コラム 2025/06/22 (日) 12:28 PM
児童虐待の中でも教育という具体的な場面で起きてしまう虐待は、教育虐待と呼ばれています。 家庭の中での親による教育虐待、学校の授業や部活動での教師による教育虐待に共通するものは その教育が熱血で過剰で完璧であることに教育者側がとらわれていることです。
命令を完遂する。それが当然で、褒めることはせず、小さな過ちを見つけては 執拗以上に怒りをぶちまけ、暴力や嫌がらせ、暴言を日常的に繰り返しますから、その脅威に子どもは萎縮して、複雑性PTSDなどを発症したまま成人し、生きづらさの問題を抱えているケースは多くあります。
子どもがほぼ完璧に近い結果を98点という答案用紙でしましたとしても、残り2点がどうして取れなかったのかと自信を失わせるような説教をしたり、わずかの間違いで子どもをオドオドさせたり、ひどい場合ですと人権を無視した体罰にまで及び、子どもに自己否定の感情や罪悪感、トラウマを与えていることにその教育者(親、養育者、教師、コーチ、顧問など)は気がつけません。
家庭と言う密室性の高い場所で行われることと、教育、学問、勉強などが、偉いや優秀、尊敬などのイメージが伴いやすい行為であるため、「もしかしたら自分のやり方はおかしいのでは?」という疑問すら抱かない状況を作り、その教育がいつの間にか子どもをコントロールしつづける、単なる権力病に変貌してもまだそれに気がつけません。
・東大をめざす子ども(世間はスゴイとおもうでしょう)
・アスリートをめざす子ども(オリンピック!?もしかして、、、と思うでしょう)
・音楽コンクールで世界をめざす子ども(近所にこんな子がいたなんて、スゴイ!と思うでしょう)
・芸能界をめざす子役(この間のドラマに出てたと騒ぐでしょう)
・伝統芸能を叩きこまれる子ども(一般の子とは雰囲気が違うと思われるでしょう)
教育が育むものが、子どもの心身の健康な成長ではなく、好印象やあこがれのイメージを育んでしまうという本末転倒が起きる点で、教育というイメージはキラキラしていますし、正しいことをしているというイメージもあります。
この点がモラルというイメージと似ていることからモラルハラスメントと同じミノをかぶっているように見受けられます。
これらの見えないミノによって、教育虐待は幼少期から成人になるまで長期化してしまうように感じます。
子ども自身が好きでその道を選んでいえば、間違いなく楽しさが勝手について来るでしょうが、 親の願望によって期待をかけられたら、子どもの表情から楽しさが消えてゆくでしょう。親や教師が子どもの飽き飽きした浮かない表情を読み取れるだけで、このつまらないレールの上をこの子には歩かせるのはやめようという判断が働くでしょうが、権力病に罹ってしまいますと 「何度間違えるんだ!」「また98点か、お前はバカだ!」「言うとおりに出来ても次があるのだから油断はするな!」「親をがっかりさせることだけがお前は得意だ!」
「今日は80点!?」「朝まで食事なしで勉強しなさい!」「70点だとどうなるか、わかってんだろうな? 歯を食いしばれ」 、 こんなセリフを子どもに吐く自分の反人道的な態度や言動は、教育のミノを取れば反社会的な人たちとさほど変わらないことにすら気がつけなくなっています。
これが権力病の恐ろしいところです。
教育虐待にかかわらず、虐待行為をしてしまう方の過去には、必ず自分がそうされてきたという虐待の連鎖がありますが、虐待の記憶を封印していないと、社会生活に支障を来すほどの恐怖やパニック、抑うつや緊張、過覚醒が症状として表出してくることがあります。
虐待を繰り返していた親の言うとおりにしていれば、ひとまずは恐怖の親から許しを請うことができるだろうという歪んだ無意識が、子どもへの教育虐待として表現されます。
あなたが子どもを完璧に操作すると、あなたの中の親はあなたに怖い顔を見せないでいてくれます。
未発達の自我は自分を感じられません。未発達な自我は虐待やネグレクトによって凍結します。
