コラム 2022/11/10 (木) 4:26 PM
「ハラスメント(英: Harassment)」の意味は「嫌がらせ」と訳されています。 嫌がらせ(いやがらせ)とは、相手を不快にさせたり不利益を与えたりするなど、 肉体的・精神的な苦痛を与え、人間としての尊厳を侵害する行為の総称といわれていますが、 ハラスメントされる側に、その「嫌がらせ」を嫌がらせと思わせない状況を作られたらどうなるでしょうか。
・「嫌がらせ」を「愛情」や「喜び」に書き換えてしまう洗脳やマインドコントロールを受ける
・健康に生きるための快不快の判断力と自我機能が低下する
・ハラスメントをする側から、恫喝や暴力、罵倒と根性論を叩きこまれる
・正しいか間違いかという判断すらさせずに、がむしゃらに結果を出すように追い立てられる
ここが「ハラスメント」のほんとうの問題点かも知れません。ハラスメントされる側はよく考えてみると自分には心当たりのない罪悪感から自己肯定感を奪われてゆきます。そしてそのことに早く気がつける安全な環境を整えて、自我の健康に導くことが心理カウンセリングの役割でもあります。
ずいぶん時間がたってから、とある映画監督やテレビプロデューサーから過去に性的な加害を受けたという海外のニュースを見たことがあります。被害を否認せずそのトラウマに気がつける安全な環境を作り、一日も早く自己肯定感を取り戻すことがハラスメント問題の重要な部分かも知れません。
ハラスメント被害を被害と感じられない人は、自我の解離によって成長が停滞している場合があるかも知れません。暴言や暴力、無視、性的被害を問題と思えず、それどころか過去に起きたトラウマを再演して現在の意識に統合しようとします。
それは被害や危険の方向へ自分を投じることになるか、極度に回避して社会生活に悪影響を及ぼします。こうした原因の一つは、家庭環境で過去に起きた慢性的、日常的な虐待経験をもっている場合があります。
トラウマとなった過去はその当時のまま意識に居続け、突然のフラッシュバックによって現在の状況を支配します。過去のほうが優先されて現在を脅かします。このトラウマの再演による過去の統合を優先させるあまり、快不快のセンサーは機能しなくなります。そのため自分にとっての安全な場所や能力を発揮できる環境を感じ取ることもできなくなっています。精神疾患としては複雑性PTSDの問題が考えられます。
複雑性PTSDの診断基準は以下になります。
複雑性 PTSDは最も一般的に、逃れることが困難もしくは不可能な状況で、長期間・反復的に、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事に曝露された後に出現します。(例:拷問、奴隷、集団虐殺、長期間の家庭内暴力、反復的な小児期の性的虐待・身体的虐待)
診断はPTSDの診断(再体験(フラッシュバック)、過覚醒、回避麻痺症状)に加え、以下の様な深刻かつ持続する症状によって特徴付けられる。
上記3つ(1~3) はDSO(Disturbance in self-organization)と呼ばれています。 PTSDの3つの状態とDSOの3つの状態を合わせた合計6つの指標について、WHO(国際保健機関)が定めるICD-11の複雑性PTSDを精査するテスト、ITQ(The International Trauma Questionnaire)によって判定されます。
複雑性PTSD治療はトラウマ記憶の健忘やトラウマの否認という問題が大きな壁となると、トラウマ臨床に向き合っている際に実感致します。複雑性PTSDにまつわる各種論文でも複雑性PTSDはPTSDと比較し治療の難易度が高いという事が報告されています。
おそらくPTSDと比較して治療の難易度が高いというゆえんは、複雑性PTSDのは幼少期に起きたトラウマがゆえに記憶の健忘があるという事が一つ考えられるかもしれません。また児童虐待などのトラウマは、親からの暴力を受けていたという事への「否認」の問題も関係しているかも知れません。
幼少期の健忘記憶とそのトラウマの問題にアプローチするためには、心の無意識の領域にアクセスできる心理療法であることが必要と考えられます。FAP療法はトラウマの健忘や否認の問題に対応できる有効な療法として当相談室では推奨しております。
ハラスメントの心理からかなり脱線しましたが、ハラスメントの犠牲になりながらも、それに気がつけない人たちの問題はもっと重大ではという思いが強く、長くなってしまいました。
人間関係がなければ、ハラスメントは起きません。ハラスメントの構造はいつも集団のかたちをとります。そして特定の人がターゲットになります。ターゲットにされた人は、暴言、不機嫌な顔、、無視、睨む、罵倒、嫌味を言われたり、エスカレートすると暴力や性的いやがらせを受けてしまいます。では、なぜその人はターゲットになってしまったのでしょうか。
