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コラム:やる気がでない人たち

コラム   2023/08/26 (土)  12:43 PM

やる気がでない人たち:「それは今の私には必要ない」が言えません 

 

やる気が出ないこと。 
これも生きづらさのひとつです。 

 

だらか、「やる気が出なくて、私はなんて生きやすいんだろう」と爽やかに答える人には、「ええぇっ!?」という矛盾を感じます。「やる気がでない自分が今ここにいる」と気がつけたとき、その「やる気が出ない」君は、私たちに「やめましょう」さんを紹介してくれる筈なのですが、せっかく続けたのに投げ出すのはという自分の中の三日坊主に対して、説教をはじめる三日以上坊主があなたをダメ出しして自己肯定感を下げることが目的にすり替わっていることがあるかも知れません。

 

やる気が出なくても生きやすい人たちは、自分のやる気のなさを気にしないからでしょう。つまり、それをすぐに捨てる術を自ずと身に着けているから、「それは今の私には必要ない」と思える断捨離上手です。 

 

では嫌なことまでできてしまう、「それは今の私には必要ない」と自分に言えない心の状態とは何でしょうか。 

やる気が出ない人たち:やりたくなくてもできてしまう「しょうがない」 

 

人間は自分が嫌がることまでできてしまう発達した脳を持っています。それ故に不快な感情が必ず心の中に生まれてきます。この状態は、良い意味でも悪い意味でも、人間が目移りするほどたくさんの可能性の中に放り投げられた状態で地球の上に生存し続けようとしているということです。 

 

良い意味とは、自分の可能性がひとつの能力として地球上で最大限に発揮されている状態です。 

 

悪い意味とは、地球上で器用に何でも出来るのに何故か不全感があり、評価もされない状態です。 

 

色々できるのに地球上のとある社会の中で不全感を覚え、評価や報酬も見合わない、それでいてその中から出られない状態ですと、日常会話ではよくそれこのようにを表現します。 

 

「しょうがないでしょ、嫌でも勉強して働かないと生活できないでしょ」 

 

その「しょうがない」の意味は「ほかに手段や方法がない」や「手に負えない」という意味です。自分自身が手に負えない、いつも同じ悪い結果ばかり、負のループから抜け出せずに長期化しますと、もはや学習して改善しようという力は失われて無力感やもうどうでもいいという思いばかりが大きくなってゆくでしょう。 

 

人間の発達した脳は創意工夫を総動員して、時には依存対象に溺れながら、その嫌なことが耐えられるように、あるいは、その嫌なことがあたかも楽しいことであるかのように自己暗示でその場を乗り切ろうとします。

 

「しょうがない」はこうしたみんなの合言葉になっています。例えばめざすものがあり、お金を溜める手段がそれしかないために、今はその辛い仕事も耐えて「しょうがない」を実践する場合は、やる気が出ない気持ちにも期限が限定されており、その時がくればそのやる気が出ないは完了しますから問題になりません。しかし、 

やる気がでない人たち:快不快の判断が壊れたままの自分という世界 

 

それとは反対に、次から次へと自分の中の可能性を発見してしまう能力の高い人はそれが仇となって、今度は何がしたいのかがわからない状態に陥るかも知れません。こうした「しょうがない」が長引きますと、本当にやってみたいことを見失い、やりたくない不快なことの中で自分の可能性を浪費しますから、あれをやってもダメだった、こっちも中途半端、こちらもやっぱりと不全感がつきまとうでしょうし、疲れは溜まる一方です。 

 

こうして「やる気がでない」という心理は生まれ、今の自分はこのままではつまらない結果になるから、どうにかしなければならないと、色々やってみても改善しない。 

 

ただ悶々と頭の中で自分と対話しているだけで、社会の中に飛び込んで具体的に実践しているわけでもない。たとえ自分に変化球を投げるつもりで何かを社会の中で実践しても、結局何も変わらなかった。ああ、ますますやる気が出ない。なぜ、何もかわらないのか? 

