未分類 2024/04/12 (金) 11:47 AM
親子関係は、アンビバレント(両価的)な関係です。善と悪、義務と欲求、様々な喜怒哀楽やたくさんの矛盾と理不尽、これらが日常の中で混沌としているのが家庭です。
二つの価値観や判断が調和しぶつかりあっても、その根幹にある明るく健康な家族でありたいという願いは揺るぎないものです。誰もがこの安心を求めています。その願いに自信を失うと、不安やストレスが蓄積してゆきますから、どこかで誰かがバランスを取らなければ、この家族関係は崩壊する(生きてゆけない)と判断します。
親が過去のトラウマにより、過度のストレスに晒されて子の養育に適さない場合にこの問題は起こります。問題とは、子が親の役割を担う機能不全家族の問題です。
どんなに酷い家族でも、生きてゆくために家族システムを守らなければという思いを忘れませんから、子は家族のため、親のため、自分の安心のため、明るい家族という幻想のために、知恵を絞り、理不尽に耐え、私が優秀になればすべては解決するという使命感を持たされてしまいます。
こうした過酷な信念は、本当の自分がしてみたかった夢や希望について考える暇を与えません。 「母親の不快な顔が収まらないと、父親の怒りがクールダウンしないと安心できないから、それがおさまってからにしよう」
このような具合に、本当の自分の感覚を後回しにして、四六時中子は親に振り回されます。
親のケンカを仲裁するよりも、今日はゆっくり読書をしていたかった、スポーツで体を動かしたかった、絵を描きたかった、家を出て行きたかった、などなど本来の願望があったはずです。それらを感じ取れなくなるのが能力(今、ここで自分がしたかったこと)の感覚麻痺です。
当相談室コンテンツ ”家族問題:機能不全家族”はこちらから
突然ですが、インターネットから「二代目社長」という言葉を検索してみますと、酷い書かれ方をされています。二代目は無能で甘やかされている、努力をしていない、ワンマンなだけのバカ社長などなど。二代目はおおよそ凡人で終わる。二代目は恵まれている。
二代目に知恵など必要ない。先代が何とかしてくれる。世間では二代目に対してのこうした思い込みやイメージが暴走気味に独り歩きをしていないでしょうか。また、この思い込みに適応するかのように、二代目はそのキャラクターを演じてしまうのが人間の相互作用の不思議なところです。
われわれ世間は、二代目が胡坐を「かかされている」ことなど知りません。 一代目の優れていたことが強固で揺るぎないものに思えるのは、実は二代目への酷評あってのものであることをわれわれは見失いがちです。
二代目の判断が、ことごとく空振りで酷評に終わる結果を招くと知っているのは家族システムだけです。
社長のポジションにあっても、ちっとも楽しくない。それどころか、ストレス強で何かに嗜癖したくなる傾向があるでしょう。かつて、大手製紙会社の二代目社長がギャンブルに依存して、何十億という会社の資金を浪費した事件はあまりにも有名です。
あの立派な先代社長が築き上げたものが、二代目で台無しになったなどと、我々は安全なところから浅い判断を下していますが、心理カウンセラーの視点で捉えますと、家族関係の問題が恐ろしく重症化した状況に映ります。
ここではわかりやすい例として二代目社長を取り上げましたが、この「操られ行動」の犠牲者は二代目社長に限ったことではありません。ごく一般的な家族の中でも、親の抱えるトラウマ体験が原因で、こうした犠牲者になる息子さんや娘さんがいらっしゃいます。
優秀な先代は自己の願望を合理化して判断します。
「こどもの幸せ、それは自分の遺産を継承することだ」と。こうして二代目社長は先代に利用され「ダメな二代目、立派な先代」と世間で唄われてしまいます。子どもの幸せ殺しです。あるいは、子どもの才能殺しと表現できるでしょうか。
自分よりも子が優れることが許せない心理をもっている親がいます。その多くは、親が、見捨てられ不安や虐待の経験、褒められたことがないというトラウマにより、嫉妬心にすさまじいエネルギーを浪費しています。
「お父さん、俺、絵描きになりたいんだ」
「お前にできるか?やめて大人しく就職しろ」
こうした親子のやり取りは親に否定されても息子は絵の道をめざすかを、父親は確かめたかったなどど美談で語られますが、これは「俺がサラリーマンなのに、息子は絵描きなんて気取ったことをやろうとしてる!」という、単なる親の嫉妬心の場合もあるのです。
能力とは、天才や秀才のことではなく、自分を内省して、「今、この私は何がしたいか」をよくわかっていることです。それは、過去ー現在ー未来という時間の流れが清らかに流れる心の状態ともいえるでしょうか。
「わたしは自分がこうなりたい」
「こうしなければなれない。だから、こうしたい」
この自分の心の声が絶えず明確に聞こえると、心は健康になります。親は子の能力が発揮できてほしいと当然願うものだと思っておられるかもしれませんが、実際の家庭環境は残酷で、子の幸せを妨害している場合がたくさんあります。
「過干渉」や「過保護」の問題はこうしておきますが、親はこの二つを「私がやりすぎていました。明日からはこどもに干渉しすぎません」と宣言しても、容易にできないのがこの問題の厄介なところです。
一方、子どもの方は「私は自分がこうなりたい」がわからないと「わたしは自分にこうしてやる」という自虐性を手段に相手とのふれあいや安心感を得ようとします。子が健康を害すると親をケアする役割から一時解放されて、僅かに居心地がよくなります。摂食障害やリストカット、依存症などの方は、この負のループから抜けられず、「今、私はこうしたい、こうなりたい」という能力(自己)を見失わされている状態のように思えます。
親が持つ見捨てられ不安やトラウマ体験によって、子どもが親の嫉妬心の犠牲になる問題を 改善するには、家族システムを俯瞰する視点が欠かせません。
それがないと、親は「また娘、息子に干渉しすぎてしまった」と悩み、子は「親から離れたい、でも、心配でしょうがない」という葛藤で慢性的なストレスになります。
この葛藤から解放されて、社会生活で自己の能力を十分に発揮させるためにも、心理カウンセリングを活用してみてください。初回面接で、成育歴からトラウマの問題を聴取した上でご自分の自由を拘束する要因について把握させて頂きます。
「今、なぜこのようであるか?」の問いに対する答えが、そこにはあります。
皆様方が、家族の呪縛から自由になれるよう、切磋琢磨致しております。
ご来室をお待ちしております。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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