未分類 2023/04/22 (土) 9:14 AM
ホームセンターに行きますと、野菜の苗がいっぱい売っていました。内心、植える場所はないからダメダメって思っているのですが、ついつい見てしまうと買ってしまいますね。
茄子の苗を2株購入しました。ちょっと隅っこの方と植木鉢に植えました。
日々、様々な方々の回復される姿を拝見しています。少しずつ着々と力をつけてこられる姿を拝見する時「良かった」って感じます。
そんな回復される姿を思う時、私自身の回復のステップについても振り返る事があります。臨床心理の学校では教育セラピーというカリキュラムがありました。当時から師匠の大嶋先生の教育セラピーを受け続け、今があります。
私自身のセラピーの中で、実際に自分自身が相談をする側に立つことで学ぶ事が非常に多くあります。
かつて父親が虐待をふるい、精神的に未熟な母親をサポートしなければならない環境で育って来ました。その影響からか私自身は「良い子」として子供時代を経て、ある意味トラウマの感覚麻痺を抱えて生きていました。
周りの人の期待と希望に沿って生きる事が、私自身の人生の目的というレールを歩いていました。
だから成人して大人になった時、はたと気がついたのでした。「あれ?自分の人生って?」って思ったのでした。
前に勤務していたアダルトチルドレンの権威の先生は、アダルトチルドレンの問題、幼少期のトラウマの問題は生き方の問題だよねと仰っておられておられました。
当初は「???」って思っていたのですが、当時の私の生き方というのは、世間の価値観、周りの期待や希望に答えるロボットのような感じだと改めて思ったのでした。
だけれどもそのレールから外れる事は、私にとって恐怖に近い感覚があったのでした。
そんなレールから外れ私の感覚というスタンスに立った時、「自分は何を感じ」、「何を求めて」、「どうしたいのか?」という事を表現する言葉そのものを持っていないという事に気がついたのでした。自分を表現する言葉を持たない。
ただただ原家族では「良い子」を演じる。大人になってからは周りの期待にそえる「良い人」をやっている。そんな自分に「あ~自分を表現する言葉を自分は持たないのだな」と衝撃を受けたのでした。
つまり自分にとって、無かった事にしたかったトラウマの出来事を認め、それらを言葉として表現する事に当惑したのでした。
そんな時、師匠は「西洋文学を読むと良いよ」と勧めて下さったのでした。
色々な西洋文学を読み漁り、そして物語に流れる様々な言葉にしがたい感情や情緒をようやく言葉として認知するようになったのでした。
そうした時、初めて無かったことにしたかったトラウマも含めた自分が自分自身につながり、過去から現在に至る一連の出来事が一本の線となり、一貫した自分として生きられるようになった気がします。
親の期待に沿うロボットのような私自身が、自分の心を取り戻し、そして私の感覚で自分の人生を生き始めるという事ができるようになった気がします。
アダルトチルドレンからの回復は、自分を取り戻し、本来の私を生きる事かも知れません。そんな事をフト思ったのでした。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい。
トラックバックURL
https://shizuko-o.com/kanri/wp-trackback.php?p=5774