やる気が出ない人たち:相談への拒否感が隠れている 

 

今、「やる気が出ない」という心の状態に、自分は気がついている。自分では答えが出せない。だから他者に相談しようという気持ちに早変わりできれば、改善は早いのですが、わざわざ遠回りしてしまう場合があるかも知れません。

 

人に「徒歩で行く距離ではないよ」と言われても、電車に乗れるお金があるにもかかわらず、おまけに空腹で膝が痛いのに歩いていくようなことをやってしまいます。あるいは、かつて友人あるいは相談機関に相談したことで、自己否定などの陰性感情しか感じなかった経験があったりしますといよいよ自分の中に閉じこもってしまいたくなります。「あなたは今、私に自己否定をされていますね」とは相談相手はあなたに言わないでしょう。

 

自己否定の感情はあなた自身が感じます。その突き落とされる感じの正体までたどり着くことができないと、他者との相談は成立しづらく、自分への気づきにまでたどり着けず、自己の変化も起きないでしょう。こうした相談トラウマの問題点を考慮して、当相談室ではFAP療法を推奨しております。FAP療法は不快な記憶や感情を言語化する暴露療法とは異なり、心理的苦痛の少ない心理療法です。 

 

当相談室ホームページ”FAP療法”はこちら 

 

・快と不快の判断が働かない 

・他人の言葉の意味が自分の中に入ってこない 

・自分の思い込みで何でも判断してしまう 

 

これらの心の状態は、頑なに現状を変えたり、今現在の自分を手放そうとはしません。再び同じことを繰り返し、期待はずれの毎日で「いつか、いつかきっと」と言い続けて5年、10年が経過しているかもしれません。 

やる気が出ない人たち:たくさんの可能性に溺れる万能感 

 

人間に想像力や不安や恐怖や理不尽を感じる感覚がなければ、あるいは宇宙発生の謎がなかったとしたら、「神」は存在しなかったでしょう。それ故に、人間は自分が万能であることにあこがれるのは自然な姿です。 

 

古代から畏れ多い神を崇めまつりながら、実は個々の人間が各々神に近づきたかったことを現代社会は実践しているように思えます。今や一人に一台のスマフォなどの情報端末やSNSの拡散は、人間の可能性を最大限に引き出してくれますし、google検索をかけて、その情報の正しさを追求しなければ(??恐ろしいですね)、自分独りで解決策らしきものが見つかります。

 

気づかないうちに、たくさんの可能性を渡り歩きながら自己愛を肥大させて、万能感のレンガの壁に囲まれている自分に気がつけないと、自分の判断こそがすべて正しいという信念が見えないところで巨大化してゆくでしょう(ホントニ恐ロシイ社会システム)。こうして自分を客観的に観察する力や心の状態を内省する力は閉ざされていることに気がつけないと、 

 

「おかしい、Aさんの喜ぶことをした筈なのに反応が悪い。私は今嫌われている」などと自分勝手な判断が増えてゆくでしょう。Aさんはその日体調が悪いだけなのに、「私はAさんに嫌われた」という誤った判断は、万能感で客観性が機能していない状態です。勝手な思い込みで世界は満たされてしまいます。判断を誤ってしまうたびに、一喜一憂してくたびれます。対人関係は不快になるのも当然かも知れません。

 

絶対の自信が打ち砕かれた時の心境は、絶望しか見えません。万能であることは絶対であることですから、神の資格は剥奪されて奈落に落ちてゆく心境でしょう。 

 

やる気が出ない人たち:可能性に振り回される   

 

今度はやる気をフル稼働できずに苦しみます。苦しむのは自分の中にありとあらゆる可能性が眠っているからでからで、それらに振り回される状態を改善できれば、必ずあなたらしさが生まれます。

 

やる気がでないとは、そんな雑音の事なのではないでしょうか。この雑音のいたずらに対してあなた独自の気づきが持てた時、あなたの能力が開花します。そのお手伝いを心理カウンセリングは担っております。それは如何に客観的に自分を観察できるかにかかっています。カウンセラーとクライエントの共同作業となりますから、一方的な主観や個人的な感情に振り回されると、同じ状況の中を旋回するだけで終わってしまいます。 

 

・何をしたいのか自分でもわからない 

 

・何でもできればすべてが自分の「~したい」に思えてくる 

 

