コラム 2023/03/30 (木) 1:19 PM
燃え尽き症候群(burnout)は、仕事や学業、スポーツに全力を尽くして消耗してしまう情緒的消耗感によって意欲を喪失したり、社会適応を困難にします。昨日まであんなに頑張っていた人が、突如、出社拒否や練習に来なくなる、勉強に集中できないといった症状が達成感の後に現われてきます。
献身的な自分の行為が期待外れの結果となる、頑張った後の達成感の喜びと祝福はあっという間に終わり虚脱感と無気力に支配されるなどの結果で、躁うつ病などの気分障害にも似た症状をもっているかもしれません。主な症状は以下の3つと言われています。
・情緒的消耗感:全焼して灰になったように情緒は疲弊しています
・脱人格化:人が変わったように、対人関係では人を人と思わない無機質な対応になる
・個人的達成感の低下:人格の変容と共に真逆の方向へ達成感は進みます
「burnout syndrom」という1974年生まれのこの造語は、精神心理学者のハーバート・フロイデンバーガーによって作られました。
その後、燃え尽き症候群研究の嚆矢である社会心理学者クリスティーナ・マスラークが「情緒的消耗感・脱人格化・個人的達成感の低下」を判定する(MBI: Maslach Burnout Inventory)を作成して、その重症度を測ることができますが、重要なことは、なぜその人格が燃え尽き症候群を呼び込んでしまう傾向を持っていたかということではないでしょうか。
ひとつの事を極めたり、集中して何かを達成する行為は、人々に賞賛や尊敬を与えることがあります。卑近な例としては、アスリートと呼ばれる一流スポーツ選手たちがそうでしょう。あるいは、仕事に集中して会社に貢献する勤勉な人、自分を犠牲にして教育や福祉の場で活躍する教師、医師、看護師、介護士さんなどもそうでしょう。
これらの人たちに共通することは、スペシャリストとしての質の高い集中力と油断は禁物という緊張感への意識です。この緊張感と集中力を持続しなければならないという感覚が慢性的になっているため、没頭している時は麻痺していることと同じ状態になるかも知れません。
あるいはこの緊張感と集中力が途切れてしまうのではという予感を常に持っているかもしれません。いずれにしても、麻痺と予感の間でこの感覚を言語化したり、意識化したりすることを忘れていたり、回避していることが多くあるのではないでしょうか。
「今はこれに集中しているから、全く次元の違う自分なんてあり得ない」という信念がより一層、集中力と緊張感を持続させます。ストレスは集中と緊張の持続によって形成されます。
休日や休憩時間であっても集中力と緊張感の途切れに不安を感じますから、激務であることが自ずと前提になってゆきます。泳ぐのをやめたら死んでしまう回遊魚のように活動します。これらの人々は、自分から激務環境を形成してゆきます。
そしてそれを手放せません。休みのない世界でゴールを獲得すると、別の次元の自分を考えていなかったことにぶち当たり、途方にくれはじめると、極度の疲労感や抑うつ、無気力などが襲ってきます。
こうした没頭が原因で、心身の極度の疲労により意欲が燃え尽き、人がかわったようになってしまう。とうとう社会適応が困難になり、出社拒否、慢性的なイライラと抑うつ症状、昼夜逆転、アルコールなどへの依存症に移行してゆく場合もあります。人生を悲観しはじめ、うつ病や家庭内のトラブルに至ってしまうこともあります。
集団作業への嫌悪感、集団へのトラウマ、具体的にはスポーツの集団競技などで受けたトラウマが燃え尽き症候群の傾向を強めているのではと思える場合があります。
たとえば自分の犯したミスや失敗によってチームが負け、連帯責任で教師やコーチから他のメンバーも一緒に叱責や暴言、体罰を受けたことを経験すると、ミスをした本人は自分を一層責めて、自分独りで何とかしなければという信念が形成されやすくなるのではないでしょうか。昭和の時代はこれが当たり前でまかり通っていました。
まるで戦時中の学校教育や軍隊のようです。今思いますと、戦後の戦争経験者たちの心のケアを軽視し、経済の発展ばかりに邁進していた結果、彼らのトラウマが世代間連鎖したようにしか思えません。
昭和戦中戦後世代の連帯責任や体罰、暴言は令和の時代でも学校や職場で問題となり、ニュースで報じられていることがあります。前世代の戦争経験がもたらした日本国民の集団的なPTSDのトラウマは、今も集団活動の場で世代を超えて再演されているのではないでしょうか。
