コラム 2025/11/22 (土) 11:23 AM
思い描く自己像と自分とが不一致を起こす限り、自己観察や客観性が感情に乱され不安定な限り、ルールや規範にストレスを覚えて逸脱したい欲求にかられる限り、良く生きようと失敗や成功をくりかえす限り、恥ずかしさは私たちのよい教訓となってくれます。
・こんな姿は私ではない
・私だったらこんなことはしない
・どうしてあの時、そんな考えが浮かんだのだろうか
こうした嫌悪きわまる行為をしてしまうことを失敗とよび、その失敗に随伴する感情や生理現象は「恥ずかしい」と表現されます。 恥とはこのように、自己のアイデンティから逸脱した行為や態度、判断をしたときに生まれます。そして記憶となって自分の中に深く刻まれます。
失敗して恥ずかしいという認知から学習の意志が高まり、自我は成長し成熟してゆくでしょう。成熟した自我は、自己の心地よい立ち位置を学習しようとするため安定してゆきます。
年齢を重ねてゆくと、安定した自我は奇抜な判断や突飛な行動などの衝動性が減少してゆくため、若い時のように恥ずかしいという経験に襲われることがなくなります。この部分はとりわけて心の安定となります。
ある種の自尊心は頑固さによって恥ずかしい行為や失敗を嘘で無理にでも揉み消そうとします。 こうした場面がスクープされるニュースは日常茶飯事です。人間の判断や認知は四六時中、失敗すれすれで恥ずかしいという感情の側にいるみたいです。
社会のルールに従って誠実に生きている人々は、公然と嘘をつく人や不正に対して「恥を知れ」と厳しく弾劾します。この場合は、プライドよりも人として恥や罪を受け止めて成長してください、よく生きてください、美しくあってほしいという更生の願いが込められていることもあれば、単に辱めの対象を見つけてそのゴシップをストレス解消にしている場合もあります。
相手に自尊心を傷つけられると、それは「恥ずかしい」ではなく「辱め」と表現されます。 性暴力やイジメ、虐待などの被害を経験しますと「私ははずかしい人間で、汚い存在」という自己像が意識に現れ、「辱めの被害を受けてしまった」という被害記憶が「私は恥ずかしい人間」という罪悪感の表現に書き換えられてしまいます。
辱めの体験や記憶は加害者と被害者という人間関係が自他を混同させ、健康な私のアイデンティティを歪めてしまいます。被害者を自分の記憶から切り離したいという強い思いが逆に被害者を意識させ、無意識の中に常に一緒にいるような状況は、何か汚いものが私の心に住んでいると意識に感じさせますから自己否定感はいよいよ強く意識されます。
私たちは日常生活や社会生活を停止できません。それなのに心はそれを止めたがっているし、嫌がっているとしたらどうでしょうか。
例えば、あの「会社休みたい」という感情のことです。心は葛藤と不安の連続でクタクタになってしまいます。いっそのこと恥ずかしい自分をアイデンティティにしてしまおうと、辱めに対して抵抗できなかった私を無視して、社会に適応するために心にシャッターを下ろすことを選択している状態は、心を解離させます。
解離した心からは「辱め」という被害感情が消えて「恥ずかしい私」だけの自己否定感がアイデンティティとなってゆきます。
自己否定感が私のアイデンティティや自分らしさなんだと無理やりにでも解釈して、意識は必至に自己を受け止めよう、社会に適応しようとします。
社会適応を必死にしているのにも関わらず、例えば仕事でミスが多い、ちょっとしたことでもすぐに「ごめんなさい」と誤ってばかりいる、仕事の説明をされても「はい、わかりました」とメモまでとっているのに、実践では何度も何度も間違えて注意を受ける、けれども、顔の表情は笑顔や真摯な顔を作ることが優先されて、上司からの注意の内容が一向に頭に入ってゆきません。
辱めへの嫌悪を無意識は知っていますから、日常の意識で「恥ずかしい私」を必死に演じてみても、それは錯誤行為と解離を頻発し、やっぱり私はダメな人間という自己否定感を肯定する結果を招きます。
「辱め」は被害であり、社会の至る所であなたに対して恥ずかしさを仕掛けてきます。自分自身の振る舞いに細心の注意を払わなければ、恥の地雷を踏んでしまうと過剰に意識し続けながら日常生活を送ったとしたら、非常に窮屈でストレスフルで人間関係を避けたいと思うでしょう。
辱めに対して「コノヤロー!」という鮮やかな怒りの感情へと変化させるには、イジメ、性被害、虐待などのトラウマ治療が非常に重要になります。もちろん、怒りのコントロールも並行しながら治療は進みます。
心が解離するとトラウマへの感情を中々感じられませんし、多くの被害者はそんなことはトラウマではないと思って生活しています。
トラウマを健康な現実であり、なんら心に問題のないことだと言い聞かせるために解離が必要になるかのようです。この解離がトラウマを再演させます。無理にでも自己否定感と恥ずかしさが本来の私なんだとトラウマを再演させては、「あの辱めはなんでもないことだったんだよね」と、今ここにいる自分に向けて再確認しているケースは多々あります。
解離した意識に現実感は薄いため、トラウマ再演によってその手ごたえを確かめる心理は、罪を犯した人がその現場に現われる心理に類似しています。罪人も犯した罪が現実であってほしくないという思いと不安がわざわざ現場にまで足を運ばせます。もっとも、トラウマ再演者には罪はないのに自分で自分を罪人のように思ってしまうトリックに気がつけていない認知の歪みがあります。
トラウマの意識化はその不快感への心の抵抗が働くため、あの手この手でトラウマから逃げようと、否認、置き換え、投影、反動形成などの自分の防衛機制に気がつけないといよいよ治療は長期化してゆきます。
当相談室では、短期で安全な形で効果を発揮するF A P療法を用いながら、トラウマ治療をご提案させて頂いております。
恥ずかしい感情が突如フラッシュバックすることが頻発しているようでしたら、それは辱めを受けた被害者である傷ついた私を感じられずに、トラウマの再演によって自己否定感をアイデンティティだと思わされている場合もあります。
「またやってしまった!」と、失敗と羞恥心を繰り返して生きづらいと感じているようでしたら、ご相談下さい。
●カウンセリングをご希望の方は、こちらをご確認下さいませ。
●カウンセリングの具体的内容について(はじめての方へ)を掲載致しました。
ご興味のある方はご参照下さいませ。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい。
著書
『甦る魂』はこちらをご参照下さい。
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