他人との関係の中での私が成立していないと、その自我はぼやけて何をしていいのかわからなくなり、不安やイライラ、怒り、抑うつ、空虚感、依存などを呼び込みます。
あるいはトラウマのフラッシュバック回避のために自我をぼやけさせていることもあります。いわゆる、解離の状態です。
人間の親は子どもに以下のように言うのが苦手なのが人間です。
「わたし(親)はあなた(子)ではありません」
この文章に違和感を感じますでしょうか。
わが子は私(親)ではありません 私はあなた(わが子)ではありません
「お母さんはこう思うけど」という差異表現は日常的ですが、上のようなセリフで親子間の会話をしたことがありますでしょうか。
このフレーズは、ほとんど言語化されず心で無意識の声になっていることがあります。 これを声に出して発話すると違和感を覚えませんでしょうか。薄情、冷たい、悲しい、寂しい、裏切った、許しません、罰、罪、こんなイメージがわずかでも浮かんできますと、不安は大きく、自我が別の人間の自我と完全な一致を求めて融合をしようとすることで、不安や怒り、空虚感を埋めようとする傾向は強くなるでしょう。
わたしとわが子は人間であることはほぼ間違いないと思われます。 幼少期にわが子はあなたの模倣をしながら、あなたという親を学ぼうとします。それは生得的な学習反応であり、動物行動学者のローレンツが記した本能的行動です。
しかし、いつまでも、追尾行動を動物の親はさせません。人間のような高次脳機能が動物にはありませんから、エサ取りなどでわが子の自立が認められた途端、その後は一切、わが子を振り向かないのが動物の親です。
しかし、人間はそう簡単ではありません。自我が不安を抱えたまま未発達で、一度も養育者からそのままで安心していいよと表現された記憶がない人は、他者との一致や同一化を求めてさまよいます。たとえそれが、わが子であっても、完璧な私との一致を求めるでしょう。
教育虐待がやめられない人の背景には、自我のこうした不安やトラウマの問題が必ずあります。その不安やトラウマは、得体の知れない自分には感じられませんから、目に映る他者をコントロールし、完璧主義や厳格さを神格化していることに気づくことは非常に難しく、子どもの引きこもりや家庭内暴力、摂食障害によって、気づきへと促され問題を解決するパターンとなります。引きこもりや家庭内暴力などの子どもの反社会的な態度が、家族全体に人生をよく生きることへと導いてくれます。
こどもが親にこう言います。
「俺はオヤジじゃねえし」
「あたしはお母さんじゃない」
先ほどと逆ですが、こう表現すると寂しいかもしれませんが、独立してゆく自我の成長と反抗という何か希望の芽のようなものを感じます。そして、人間の親はこれがとても下手な生き物のようで、いつまでもわが子を不安の目で見つめて、子どもから自信を奪います。
その不安の出どころが、実は親自身の不安で子どもに投影されていることに気がつけないのは、自分の中の無意識の声が聞けない感覚麻痺を継続しないとトラウマ記憶に脅かされるという恐怖を持っていることが原因のひとつでもあります。
当室はスーパーバイザーの大嶋先生がご提唱しているFAP療法によってトラウマの記憶と感情を統合する治療をしております。FAP療法はトラウマ記憶を詳細に語る必要なく、治療を進めていく中での不快感が少ない短期心理療法であり、複雑性PTSDの治療にも有効に作用しております。
治療後、自分の感覚が徐々に成長しはじめると自我が活動を開始し、虐待の連鎖を予防する力や自己を楽しむ力が高まるでしょう。健康な心を謳歌できるためのお力添えができればと思っております。
●カウンセリングの具体的内容について(はじめての方へ)を掲載致しました。
ご興味のある方はご参照下さいませ。
●ご興味のある方はこちらからご予約頂けます。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい
著書
『甦る魂』はこちらをご参照下さい
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