コラム 2025/05/18 (日) 7:40 AM
人を前にすると、今その人がどんなことを考え、何を快適に感じているのかというサービス精神が過剰に働いてしまうことはないでしょうか。そして、このサービス精神があなたのコミュニケーションパターンとなっていて、そのパターンは人と一緒にいて不安を覚えた時に発動されます。
人すなわち不安なので、相手との会話が詰まった沈黙の時に、自分の不安に対して相手から「どうしたの?」と声掛けされないように、ひたすら相手の状態を気にしながら顔色を伺い、気配りと空虚な言葉ばかりの会話を続けては楽しさを演出し、エンターティナーで奉仕することはないでしょうか。
そのサービス精神に掻き立てる原点が、養育者の過去の小言や非難、命令などの虐待トラウマであれば、あなたのサービス精神(あなたの人生)はいつも自分のためでなく、親のために発動しているといえるでしょう。
相手を楽しませる、喜ばせる、快適にするという行動は、一見すると無償の奉仕活動のように見受けられますが、実際は相手に自分の人間不安を見られたくないための代理行動として働いています。
幼少期の愛着形成期のトラウマによって、「他者はみんな、わたしを怒っている」という信念が過去に形成されています。相手への共感性の高い人は、相手を信用することが苦手です。
相手にはあれこれと奉仕して、自他が融合(confleuence)することを無意識にやっています。それ故、相手から自分に奉仕されると非常に不安になります。
相手の行動は、自分の行動ではないからです。 人間を信用することで、怖い思いをした経験がトラウマとなり、このような人間関係が形成されていますが、当人は自我の感覚麻痺によってそのことに気づけていません。
人間不安によって生まれてくる人への共感性の高さに、はじめは多くの人が高評価を与えるかもしれません。しかし、give and takeがない関係に、いつしか相手は不自然さをあなたに感じはじめます。
すると、あなたの無意識は「まずい」と感じ、その関係を長期化させない方へと動いてゆきますから、別れて別の相手探しを繰り返します。
こうしてなんとか自分の不安は守られたので、ひと安心となりますが、何かが物足りないと感じます。
こんな自分は婚活などふさわしくない、けれども結婚への願望もないわけではないしと、葛藤の日々は続きます。
人間不安があるのに感覚麻痺でそれに気づけない人は、相手から支配されやすく、色々尽くしても何も報酬がなく、また、誤った自己像を相手に伝えてしまうため無理がたたり、別居や離婚によって人生のリセットを繰り返す傾向が多くなります。
・人と居て沈黙すると「何か話さなければ」と焦ってしまう
・支配的な相手を「包容力がある」などと表現してはいないでしょうか
・人の喜ぶ顔をみる安心感の裏に、人間恐怖が隠れていないでしょうか
・いつかパートナーは私の期待に応えてくれると頑張ってはいないでしょうか
もしもこの傾向が強ければ、「相手」と「私」という主語を入れ替えて、以下のように心で言ってみましょう。
「私は私の喜ぶ顔がみたい」
何か喜びが浮かんできましたでしょうか。何か感じましたでしょうか。 何も浮かばず真っ暗でしょうか。ではこちらはどうでしょうか。
「わたしは親の喜ぶ顔がみたい」
自分のためには何も浮かばず、相手の好きなものや、喜ぶものを想像する方が簡単できますでしょうか。
サービス精神が旺盛ですと、とても人間受けします。けれども、そのサービス精神を結婚して日常生活の中で毎日演じることが家庭を持つことだとしたら、パートナーとの関係はすべて期待に応えてもらわないと、恨みや憎しみばかりに代わる地獄となってしまいます。
自分を知ってもらおうとして、自分の性格、長所、短所、職業、どれくらいの収入があり、何処に住んで、どんな家族や人間関係を持っているか。今後、どんな生活を望み、人生のゴールや願いは○○でありたいなどを相手に語ります。
今度は相手を理解しようとして、相手の理想としている人生及び価値観について伺いながら話を聴き、このパートナーとならば楽しい生活が待っていると判断して順調に婚活が展開してゆくならば誰も苦労はしないでしょう。
そして年収、ルックス、性格、趣味などでバランスが取れて安定感を覚えると、人はそのパートナーとの結婚を考えやすくなります。もちろん、そこには信頼関係の構築が基盤にあってのことなので、この信頼関係を土台にせずに、ルックスや収入、趣味などの安定だけで結婚してしまうと、後々こんな筈ではなかったと後悔してしまう話は多いのにもかかわらず、人は同じ過ちを繰り返します。