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「わかっているのになぜかまたやってしまう、、、、」
このような状態に体も心も支配されているとこのループから出られず、再び繰り返してしまうという経験は誰にでもあります。
「依存症」を「いぞんしょう」と誤読して本来の「いそんしょう」と発音しない。
「重複」を「じゅうふく」と誤読して「ちょうふく」と発音しない。
これら慣用読みと呼ばれる読み方の習慣的な誤りと同じようなことが心に起きて、日常行動を支配されます。自分の力で自分の「したい」がコントロールできない状態かもしれません。
次第にそんな自分に嫌気がさし、疲労と自己否定感は高まってゆきます。このループから抜け出させず、自分独りでひっそりともがき苦しんでしまいます。これが原因で燃え尽き症候群に向かってしまう人たちには以下のような傾向があるかもしれません。
・人に頼ることができず、すべてを自分でやろうとする
・休むことへの拒否や不安がある
・遅れをとってしまうという焦りを常に感じている
・休んで停止すると自分が虚無感に襲われることを何となく知っている
・徹底的にやって身も心も消耗すると、テンションが上がってくる
・眠ることに苛立ちを感じるため、睡眠の質の悪さに気づいていない
・たとえば身体の不調や怪我などで100%能力を発揮できない自分の悪い状態と戦おうとして無茶をする
・他者に怒りの感情を常に感じていることをぼんやり知っている
燃え尽き症候群の人たちは、達成感そのものへの執着があります。それ故に達成感そのものによって高揚することが目的となります。
達成感そのものによって、自分の心が本当に求めているものについて感じたり考えたりする機会を見逃している場合があります。それ故、この達成感そのものへの依存症から解放され、心身の健康を取り戻しはじめますと
「実は自分の心の嫌がることを私はこんなにしていたんだ」という気づきが生まれて劇的な変化と成長が起こるかもしれません。
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多くの燃え尽き症候群の人たちは、自己管理が難しい状況かもしれません。壊れるまで自分を酷使します。そして自分の掲げる目標は現実的でない場合があります。超人でなければならないと自分に言い聞かせてたりします。
みんなが私に期待しているというイメージや思いに支配されている自分を見過ごしているかもしれません(自己愛にはそのような特徴があります)。
自己管理については、知っていても「自己管理」という言葉とその意味までです。従って、多くの燃え尽き症候群の人たちは「自己管理」という「行為」をブロックされている人たちです。
たとえ行為としての自己管理が実践されても、その行為に苛立ちと怒りや空虚を感じるため、多くは三日坊主になってしまいますから、上司に相談することもなく、仕事を分担しようとも思えず、達成感そのものに没頭してしまうでしょう。その姿を見ますと、まさしく現実離れした達成感という行為への依存症のように映ります。
「このままでは自分が壊れてしまう」という気づきは、燃え尽きてようやく生まれます。多くは過労による抑うつや過呼吸、パニック発作などが気づきへのきっかけとなります。
燃え尽き症候群の人たちは燃え尽きても灰になりません。
燃え尽き症候群の人たちは
・集中力が高い
・精力的でパワフル
・行動的で社会性がある
・リーダーとして活躍する
・上位にランクする
などの長所があります。
これらの素質を、本当に自分が求めているものへバランスよく充当できれば、素晴らしい生活が送れる人たちなのです。 この火の鳥は本来の自分を発見するために必ず変貌できる人たちです。
没頭することと達成感そのものへの囚われから解放されたとき、一極集中していたエネルギーは自分の感じている世界全体へと拡がってゆきます。このミクロからマクロへの感受性の広がりが、パフォーマンスを高めます。
あなたのすぐそこにそれはあります。そのことに気がつけないシステムが自分のまわりにはりめぐらされていると、不安や緊張、恐怖に対して知覚過敏が起きやすくなります。
この知覚過敏のレベルを下げ、システムにブロックされている自分に気づきが促されるように、皆様の問題へ真摯に取り組んでおります。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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