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コラム:心的外傷後成長とは

コラム   2023/03/08 (水)  4:16 PM

心的外傷後成長とは:地獄から帰還する力 

虐待、災害、事故、離婚、死別などの壮絶な経験によって心的外傷を負った人が、逆境を乗り越え、ポジティブな心の変化と共に何物にも換えがたい能力を開花させるダイナミックな心の成長は、心的外傷後成長( Post-traumatic growth:PTG )と呼ばれています。

 

地獄から帰還したという壮絶な経験は、地球上に存在しない誰もが未経験な世界からの帰還と同次元なのではないでしょうか。それ故に、この地獄からの帰還者の能力に多くの人々は圧倒され、パワーを感じ、心的外傷を克服したというその逆転劇に希望や感動を与えられる場合もあります。 

 

当相談室には多くのトラウマの問題を抱え、それでもなおかつ「自由に生きたい」と強く願いご来室されます。その回復のドラマを拝見させて頂く事は、なんとも言えない気持ちになる事があります。

心的外傷後成長とは:成長の停滞とトラウマの支配 

 

自分の成長が停滞するということはどのようなことを言うのでしょうか。 世界を感じたり、考えたり、判断したりする能力が旧態依然として昔のままということです。

 

つまり、過去に停滞してしまうという事です。過去に支配権があって、自分の可能性や自由を過去に牛耳られ、搾取されている心の状態です。

 

周囲の人たちは「もう昔のことでしょ?、楽しく生きないと」などと常套句で助言してくるかもしれませんが、昔のことだと自分ではわかっているのに、なぜか言うことを聞いてくれないから苦しんでいることを周りは理解してくれません。あるいは、解離があるために「その昔のことが原因で私はこんな状態なの?」とご当人にもハッキリわかっていない場合もあるかも知れません。

 

「過去」といいますと、みなさんは「思い出」ということばが浮かんできませんでしょうか。「思い出」という言葉の響きは、現在の自分から自分の人生を俯瞰するとやさしくて広大な懐かしさに抱擁されるようなニュアンスを感じます(古いですが美空ひばりさんの「愛、燦燦」のようなイメージでしょうか)。

 

ところが、過去に停滞せざるを得ないトラウマを抱えた人達にとって、過去とは恐怖と不安によって彩られてしまい、現在と未来を萎縮させてしまう”トラウマ”の過去のことを指します。自分の望む未来像などとても描けません。恐怖への警戒心にほとんどのエネルギーは浪費され、過度の生きづらさが社会生活や人間関係を困難にしてしまうかも知れません。

 

過去の脅威による成長の停滞は、やがて心の問題として表現されはじめますと、ようやく「自分をどうにかしなければ」という成長の種から芽が出はじめるかも知れません。

 

このような恐怖の支配する過去は、「トラウマ」と呼ばれています。日常生活で生きづらさを感じるベースには、必ずトラウマの支配があるかも知れません。そして、意外にも、トラウマの発生因は、自分の愛着形成に影響を及ぼした自分の養育者であったりしますから、成長の停滞を感じている人たちは愛情、憎悪、信頼、不信、怒り、優しさ、恐怖、安心、不安、などが統合されずに心の中で散らばり、いわば混乱の渦中で葛藤を感じたり、解離したりすることにエネルギーを浪費しています。 

心的外傷後成長とは:周囲の人たちとの溝 

心的外傷の方は周囲から理解されずに苦しむことがあります。そこには深い溝があります。 心的外傷を受けますと、心が成長したり、変化したりすることを一旦凍結せざるを得なくなります。虐待、暴力などの衝撃的なトラウマの現実を受け入れることは恐怖と拒絶に終始してしまうからです。

 

成長や変化を凍結した心の状態が長期間継続すると、可能性を失ったり、絶望したり、自暴自棄になったり、危険に身をさらしたり、生死をさまよったり、嫌気がさしたり、孤独の中に閉じ込められたり、一時的に良好になったかと思うと、再びフラシュバックの恐怖に脅かされたり、怒りの感情が湧き出たりで、感情や体の感覚が長期にわたってトラウマに妨害されて自分の思いどおりにならないと、疲弊した心は生きる希望を見失ってしまうのも当然かも知れません。

 

こうした心の状態の時、周囲の人たちが封印されている自分のトラウマについて触れようものなら、その負のエネルギーが相手に放射されて、一切の慰めや共感の言葉を失い相手は絶句してしまうことを虐待サバイバーや心的外傷者は知っています。地獄絵図を語れる環境が整うには、相手との強い信頼関係ができるまでまたなければなりません。

 

周囲の人達の「私の共感を言葉で表現しないと」という焦りは、多くの場合、的外れな慰めになってしまうこともあるかも知れません。心的外傷の人たちは相手に「ありがとう」というかもしれませんが、内心は「あなたにはわかりません」と心の中であっさり思いながら孤独を感じしまうかも知れません。

 

このように周囲の人達からの言葉は、善意の自己満足という結果に終わってしまうことがあるかも知れません。本末転倒にも、その善意に気配りをしているアダルトチルドレンもいるかもしれません。この点に注意しつつも、心の援助職の方やボランティア、福祉の方が、善意を身にまとったエゴイズムで相手よりも自分に生き甲斐や喜びを感じてしまっては、元も子もありません。言い換えますと、心的外傷の方は「成長すること」が一筋縄では行かないことをこの溝に感じとることができます。日常レベルの周囲の人達からの慰めや共感は次元そのものが異なるということです。 

 

心的外傷となったトラウマの恐怖体験は、一般化できませんから「わたしにも似たような経験がある」、「それはもう過去のこと」、「あの時は仕方なかったから」などと他者から共感めいた決まり文句や理由付けで対応されることほど、苦しく、孤独で時には怒りすら感じてしまうかもしれません。

 

心的外傷は成長への絶望感ばかりが心を支配します。もう私は変化しない、成長しない、被害者なのに常に罪悪感と自責の念を感じている、生きるに値しないなど、周囲の人達から見ますと、この極端なマイナス思考は不自然かつ不可解に思われますし、「何度励ましてもダメみたいで、、、、」という言葉を言わせてしまうのです。心理カウンセラーはこの日常レベルの助言や共感に常に自分自身へ警告を発しながら、異なるアプローチでクライエントの方の成長のお手伝いをさせていただいております。 

心的外傷後成長とは:「受容」と「成長」 

 成長への前段階は、当たり前すぎますが安心と信頼という土台が非常に大切です。その恐怖体験となったトラウマが過去のもと実感し統合できたとき、時間は現在から未来へと流れはじめます。この時間の流れを獲得するために、安定した信頼関係を構築する場所が心理カウンセリングです。

 

当相談室には多くのトラウマサバイバーの方々がご来室されています。それぞれがそれぞれの”本来の姿”に戻っていかれて自由に生きていかれます。その姿は非常に美しく感じます。

 

彼らの自由になっていかれる姿を拝見する時、「人はどんな事があっても、それを乗り越え自由に生きていけるのだ」というトラウマ治療の可能性を感じます。

 

ご自分の過去を認め、そして一つ一つ手放し、そしてそれをご自分の成長の肥やしにし私らしい花を咲かせる。そんな回復のステップを共に伴走させて頂く事に、この上なく喜びを感じるのでした。

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