは泣く、笑う、叫ぶなどの表現です。その不安を養育者(母)に伝えます。乳幼児は空腹、体の不快感、排せつ等を言葉では表現できません。体と声を使って、お母さんにそれを伝えます。こうした記憶は、体の奥深くに沈んでゆきます。乳幼児期のこうした身体表現を養育者にキャッチされない状況がつづくと、後年、社会生活に機能不全を生じます。
・頑張りすぎないこと
・素直に人を頼ること
・話を聞いてもらう
・自分の好きなことに時間を費やす
・自分へのご褒美をする
こうした子育てストレス対処法が簡単に実践できない原因には、「回避型」、「抵抗・両価型」、「混乱型」などの不安定な愛着パターンが体に染み込んで、無意識が乳幼児期の頃のストレス反応を再演させている可能性があります。
「安定型」以外のパターンに当てはまると心理的な葛藤を抱えやすくなるため、子育てのトラブルや悩みが発生します。そこには、「安全基地」としての母親というロールモデルがないため、わが子を前にすると自分自身の幼少期の虐待やネグレクトを体ごと思い出し、わが子に怒りや嫉妬、無関心を禁じえず虐待トラウマの再演をしてしまいそうな葛藤にとりつかれる事は良くあります。
それは幼少期にご自分に虐待やネグレクトをしていた「親の着ぐるみ」を着たような状態になってしまうのです。「あの親のようになるまい」と信じ頑張って来られても、幼少期の影響によって「子どもを愛したい、けれども愛せない、子育てが苦しい」という葛藤が否応がなく作られてしまうのです。
厚生労働省の少子化に関する意識調査のPDF「子育ての状況と育児意識」の中で「子育ての楽しさ」についての調査結果が取り上げられています。
この表で見ますと、男女問わずおよそ70%以上の方が、子育ては辛いことより楽しいことのほうが多いと回答しています。そして「子育てのために自分の楽しみは多少我慢するべきだ」という調査でも70~80%の方が、そう思うと回答しています。
この調査からもわかりますように、深い絆で結ばれているわが子を愛おしく思わない親はいる筈がないという大多数の声が聞こえてきます。大多数の声は権力となり、「子育てがつらい」、「虐待やネグレクトをしてしまう」と悩んでいる養育者の肩身の狭い思いをさせているかもしれません。
「わが子を愛おしい」と思いつつも虐待やネグレクトに執着してしまう母親の苦しみは筆舌尽くしがたいものがあります。けれども世間から「鬼親」などと酷い表現で悪者扱いされてしまいます。
また、子育てを心から喜べず、ママ友たちと話を合わせようと子育てを喜んでいるフリをせざる得ないご自分に絶望や孤独、罪悪感を感じているとしたら、その苦しみは想像を絶するものではないでしょうか。
「子育てが苦しい」などと夫にさえ相談はしづらいものです。「子育て=喜び」は権力であり、多数派の力です。この脅威に怯えるお母さんは葛藤に苦しみ「何とかしなければ、でも人にはこんな相談できない、ああ、100点を取らなければ、、、」と自分を悪人に仕立てあげ、罪悪感を感じながらその代償として他者(わが子、夫、親、世間)への奉仕に明け暮れて、自分を見失い怒りや憎悪を蓄積してしまいます。
「子どもに身につけてほしいこと」の調査では、「礼儀や他人を思いやる心」が高く、 女性70%、男性50%となっています。「自分の意見を伝える」や「創造性」は20%程度となっています。礼儀や思いやりが強調される傾向は、子どもが社会という集団生活の中で協調性を上手に使って、いじめなどに合わないように育ってほしいという親の願いの一端を感じ取ることができますが、まかり間違うと本来の自分を見失い、一生をかけて自分の中に棲みついた怒りや嫉妬心と悪戦苦闘することになりかねません。
お子さんを前にした時のご自分に絶望し、子育てに苦しんでおられるからこそ、その養育者は「誰よりもわが子を愛したい」と思っているのではないでしょうか。
世間に認められる「良い母でなければならない」という苦しみから解放され、ご自分の感覚を取り戻せた時、「私は私でOK」と感じられ楽になられると思います。同時にご自分の幼少期を投影しない「ありのままのわが子」に気づくようになります。
当相談室の心理カウンセリングは、親からの虐待やネグレクトのトラウマについて、短期で効果を期待できるFAP療法を用いご提案させて頂きます。わが子を愛したいけれど愛せない罪悪感と虐待の世代間連鎖からの解放に力を入れております。それは母親としての自分自身、ありのままのわが子も、いずれも愛おしく感じられるでしょう。