では信頼関係とは何でしょうか。それはお互いの差異を認め、楽しさを分かち合い、苦しみを分担し、協力して家庭が平和で明るい方向へと向かわせる原動力となるものです。
信頼関係がパートナーと構築されるとそのパートナーは誰よりもスペシャルな人に変化します。けれども、そのスペシャルな人にも時に失敗や過ちはあるでしょう。それでも文句を言いながら、相手を見捨てない心を信頼関係はもたらします。
「神のように完璧な人間であなたはいなければならない、わたしのために」という判断を、信頼関係のある夫婦はどこか信用していません。お互いの無意識が、それができないと知っているからでしょうか。所詮、われわれは人間でしかないと。
信頼関係が作られると、こうした心の寛大さが生まれます。この心の寛大さが「期待しない」という幸福と安定への近道です。
もっとも、こうした信頼関係を共有しているカップルは、相手との距離の取り方もよくわかっています。相手にしがみついたり、依存したりする行為は非常に少なく、たとえあったとしてもその割合は少なく、たまに見せる依存やしがみつき行為もお互いの中を深める愛嬌のひとつとして表現されていたりします。
相手に期待しない、しがみつかない、依存しない、これらを言い換えますと、それは「独りでいられる力」を持っているからです。相性が良くても、「相手は私ではない」という私以外の人間であるということを深く理解しているからです。私以外の人間と生活を共にしながら、それを長く持続させる方法のヒントがここに隠れています。
また「独りでいられる力」があれば、パートナーなど意味がないのでは?と思われる方もいらっしゃることでしょう。けれども、独りでいられるにもかかわらず、そのパートナーと暮らしているのは、無条件の愛をぎこちなくてもめざそうとする、信頼の心があるからではないでしょうか。
それは「あなたはいつもそれでいい」という声を発せずとも、家庭空間にその声が聞こえている状態のことです。
家庭環境に恵まれずに、親からこれっぽちも無条件の愛を与えてもらえなかった人は、いわゆるアダルトチルドレンと呼ばれる人たちは、無条件の愛についてよくわかりません。無条件の愛を知らない、感じることができない、無条件の愛に解離症状のような感覚麻痺があるため、人=不安で相手にこれでもかと奉仕します。
無条件の愛を知らないと自分の人生や人間関係に不安定さを与えます。このような人たちは、無条件の愛のない心の空白に、何かを書き込まないと自分は消えてなくなってしまいそうな気持で焦りと不安を持っています。それ故に、大勢に支持される年収、良い人柄、ルックスなどを完璧に磨き上げようとするでしょう。
そして、こうした華やかなものが少しでも崩れてしまうとその不安は高まり、相手に当たり散らしてしまう険悪な争いと反省とのループが日常化して制御が効かず、一体、私たちは二人で暮らしながら何をめざしているのかがわからなくなります。このループが繰り返すがために、無意識はアルコールなどの依存症の問題を持った相手をパートナーに選んでいることがあります。
信頼関係と無条件の愛は、あなた自身が自分の心の声を正確に聴くことができないと見つかりません。自分そのものが得体が知れず、ぼやけていると、たとえば依存対象に没頭し、それがないと不機嫌になり、人に当たり散らし、険悪な関係を長期間続けなければならなくなります。
そして、トラウマによって曖昧だった自己が感覚麻痺からか解放されると、パートナーの一番の理解者である筈のあなたが、実はパートナーの理解者のフリをしていただけだったなどという衝撃的な自分の心の声を聴いて、心の成長がいっきに目まぐるしく展開する場合もあります。
「わたしはわたしが思っていた人間とは全然違う」
トラウマによる感覚麻痺が解けると自分の力に驚かされることでしょう。
「汝自身を知れ」は、相手自身を知ることにもつながります。しかし、トラウマなどで封印凍結した心はそう簡単にあなたの感覚をあなたに感じさせません。
心理カウンセリングはそのお手伝いをさせていただいております。 自分を理解して、相手を理解する。そして互いの尊重しながら適度に距離も置く。 こんな単純なことに気づくだけで、いい出逢いが必ず訪れる筈です。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい
著書
『甦る魂』はこちらをご参照下さい
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