コラム 2022/09/17 (土) 12:22 PM
「こんな自分はダメだ」という心理には、理想像があるからかも知れません。その理想像はあなたに好意的でしょうか。その理想像はあなたにとって生きる喜び、夢や希望になっているでしょうか。 あなたを元気にしてくれるものでしょうか。
その理想としての自分を追い求めてみても、一向によい気分にはならず、結果が待てど暮らせど伴わず無駄な労力に明け暮れてはいないでしょうか。おまけに自分にイライラや怒りさえも感じる。けれどもその理想像を手放せない。しがみつきます。そして心の表面で、以下のような声で自分を責めていないでしょうか。
「あの時、予測しておけば、みんなはこんな目に会わなかったはず」
「自分は悪い星の下に生まれた」
「私は貧乏くじばかり引く」
「私が関わった案件だからミスが起きてしまった」
「私のせいであの人が怒られるのかもしれない」
「親にトラブルが多いのは私がダメだからだ」
「私まで誘いを断ったら、あの人は独りぼっちになってしまう」
「いくらやっても、どうして私はダメなんだろう?」
この理想の自分は自分の中に定住しているかも知れません。いつも一緒なので、顔なじみの人たちに感じるような独特の安心感が伴います。なかなか手放せません。居心地の悪さと居心地のよさが同居しています。関係を断ち切れない「腐れ縁」という下世話な表現が当てはまります。
つまり、心労ばかりで自分に喜びを与えないその理想像は、自分の居場所となり、存在証明となり、それによって人間関係のバランスを保持しようとします。馬鹿にされても、辱めを受けても、損をしても、脅されても、恐怖を与えられても、そこに定住します。
・空虚な自分よりはまだこの方がよい
・役割もなく放り出されたら自分は消えてしまう
・こんな自虐な私はみんなから喜ばれたり、みんなから励まされたりしている
・けれども、、、何かが釈然としません。
理想像の釈然としない部分を自己否定の人は否定したり、改善したりはしません。再びその不可解な理想をどうにかしようと追い求めます。こうした完璧主義がやめられず、人生を浪費させてしまうかも知れません。
自己否定の人たちは、その完璧主義によって自分を研こうしますから自己観察や自己分析は、ある種得意といえるかも知れません。
自分の内面の反省に多くの時間を費やすため、動作性知能よりも言語性知能が高い傾向があると言えます。 動作性IQとは 、簡単に言いますと百聞は一見に如かず、見て覚えることが得意な知能です。
言語性IQとは 言葉を使う能力のことです。自己否定の人たちの内面との対話はネガティブな心理に向かうための道具として言葉を多用します。「こんな自分はダメ」を何度も繰り返し、理想の自分へ近づこうと試みます。時にはそれが,アートや思想の世界で脚光を浴びたりするでしょう。
ドストエフスキーの作品『地下生活者の手記』の主人公の自己否定や自暴自棄、社会の中の自己分析力は19世紀末の自我のあり方を大きく変え、人間の主体性への価値を開花させ20世紀には実存主義へと発展してゆきました。
自己否定感の強い人の認知習慣は、否定的な側面にばかり力を注いでしまうかも知れません。 そのネガティブな認知習慣は心の中で権力を握り、あなたを支配下に置きます。
みんなが持ちえないだろう物の見方や発想力などのクリエイティブな能力を、外の世界ではなく自分の内面にばかり向けて活動させています。自分を評価するのは自分だけです。他者からの実際の評価の声には耳を塞ぎます。
他者と共存する社会の中の自分よりも、内面で自分自身と対話する声や実像とは異なる他者を妄想することの方に力は注がれます。その目的は、外の世界で他者から否定されないためには自分が先手を打って自分を否定することです。
他者から否定、非難、ダメ出しされるよりも、この方がずっと安心できて、掻きみだされないからです。このように、自己否定の人たちは、常に安心感に飢えています。
自己否定の人の特徴は以下のようにまとめられます。
・自信が持てない
・安心感に常に飢えている(不安定)
・自己の内面とのネガティブな対話癖
・他者から見た自分は非難されたり酷評を浴びせられたりされてはならないという先手打ち対策
・その先手打ちに捧げる完璧主義
つまり、一言でいいますと、自己否定感は、他人を中心にした認知習慣がやめられないために発生しているといえます。他者からの評価を基準にして、他人に振り回される、社会に振り回される、軸になる筈の自分が機能しない状態かも知れません。
実際の自分を凍結しているから、「本当の楽しさ」、「本当の安心感」、「本当の嬉しさ」、「喜び」を感じ取れません。すべて他人のものなので、完全な一致は起きません。妄想から思い違いを連発します。「どうして私はダメなの?」と再び完璧主義に陥りますが、やはりその理想像は自分のものではないので、いつまで経っても、あるいは一生かかっても空振りに終始します。
