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コラム:共感性疲労の人たち

コラム   2025/01/08 (水)  4:19 PM

共感性疲労の人たち:自分自身に共感できますか 

 

自分にしてあげたいことが他者ですと、どうしていとも簡単にできるのでしょうか。 旅行で何処に行くかも、何を食べたいかも、プレゼント選びも、自分のために選ぼうとするとわからない。 本来の自分がわからないと一番大切な自分自身に共感できません。

 

自分自身の心に聞いたことはありますか?

 

「私の心よ、わたしはどうして自分に共感できないの、、、」 

 

こう尋ねた時のからだの感覚はどうでしょうか。手が冷たい、足が痛い、頭がふらふら、、、、。 複雑な意味を暗々裏に含んだからだの感覚を体験過程理論の提唱者 E.T.ジェンドリン氏は「フェルトセンス」と呼びました。

 

トラウマから解放されると、フェルトセンスは私がどうしたいかを教えます。そして本来の私に共感することが、ほんとうは最優先だったことを発見させてくれるでしょう。

 

心の傷や愛着形成期のトラウマ体験が自分への共感を妨害していると、その共感は自分以外の他者へと向かってゆくでしょう。トラウマの恐怖や脅威があなたの共感を他者に向かわせていないでしょうか。 

共感性疲労の人たち:共感性疲労とは 

「あの人何か苦しそう、、、うぅっ、私も息苦しくなってきた、、、」 

 

五感に他者の情報が飛び込んだ結果、自分の意に反して共感性が過活動してしまう。四六時中、他者の感情が自分のことのように思えてしまったらどうでしょうか。

 

過度に他者への共感や感情移入が続くと、本来の自分はおっぽり出されて、他者の愚痴や泣き言、不平不満、訴え、悲劇などの他者の感情があなたの心に過度のストレスを与えるに違いないでしょう。俗に、相手に振り回されるという状態で、これは「共感性疲労」と呼ばれています。

 

相手の苦しみやストレスを無意識に共感する、テレビやSNSで悲惨な事故や衝撃的な事件映像に共感するなどが原因で、自分のものでないストレスを追体験しているかのように感じていると、バーンアウトやうつ症状、無気力などに陥ってしまうと言われています。 

 

HSP気質PTSD複雑性PTSDアダルトチルドレンの方は共感性疲労を発症しやすい傾向にあるかも知れません。

共感性疲労の人たち:共感性疲労と共感性元気 

 

「共感性疲労」という言葉が示すとおり、心身に疲労を与える共感のことです。 

 

その共感内容は相手のネガティブな感情(愚痴、不満、苦しさ)や衝撃的な事故、事件などがイメージされます。 

 

お互いに推しのアイドルがいて、わたしもあなたもそのアイドルのファンで嬉々とするタイプの、健康で笑顔と元気を与えてくれる共感は、もしも名付けるとしたら「共感性元気」と呼べばよいでしょうか。

 

とは言いましても、「共感性元気」も度を越してしまうと、「熱狂的な○○フリーク」となり、アイドルを裏切った行為をしていないか監視の目が厳しくなったり、罰則を与えたりします。

 

こうして嬉々とした共感も違反者に精神的苦痛や時には暴力行為を加えてカルト化しますから、共感が発端で自由を奪われる場合もあります。度を越した共感、恐るべしです。 

共感性疲労の人たち:共感性って、どんなイメージでしょうか 

 

「共感性」と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか。 

 

私の理解者、やさしい人、いい人、愛情深い、言い当ててくれる人、信頼できる、営業担当のお客様対応マニュアル、優勝して喜びを分かち合うスポーツチーム、援助職の人たち。ある出来事に遭遇してお互いが言葉を交えず顔を見合わせる場面。

 

歩行中に前方から来る人に道を譲ろうとすると向こうも道を譲りとうせんぼしてしまう。 「ええっ!ビックリ!あなたも同じこと考えていたの!?」に代表されるミラクルな場面などでしょうか。 

共感性疲労の人たち:共感性と聞き上手 

 

他者の感情は自分と完全には一致しません。したがって、共感は相手の「限りなくそれが私の感情に近い」を聴き手が真摯に受け止めた心理状態と言う方が正確かも知れません。

 

英語のsomething like(何か~のようなもの)として捉えられます。しかし、相手と私が完全一致したような感激を共感は与えてくれます。

 

「そのとおり!あなたはわたしの気持ちを言い当ててくれた」や「うなずいて黙って聞いてくれた」など、共感は相手の言葉や態度によって自分を発見させてくれたり、心を浄化し電気の走るような反応をからだにさせます。 

 

共感は相手に関心を持ち、受容します。相互に類似した感情を共有しようと努め、信頼関係を築きます。まるでわたしのことのように感じてくれたという共感行為は癒しを与え、本来の自分の発見と成長をもたらしてくれます。

 

しかし、こうした共感の性質を失って、自他が混同してしまうと四六時中あなたの中に他人が泣き言や愚痴をこぼす状態に陥り、望まない共感に支配されて疲弊します。 

共感性疲労の人たち:共感行為への心酔 

 