・一目置かれる素質
・他者より優秀である
・個性が強い
・場違いな環境
・その人がいると周りが自分のレベルの低さを感じてしまう
・家族の中の役割
・優しそうな感じ
・なんでもお願いできそう
・正義感や正しさ、強い道徳心がある
・容姿が整っている
こうした原因が隠れているかも知れません。
ハラスメントは嫉妬心(他者)と過剰適応(自分)の混ざり合った状態かもしれません。過剰適応の人はAもBもCもできるので、場違いな環境という意識を感じにくくなっています。容姿が整うの場合は、目も鼻も口もスタイルも髪も全部100点でしょうか。
自分の能力よりもレベルの低い環境にいますと、同僚や上司からの嫉妬心によって攻撃を受けます。こんなにできるのに誰も理解しない、誰も認めてくれないという思いがストレスを高め、適応はどんどん落ちてしまいます。
家族の犠牲者として場違いな環境を選択して過剰適応してしまう場合もあります。
家庭環境での役割が「ダメを演じる人」である場合です。「ダメを演じる人」の役割を担うことで家族機能がバランスをたもっている状態です。その「ダメを演じる人」を実践する場所が職場や学校になります。無意識が場違いな環境を選んでいるため当人はそれに気がつきません。評価からは程遠く、自己肯定感を持てず、ハラスメントの犠牲になっていたりします。
ところが家族の中ではこうした「ダメを演じる人」がいますと、その人を励ます役割が生まれて他のメンバーが元気になってゆきます。こうした負の役割を演じるために場違いな環境をいつまでも選んで、いつしかハラスメント被害にあっていたりしますが、その正体は家族内ハラスメントであり、職場や学校は間接的、表面的な場所でしかありません。
また「ダメ」という表現は家族が貼ったレッテルであり、自己肯定感を持てない過酷な状況の中で社会生活を送っている精神は、そのレッテルがはがれた時、巨大な能力を発揮します。いわゆるアダルトチルドレンの自我機能が健康なりますと、未だかつて見たことがなかった能力が必ず喜びとなって表れます。
何もないところから突如としてハラスメント被害がはじまる訳ではありません。 心理学的には異質な能力、高すぎるパフォーマンス、家族からの操作的役割によってこの問題は集団の中で発生する特徴があります。
「勝たなければならない」
「国のためなら命をも惜しまない」
「ある種破れかぶれ、捨て身こそ美しい」
「気合い、根性、精神力」
「優性遺伝か劣性遺伝か」
「村八分、非国民」
「強者か弱者か」
「密告する人と噂をながす人」
民衆が絶対服従のスパルタ社会を形成するには、まず「敵」を必要とします。そして政令によって一方的な結束感を発生させて、人々に一体感を煽り、「私も貧乏、あなたも貧乏、みんな貧乏、勝つまでは」という大義名分によって集団的な暗示が拡大します。
終戦記念日から2022年は戦後77年になります。その77年前には、日本人はこうしたスパルタ共同体の中で、自分自身の判断力を放棄して人権を二の次に、生きてゆくためには理不尽と矛盾と暴力だらけのお上からの命令を遵守し、自由を放棄しなければなりませんでした。かつて日本は、国をあげて目に見える暴力も含めて「ハラスメト」を実践していました。その大義名分は我々は戦争被害者という意識を封じ込めるました。
国家ハラスメントや軍事ハラスメントこそ、ほんとうはハラスメントの原点ではないでしょうか。
戦時中は自分を謳歌することなどできません。常に戦勝をスローガンにした共同体が中心です。その共同体を構成する一部分が自我や自分や私だったのでしょう。それは国家から自分の願望や欲求を監視されることと同じです。それに対して「NO」を言うと、地域社会や国からの制裁や体罰を受けたのが戦中の日本です。
多くの人々の尊い命を犠牲にしてしまうほど、厳しく過酷な時代であったことは、8月15日を「忘れてはいけない」という国民の意識と共存しています。それは「語り継がれる過去」という財産と「忘れられない恐怖の過去」として、我々の記憶に様々なかたちをとって現在に出現します。
これらの抑圧、暴力、いつ死ぬかもしれないという集団的恐怖の記憶が、後年、国民全体から2,3世代先までの集団的トラウマになっていても不思議ではありません。 それは国家へ過剰適応をせざるを得ないなかった環境と呼べます。 このような2,3世代前の記憶が、完全に葬られているとは思えません。
今日、体罰は価値を失っています。体罰は一時的に命令に従わせる効果しか望めず、信頼関係は築けない、教育的効果は望めないという考え方が主流となっています。しかし、前の世代は当たり前のように教師や上司の体罰やハラスメントの渦中で苦い経験をしながら、現代を生きてきています。
