Home > スタッフブログ新着一覧 > ”私”の自由を追求していく

アダルトチルドレン

”私”の自由を追求していく

アダルトチルドレン   2024/01/19 (金)  10:31 AM

だいぶ冬らしくなって来ました。冬の花達は元気にしていますね。今年はついついと鉢植えで花を作っておりまして、庭には色々な種類の花達がおります。彼らといると「ほ~」って感じで癒されます。

 

日々、様々な方々の回復される姿を拝見しています。心というのは目には見えないけれど、確かにそこにある感じというのが非常に興味深いなと感じております。

 

「自由に生きる」っていう時、色々な要因でそれを拘束されてしまうという事があるなと、感じております。その一つとして「罪悪感」というのがあるかも知れません。

 

「自分自身が自由になって良いんだ、そういう存在なんだ」って事を、この罪悪感を抱えてしまっている事で自由になる事が難しくなってしまうという事があります。

 

この「罪悪感」っていう感覚というのは、ある意味「自分が申し訳ない」って思う気持ちかも知れませんが、親との関係性でいますと「親から裁かれて罪深い人」と裁かれる事で「自分は罪深い申し訳ない存在」ってなってしまっている事が考えられます。

 

本来、罪というものは普通に生きている上では無いはずだけれども、親からその存在を裁かれてしまう事で「自分の存在を肯定的に受け止める事」が難しくなってしまうのかも知れません。

 

その背景にはトラウマの問題も隠れている様に感じます。家族が機能不全家族の様な状況の場合、母親は子供を育てながら父親との葛藤を抱えて生きる展開となってしまう。

 

そこに家庭内暴力やその他問題を抱えてしまっている場合、そこに生まれて来た子供という存在は母親にとっては憎しみの対象となる場合もある様に思います。

 

本来は「子供は生まれて来て何の罪もない存在」だけれども、色々な家族、親の事情によって、本来ない「罪」の感覚が植え付けられてしまう。親にとって子供存在自体が、親自身の自由を奪っていると問題が歪められてしまっている場合もあるかも知れません。

 

大人になってから自由なるというタイミングで、その罪悪感が浮上してしまい、どうしても破壊に転じてしまう、自由を喜べないという状況が起こってしまう事があるかも知れません。

 

自分が生まれて来た事によって「母親を不幸にしてしまった存在」と、本来子供の責任でも何でもない罪を背負わされてしまう。そしてそれによって自由が制限されてしまうのですよね。そんな背景が、自由に生きるのを阻害する要因として考えられたりしますね。

 

一つ一つ、本来必要ではない罪の意識を手放し、その罪は親が抱えていた生きづらさ、親自身が自分の背負った人生に対する不甲斐なさ、憤りや怒りを子供に当てつけている結果だと理解していく。そして本来必要ではない罪を手放してく。

 

そうしていくと次第に目の前の色々な事をそのまま楽しめ、生きる事を肯定しながら自由を求めていける様になるのですよね。

 

心というのは目に見えないけれど、心の目で見てみると、色々な事が見えてくるのだなと思うのでした。

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

 

【執筆者情報】

 大塚  静子

 

資格

  • 臨床心理士(NO:18162)
  • FAP療法上級資格取得

 

所属学会

  • 日本臨床心理学会
  • 日本ブリーフサイコセラピー学会
  • 国際トラウマティックストレス学会
     (International Society for Traumatic Stress Studies)

 

経歴

  • 2005年 アライアント国際大学/カリフォルニア臨床心理大学院 臨床心理学
    修士課程卒業
  • 2005年7月 アルコール依存症専門病院、周愛利田クリニックにて依存症治療に携わる。
  • 2009年7月 アダルト・チルドレン第一人者の斎藤 学先生がやっておられるIFF・CIAP相談室勤務。家族臨床、トラウマ治療について研鑽を積む。
  • 2014年7月 横浜にてカウンセリングルーム・グロース設立。
  • 2015年4月 浦和大学 総合福祉学部 非常勤講師 「心理療法」,「精神保健学」担当

 

研究実績

研究実績はこちらをご参照下さい。

コメントは受け付けていません。

トラックバックURL

https://shizuko-o.com/kanri/wp-trackback.php?p=6565

ページトップへ戻る