コラム 2025/06/11 (水) 4:53 PM
自分の思考や感情をコントロールする力が強いことで、自分は自分をコントロールできると自覚した時に多幸感を感じるのが人間です。例えば、自分をコントロールして、ある目標を達成すると、自ずと自信が湧いてきます。ところがこの管理できる自分を賞賛してくれる他者がいないと、その目標達成までの労力がむなしい我慢のように思えてしまうことがあります。
これは、自分を過剰適応させ、ある具体的なゴールよりも他者からの承認がゴールにすり替わってしまう現象の場合があります。
過剰適応を可能にしてしまうこの自己管理能力は、他者に自分の成功体験や希少体験を話すこと、すなわち、見てもらい聞いてもらうことで、その体験に価値を見出そうとするでしょう。それ故に、自分を発表する場所がないとわかると、抑うつ感や虚無感しか残らず、その埋め合わせに何かに依存する場合もあります。
自分の苦労や努力、我慢の結果を最後は誰かが褒めてくれるという前提ではじめる行動は,人からの承認=快という経験に依存すると、それが日常生活の中でマウンティングとして相手に受け取られてゆく場合があります。それ故、マウンティングは承認の依存であり、人間関係の依存として分類できます。
マウンティング行為にはこのような背景があり、そのままの自分でいることが耐え難く、「わたしのやって来たことは無駄ではないよね?」と相手に承認をもらう行為として働いていることがあります。
たとえば職場でこんな経験はないでしょうか。
Lさんは、仕事では自分の頭で考えることが少なく、上司や同僚に何度も同じことを聞いたり、確認したりする。Lさんは、ミスが発生すると、ミスの原因は指導者がそうしなさいと言ったからやったと他者のせいにします。
自分の頭で考えないLさんは、他者の間違いに敏感で、ミスを見つけると鬼の首を取ったように指摘し注意します。注意された方は、何か釈然とせず、人に聞いてばかりいるくせにLさんはズルい人だと思ってしまいます。
このようなLさんは何らの悪意もなく、また自分が相手に不快感を与えているとは思っていませんが、当事者はLさんがマウンティングして不快だと捉えるでしょう。
マウンティングをする人たちは、間違いと正解、成功と失敗、富裕と貧困などの優劣関係に執着し、この基準よって相手を判定したり、認知したりする傾向があります。この優劣関係の判断や認知から解放されないと、マウンティング行為はおさまらず、その人間関係は争いや誤解が多くなるでしょう。
また、相手にマウンティングしてから随分経過して、「あの時、○○さんに失礼な自慢話をしてしまった、どうしよう」と人間関係のトラウマが羞恥心とともにフラッシュバックして侵入してくることもあります。
マウンティングという言葉が、ここ数年で日常会話に現われる回数が多くなったような気がしますが、どの時代の人間も「自分の方がスゴイ」というマウンティング表現をしてきた筈なのに、なぜ現代ではそれが大きな不快感として映るのでしょうか。この問題は、マウンティングされる側の感じ方に変化が起こってきたと捉えることができます。
マウンティングという言葉は、漫画家の瀧波ユカリとエッセイストの犬山紙子による著書『女は笑顔で殴り合う - マウンティング女子の実態』(2014年)から流行りはじめた言われています。マウンティングには、以下のような言動が該当します。
「~したほうがいいですよ」と親身になっているうようで上から目線で助言を言う
·話す側の高額商品を買った話や成功体験を、自分が買った話にいつの間にかすり替える
·言葉ではなく、正しさや規範を態度で暗にほのめかす行為
·会話の中で気づかぬうちに喋ってしまう自慢話
現代社会の価値観は、自我を尊重し、自分の価値観を大切にして、個性豊かに自己を実現することがよりよく生きることが主流となっています。時に他者からの助言やおせっかいは不快感に代わってしまいますし、「あなたの価値の話をされても、私には興味ない、けれどその話を聴かないと失礼だし、、、、」という葛藤と気づかいが避けられない人間関係と言えるでしょう。
人間の数だけ、その価値観があるのですから当然と言えば当然です。限りなく同じような価値観で集まろうとして、SNSを活用する人が多いのも、この個人同士のストレスから少しでも逃れて、同じ価値観の集団のとぐろに巻かれる幻想を持ちたくなるように思えます。こうした社会背景はマウンティング行為をより一層不快なものに感じさせる原因のひとつではないでしょうか。
会話において、「いつの間にか」だったり「気づかぬうちに」だったりと、うっかりやってしまうのがマウンティング行為の特徴です。すなわち、マウンティングは無意識かつ衝動的に行われることが多く、「気がつくと私は今さっき、自慢話をしてしまった」と意識が確認して、またやってしまったと後悔しては、恥ずかしくなることはないでしょうか。
あるいは、気づかぬほど自分の内省力が低下している場合もあり、「あたしが喋った後、何か雰囲気がわるいような、、、」という気づきすら起きない無自覚な人もいます。
・マウントは無意識の声である。
・マウントは時に行き過ぎた自己肯定感である
・マウントで自分の優位性が明確になります
・マウントは幼児性が強い
・マウントは自分の孤独の声である
・マウントは人々の反感を買う
このような性格を持った『マウンティング』とは、露骨に行き過ぎた自己肯定感と自己愛を表現して、自分の方が優位で「あの人よりも私はスゴイんだよ」を自分から相手に表明することを「マウントを取る」と呼びます。
「○○さん!私はあの人よりもスゴイんだよ」とストレートにマウンティングを表明されると、何故か憎めず「ほんとにスゴイですよ!」と言いたくなってしまうことはないでしょうか。相手の子どもっぽい素直さにかわいらしさを覚えますが、ここにマウンティングの幼児性と愛嬌を感じられる人は、まるでマウンティングする人のお母さんかお父さんのようです。
つまり、マウンティングする人は、退行によって幼児性の伴う自慢話を通じて幼少期の親子関係を修復しているように思えます。自慢話はあまり長時間聞けないのが人間です。しかし、健康な養育者はこどもの自慢話に絶対的な関心を持ち、すべてを受容する無条件の愛を表現できます。それ故、冒頭の○○さん!私はあの人よりもスゴイんだよ」の○○さんとは、目の前にいる聞き役ではなく、お母さんやお父さんといった養育者の面影なのでしょう。
マウンティングがやめられず、気づくといつも、相手と自慢話やパワーゲームをして不快感を与えてしまうと落ち込んだり、恥ずかしくなったりと悩んでいるようでしたら、あなたの見えない苦労や報われなかった努力、誰にも評価されない我慢から解放される方法を選びましょう。なぜならば、これらは他人(養育者)のためのものであって、あなたの喜ぶことではないからです。たとえば、
母親は音楽が好きだった。自分も楽器をはじめた。何年経っても上手くなりません。気がつけば半世紀が過ぎて、貧困のまま音楽が手放せません。この場合は、音楽という主語を「母親」に変えると、その答えが現れます。
こうしたすり替えから解放された時、ほんとうにやってみたことが、あなた自身の感覚と共に蘇るはずです。そのお手伝いをさせていただきます。
●カウンセリングの具体的内容について(はじめての方へ)を掲載致しました。
ご興味のある方はご参照下さいませ。
●ご興味のある方はこちらからご予約頂けます。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい
著書
『甦る魂』はこちらをご参照下さい
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