コラム 2026/02/18 (水) 12:30 PM
考え方や価値観、感じ方が180度変化した経験はあるでしょうか。 あれだけこだわっていたのに、もうどうでもよい。あの頑固さは何だったんだろうか。
しかもそのこだわりのおかげで、誰かとの不和や対立で負けまいと意地になり、相手を受け付けない日々が続き、孤独と生きづらさの方にばかり自分が向かってゆくと知りながら、いよいよそれがやめられないと思っていた自分に、気づきを与えたものは何だったのでしょうか。
きっかけも何もなく、突如ひらめくことはありません。人が成長し変化するのは、その人はきっかけを介して、おや!?と自分を感じ、自分に共鳴し、思考が現実的で未来を見定めたよい選択を実行してゆくからでしょう。それは他者との出逢いから生まれることが多く、人間関係の化学反応である場合がほとんどでしょう。
人間関係の化学反応によって、無意識が徐々に意識化されて(私ってこういう人間だったんだという発見のことです)、あの頑固さや怒り、不安、寂しさ、恐怖、悪い癖などの意味や正体が徐々に見えてきます。こうして謎が解けてあなたは変化、成長します。
それ故に人間の悩みの真骨頂は人間関係ではないでしょうか。人間関係に悩まなければ、そして身体的病もなく過ごせれば、殆どの人は健康にスイスイと生きてゆけるでしょう。
あなたをわずかに変化させたきっかけや気がつくとあなたを成長させたきっかけは過去にあったはずです。思い出せますでしょうか。
自分を楽しめる方法や形式は自分でもわかっている、でもそれが実行できずに今日に至っていると感じる人は多いでしょう。
心の中に変化や成長の欲求はあっても、心の中で停滞してはいないでしょうか。この停滞を具体的な行動に移せずに自分への遠慮と我慢と怯えを重ねることが「悩み」と呼ばれるものなのでしょう。
あなたの人生を変化させ、成長するきっかけになるもの、それは「自分への気づき」です。 人間は自分をよくわかっていません。だから、
「あっ!!わたしはあれが原因でなかなか行動に移せなかったんだ!」という気づきが生まれます。
「汝自身を知れ」というギリシャの格言は正しく、自己への「気づき」のことを語っています。人間は自分のことを知らない生き物です。節度を見失って失敗を招きます。
その証拠に何か自分の事に気がつきますと「あっ!!」と驚きまじりに自分に感激したり、喜んだりします。
この自己への気づきは、世界から楽しみや喜びが消滅しない限り、どんな人間にも必ず与えられています。つまり、自己への気づきとは、喜びや楽しさのきっかけを作るものなのでしょう。
気づきは自分の心と共鳴していないと発見できません。
「わたしはわたしを知らない」という命題から断片的な自分をコンポーネントしてゆく作業は、生きる楽しさや独創性、よく生きようとする意志やパワーを与えるものとなります。ところが、大部分の人が、「私は私のことを一番わかっている」と日常レベルの思考で自分を解釈します。 今一度「私は私のことを一番わかっている」という命題を観察してみてください。
「私は私のことを一番わかっている」という心の声の正体は何でしょうか?
「私は私のことを一番わかっている」という心の声の正体は、日常生活や社会規範、衣食住のための労働、すなわち、ルーティンを形成して反復させたり、安定のフリをするために、この安定のフリをした生きづらさのルーティンを操れる自分は自分の支配者となります。自分が自分の支配者になると、自尊心ばかりが高まって外界が見えなくなります。 そうなると自分への気づきはブロックされてゆきます。
「あなたに何がわかるの!?」という怒り混じりの心の声は、よく生きようとする気づきの声を与えてくれません。
生きづらさを長年続けている人は、安定のフリをしたルーティンや生き方の癖で判断しますから、具体的にこれをやってみたいという願望があっても生きづらさの癖やルーティンを心の型として生きています。
自分の願望がゴールに向かわず、生きづらさや不平不満をもたらすいつもの型に戻ってしまいます。
したがって、誰かにあなたの気づきに該当する部分(問題点)を指摘されても、ピンとこないことが殆どです。
「○○さん、私へのアドバイスありがとう」などと感謝の意を相手に伝えてわかったフリをして、生きづらさという元の鞘に戻ろうとします。
他人の視点でそれを感じて思考することができない部分になっています。客観性が持てません。それどころか、気づき(生きづらさの原因)に該当する部分を指摘されたことで感情的になり、怒りや屈辱感、恨みなどの感情が生まれ、人間関係をトラブルに巻き込む場合もあります。
このように、能力を発揮させない日常の思考のクセは、安定のフリをしてあなたを操っています。
そしてその指令は、過去の養育者との関係で形成された愛着のパターンであることに気がつくと、あるいは、虐待のトラウマの問題が過去の出来事として認識できず未だに現在形として日常生活でフラッシュバックしている
(当人はそれを長年続いているせいかフラッシュバックとは思っていない日常のクセと捉えています)などの問題が考えられるでしょう。
その結果、生きづらさや能力を発揮できない原因を手放せず、それがルーティンとなり、さも安定と安心を与えてくれているように錯覚しています。
怒り、嫉妬、憎しみ、恨み、屈辱感などの感情的発作は、冷静な思考を失います。私と相手という狭い世界しか目に入らなくなります。
怒りを感じながらその怒りを観察することはできません。怒りは主観的で直情的で、それを客観的に分析していたら真の怒りは成り立たないでしょう。
見境なく怒りをまき散らすと後悔や恥ずかしさをもたらします。怒りは罠です。それは気づきの思考を凍結する罠になります。変化や成長をストップさせる罠にもなります。
怒りに飲み込まれず、怒りと長時間過ごさず、その怒りをどのように解釈分析したら私は変化成長できるかなと考えることがとても大切です。
最後に、その怒りはあなたのものではない場合があります。思わぬ人があなたを怒らせることで自己主張をしています。怒りでトラウマを再演させようとします。
心理カウンセリングは日常レベルの思考法を観察する作業です。そのお手伝いをしています。あなた自身が自分自身を感じて共鳴しなければ問題に気づけませんので、それが少しでも早く発見できるように心理カウンセラーは寄り添います。自分が自分の人生を感じ、共鳴し、具体的に行動してゆく、自分の人生を他人が感じ、共鳴し、実行することはできません。
人生は自分が主人公でその責任を自分が引き受ける舞台です。他人に自分の人生を運転させたらどうなってしまうかは、皆さんが一番よくわかっているでしょう。
皆様に気づきが少しでも早く訪れますように向かい合っています。
良い人生を力を合わせて発見してゆきましょう
●カウンセリングをご希望の方は、こちらからご予約頂けます。
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ご興味のある方はご参照下さいませ。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい。
著書
『甦る魂』はこちらをご参照下さい。
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