「いまの教育は甘すぎる、昔はすぐ殴られた」
「ミスをしても大した説教もされず、今の部下はうらやましい」
昔と今を比較したくなる心理には、きびしい時代を生き抜いたプライドと現代のやさしさへの嫉妬心が共存しているかも知れません。生き抜いた強さが自己肯定感となるのはよいのですが、過去の経験を問答無用に現代に当てはめてしまうと、それは不健康な自己肯定感となって暴走します。すなわち、権力の暴走とその結果としてハラスメント事件が起きてしまうかも知れません。
体罰がまかり通っていた時代を思い返しますと、学校では教師による暴力や暴言が吹き荒れていました。学校規則も非常に厳しく、生徒が髪型やファッションで個性を表現すると教師から目を付けられた時代です。一人の生徒が教師に好ましくない態度を繰り返しただけでも、連帯責任といってクラス全員が罰則や体罰を受けたこともありました。あれは一体何だったのでしょうか。
部活動の熱血指導員は水を飲むな、気合が足りないと目を吊り上げたあの精神は何処が起源なのでしょうか。 そして、西暦2022年の現在はどうでしょうか。
やはり日々のニュースでスポーツ部活動でのアスリートたちへの体罰やセクハラの問題が後を絶ちません。学校に限らず、サービス残業や家父長制度が見え隠れする企業体質、ブラック企業がまかり通り、人権を無視した労働環境とそれに見合わぬ低賃金など、およそ集団でおこなわれる活動には、戦前の記憶とオーバーラップするものを21世紀へ引き継いでしまった感は否めません。それらの構造は、結束力や集団的統制力を取る場合に多く見られる特徴があります。
かつての日本の軍隊と構造が限りなく近くなりはじめると、その暴力やハラスメントが記憶として飛び出すかのようです。体育会系の構造は、うっかりすると軍隊の構造(ハラスメント)に、気がつけば置き換わっているかのようです。
これらは教師や親や経営者が、こうした厳しさや精神論、根性論を掲げるのは、ある種戦中の世代である親の親たちの戦争トラウマを起源に持つ怒りと嫉妬の問題のように思われてなりません。ほんとうの自分の気持ちを押し殺すことを教育され、自己の才能を不本意なところへ捧げる戦中の過剰適応の産物が今も生きているようです。軍事政権下の国民の心は、トラウマの問題を避けては通れない状況に置かれます。
「民主主義や自由、平等など、今さら しらじらしい!」
昭和20年8月15日以降、命をかけて戦ったあの崇高な思いは、敗戦と共に突如価値を失います。失うというより陰に隠れたといった方がよいかもしれません。国家は国民に向けて「今日から皆さん!民主主義です」などと掌を返すように宣言した時、終わったことへの解放感とそこから噴き出す怒りや憎しみはやり場を失ったと察します。国家へ悪態をつきたくなるような国民の思いは、闇市のような不法行為として表れます。
飢えと渇き、危険や恐怖、死別の悲しみばかりの環境に過剰適応していた恨みの記憶は、次世代へ伝承され、教育現場、政界、多くの日本企業、家族環境に少なからず影響を与えてしまいます。
親の親の世代で祖父にあたる人物が軍隊経験を持っていると、その戦争トラウマは次世代に影響力を持つかも知れません。また、戦後間もないころの精神医療やトラウマ治療は、今のような知識やレベルを持ち合わせていませんでした。多くの戦争トラウマは放置されたままだったかも知れません。そして戦中の厳格な精神論を「正しい」と実践し、気づかずにあなたへのモラルハラスメントや虐待行為に及んでいたかもしれません。
・常に「正しさ」を尺度に判断して、自分の欲求を後回しにする
・能力は高いが自分の想いとはかけ離れたところで使用されてしまう
・他人は自分を重宝がることが喜びに思え、執拗以上のことを他人にしてしまう
・執拗以上のことを未だかつて自分にしてあげた記憶はほとんどない
・ここまでやっているのに「自分はダメだ」という信念が常に心に住んでいる
このように、未だ不全感ばかりで自分の能力を活用できない問題を抱えている方の負の信念を改善するために、心理カウンセリングでは、初回面接で家系図(ジェノグラム)を重要視しています。アダルトチルドレンや家族機能不全、複雑性PTSDなどの問題を持つ家族の遠い過去の産物である、恐怖、怒り、嫉妬が、今まさにあなたへ引き継がれようとしているかもしれません。この連鎖を意識して終止符を打つことが、あなたの能力を最大限に引き出せる生き方へあなたを導いてくれる筈です。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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