家庭環境は習慣化した自己否定を生む大きな土台です。兄弟姉妹間で自分ばかりが親から不当な扱いを受けていたり、何をやっても親から褒められず、否定ばかりされた体験は、後年、それが本人の役どころと化し、社会に出てからもその役を演じてしまいます。
また、親に依存症や精神疾患、発達障害の問題があり、家族メンバーの役割が機能不全を起こしている場合、常に問題を抱えた家庭環境の中に身を置くことになります。「母が病気なのは自分がしっかりしないからだ」、「父の会社がうまくいかないのは自分がバカだからだ」という信念は、子ともが子どもの役割を捨てて親の役を背負い込むことになります。
子どもは親を選べません。多くの子どもは親からの虐待を虐待と思わずに、自分がダメなんだと自己否定をすることで家庭に自分の居場所を作ろうとします。アダルトチルドレンと呼ばれる人たちは、自己否定を自分の居場所と信じ込まされています。
本来の自分を見せずに指示どおりに従えば、親からの自己否定は回避できるという行動の条件付けを、子どもは学習します。けれども自分に嘘はつけません。感覚を麻痺させる以外方法はありませんから、自己を解離して自分の居場所を作ります。本来の自己は迷宮をさまようことになります。
HSP傾向の人は、およそ人口の20%(5人に1人)いるといわれています。 HSPの方には、他者への共感性の深さ、危険や恐怖を素早く察知する予知能力や気づきの速さ、芸術への深い理解と感受性などの高い能力があります。
しかし、その共感性が禍して 他者は「敏感すぎる、細かい、丁寧すぎる」などとネガティブな傾向にとらえるため、HSPの方は健全な自己肯定感を持つことができず、自己否定感が付いて回り生きづらさを感じてしまうかも知れません。
習慣化した虐待、繰り返される暴言、罵倒、ネグレクトなどによって、複雑性PTSDを発症していると健全な自己肯定感を持つことができません。また、自分が肯定的で健康である姿を想像すると、何か苦手な食べものを口に含んだ時の拒絶を感じたりします。
あるいは、自分を脱いで逃げ出したくなるような強度の羞恥心に襲われたりするかもしれません。こうしたトラウマの記憶は、あなたを過去の恐怖の状態に引き戻して停滞させます。あなたが現在の自分の状態に気づき、健康で快活な未来を思い描く(この言葉に違和感を覚えませんか)ことを、トラウマはあなたから遠ざけたり妨害したりします。
「自己否定を克服したい!」
この気持ちは、何をきっかけに爽やかかつ能動的に働くようになるのでしょうか。 大抵はネガティブな認知習慣がもたらす安心感によって、「私は自己否定を克服したい」という健康な理想像は封印されています。健康な理想像は簡単には感じられないように仕組まれています。周りを見てください。
たくさんの人の安心感が見えませんか。あなたのおかげで私は楽に生きられる、お願いだから○○さん変わらないで!というみんなの声は、あなたが「自己否定を克服したい!」と主張しだすと、突然目つきが悪くなり、あなたを攻撃してくるように思えてしまうのではないでしょうか。この他者の攻撃や怒り対する恐怖もトラウマが作り出す脅かしの幻想の一つであったりします。
自己否定感から解放されるための方法には、自分の日常会話のネガティブな声を意識して改善しようとする方法は巷にあふれています。
・Lさん:「○○さん、この仕事手伝ってくれてありがとう」
・Vさん:「いや、私が処理した仕事だから、きっとミスとかあるからチェックしてね」
とは言わずに「こちらこそ、いつも助けてくれて感謝してるんです」と感謝を意識して伝えます。 あるいは、今日あった出来事の中で、うれしかったこと、楽しかったことを書き出す日記を書く習慣によって、ネガティブな認知習慣が改善されてゆく場合もあります。
しかし、こうした方法が長続きせず、再び自己否定感の変な居心地の良さが懐かしくなり元の木阿弥になってしまう場合は、過去のトラウマの視点からの治療が不可欠かも知れません。
FAP療法は、共感性をつかさどる脳神経細胞のミラーニューロンを心理カウンセラー自身が活性化することで、過去のトラウマで生じた自己否定感の深層に隠れている恐怖、怒り、おびえなどの感情を心理カウンセラーに転送する心理療法です。これによってトラウマの支配は徐々に緩和され、自己否定感の暗雲で覆われていた心に、すがすがしい青空が見えはじめますと、「本当の私」がここからはじまります。 ご来室をお待ちしております。
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