・何でもできるスゴイ自分でなければならない 

 

・いろいろやってみたものの誰も私を評価しない 

 

こうした信念や感情が人間社会では疲労感とやる気が出ないの原因になっていたりします。そして、自分はそんな状況に巻き込まれていることに気がつけないと、無気力を感じてやる気は生まれないでしょう。

 

それでも気力を奮い立たせて頑張りますが、どうやっても思ったほど評価もされません。かつては「~したい」だったものが「~しなければならない」へと置き換わり、その「~しなければ」をやらなければ、「自分はもうおしまいだ」という歪んだ認知に支配されたりもします。 

やる気が出ない人たち:嫉妬と制裁を感じて、やりたいことができない、 

 

「やる気がでない!?それはねぇ、やりたくないことをやっているからだよ」 

正しくそのとおりです。 

 

そんな当たり前なこともわからなくなって、多くの人は自分が思わぬ方向にこんがらがってゆきます。そして多くの人は「自分が楽になる、幸せに近づこうとするとみんなが足を引っ張ろうとする」という不安や恐怖のイメージを知らぬ間に持たされています。 

 

それは「あなただけが楽しもうだなんて、私たちは許さないわよ」という声が社会生活の要所要所で聞こえる仕掛けになっています。 

 

例えば親や先生、上司や友人、先輩などの姿を借りて、「出る杭は打たれるんだから注意しなさい」という無意識から生まれる嫉妬の感情を隠しながら「あなたが幸せになってほしい」「私たち家族なんだから」「兄弟姉妹なのに水くさいよ」「個性を発揮して」「自分を大切にしなきゃつまらないよ」「私も同じ経験があるの」などの味方のフリをしてきます。 

 

この力に圧倒されると、「私の感じていることは間違っているの!?」というこんがらがりが起きます。集団は平然かつ優しい顔であなたを全否定してきますから、あなたのやる気もどこかへ吹っ飛んでしまう結果を招くでしょう。 

 

某学習塾のCMの中で使われていました「やる気スイッチ」という言葉を皆さんはご記憶されておりますでしょうか。塾の講師が子どもたちの背中にあるスイッチをONにすると、超人ロボットのようにその子どもは人知を超えた速さで突っ走って行くCMが5、6年ほど前に放映されていました。「この子をOFFにできるスイッチもあるんだ」と思うとぞっとしたのを覚えています。 

 

では一体、そのスイッチをOFFにしなければならなかった状況は何処に行ってしまったのでしょうか。ほんとうは子どもの進学にたいする親の不安を軽減するためのスイッチでしかないのに、これを子どもの「やる気」とすり替えているとしか思えてしまいます。 

 

OFFになったのは、親の期待に、社会の期待に応えることに子どもが疲弊したからです。 

 

勉強しないと社会はあなたを認めないから、今は自分を押し殺してでもそのやりたいことは後回しにしなくちゃダメよという一般にまかり通っている先輩たちの助言はスイッチをOFFにするきっかけを呼び込みます。そして、自分らしさや自由を感じるセンサーを鈍麻させる原因にもなってゆくでしょう。 

 

自分の思ってもいない状況が過去から現在に渡って進行しているとしたらどうでしょうか。僅かの疑いすら挟んだことのない人に実は幸せを感じると嫉妬されて自己肯定感を失い、罪悪感ばかりを植え付けられているとしたら、やる気は萎縮するでしょう。そしてそれが、仲のよい友人や同僚、尊敬する上司、父や母、夫や妻や兄弟などであったら、その関係システムを再構築することに大きな抵抗が生まれますから、いよいよ身動きが取れずにやる気を失ってゆくでしょう。 

 

過去から今も続いている価値観から解放されたい気持ちはあるものの、解放されることが親や友人などの否定につながってしまい、身動きがとれない。 

 

こうした葛藤を自分の生活システムの中で感じては、やる気が出ない感情に支配されておりましたら、当院までご相談下さいませ。 

 

私は自由でもよい、感じたとおりに動いてもよかったんだ、みんなそんなふうに生きていたんだと気づいてもらえるように、快不快のセンサーが機能するようにお手伝いさせていただきます。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

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