親に愚痴や不機嫌が多く、その愚痴や不平を親自身の問題として解決できる能力を持っていないと、その子どもは愚痴の聞き役を受け持つ環境の中で愛着を形成してゆくでしょう。

 

言い換えますと、親が子どもに共感してあげる筈の家庭環境が、子どもが親に共感しなければならない環境にすり替わります。本末転倒なこの親子関係は、親が癒されるとその安心感が子にとってのあまり嬉しくない報酬となってゆきます。

 

こうした相手の苦しみへの共感が自分に安心感を与えてくれると学習すると、どうしても他者優先で自他混同のままの人間関係が継続します。無意識に他者へ共感するのが癖となって、他者に自分が振り回されたり、自分が相手を支配したりで疲弊します。 

 

自己愛が強い場合ですと、この種の共感に気分が高揚し、独りよがりに気づけず、共感という行為そのものに心酔している場合があります

(私はあなたの救世主!詳しくはメサイアコンプレックスを参照)。

共感性疲労の人たち:断る罪悪感よりもた助ける好印象を優先 

 

「自分で解決できるよね? 私、今忙しいんです。」 

 

皆さんは堂々とこんなフレーズを相手に伝えられるでしょうか。こんなこと言ったら、○○さんと険悪なムードになってしまわないかなぁ~、、、。 

 

やっぱり「いいよ!それをひとりでやったら大変だよね。わかった。それ手伝うよ」とほんとうはやりたくないのにやってしまいます。こうした経験はないでしょうか。 

 

手伝わないと相手が不機嫌でいつまでも怒っているように感じられます。このように共感性疲労の人は断るのが恐怖です。断る際に、正当な理由(自分は今、忙しい)があるにもかかわらず断れません。断る時に、自分が堂々としていられたら、どんなに楽でしょうか。

 

断る罪悪感よりも手伝う好印象を優先してしまうのです。その行動は反射的で無意識ですから、気がつくとあっちでもこっちでも他人に共感してはヘトヘトになります。 

共感性疲労の人たち:共感性疲労になりやすいタイプ 

 

自分は二の次で他者を優先する人は、殆どが共感性疲労に陥りやすいタイプと言えるかも知れません。 生まれて最初の他者として存在する親はその原点でしょう。親が子どもの成長と自立に協力的か支配的かによって、他者への共感性の価値が左右される筈です。

 

自分の好きなことをすると親が喜んだ経験のある人と、親の好きなことすると安心できた経験のある人とでは、他者との関係性に占める共感性の質や量は断然異なるでしょう。

 

また、こうした幼少期の養育者との間に築かれた愛着形式がトラウマ体験そのものですと、自分がどうしたいのかという自分への共感性を持てず、常に他人への共感で疲弊してゆきます。その典型はアダルトチルドレンの人たちに顕著です。 

 

・自分にふさわしくない役柄を演じなければならない人 

 

・嫌いなものを我慢すると必ずその後に報酬がやってくるを繰り返す人 

 

・自分に無理をすると褒められてきた人 

 

演じる、我慢する、褒められるという三拍子は、本来の自分に向かってゆく思考や感情がありません

 

すべて他者への行動、配慮、評価で物事を感じたり判断しなければなりません。自分への感覚は減少し、他人への共感力ばかりが日常の行動を支配するでしょう。 

共感性疲労の人たち:怒りっぽくてネガティブな発言が多くなる共感の恐るべき側面 

 

相手に共感をしていても、その問題はあなたのもの、こちらはわたしのものという区分けが心の中で明確であれば、他人のネガティブな問題に巻き込まれません。援助職や臨床家はクライエントとの関係において常に客観的視点が欠かせません。

 

そのために、第三者の視点としてスーパーバイザーが不可欠です。スーパーバイザーは、臨床家がクライエントに共感した際の主観的感情をチェックします。

 

このチェック機能がないと、臨床家はクライエントの問題や感情を持ち続けますから、共感性疲労を覚えてクライアントの成長のための正しい判断ができなくなります。こうしたケアがないと、考えがネガティブになったり、怒りっぽくなったりします。

 

この現象は「二次受傷(Secondary Trauma)」または「二次的外傷性ストレス(Secondary Traumatic Stress)」と呼ばれています。およそ30年前、アメリカではこの研究が盛んに行われていました。トラウマ体験を共感するだけで、臨床家もクライエントと同じPSTDを発症する問題は、

 

精神分析学では転移/逆転の問題として古くから研究されています。「誰の感情が私に憑依しているのか」を見極めるのは、臨床の場では普通にされてますが、

 

親や友人、妻や夫、上司や人事部に相談するという日常の現場では、あちこちで二次受傷や二次的外傷性ストレス、Aさんの転移、Bさんの転移が起きている筈です。

 

学校や会社にストレスが蔓延するのもこの転移が、皆さんに得体の知らない形で起きているからかもしれません。これが共感性の恐るべき側面でしょうか。 

共感性疲労の人たち:フラッシュバックを統合する共感性疲労へのFAP療法の役割 

 

複雑性PTSDPTSDは、過去の不快な記憶が統合されない状態で、恐怖体験が現在の中に侵入してくる症状を持っています。

 

いわゆる、フラッシュバックです。このフラッシュバックにもはや恐怖を覚えず、過去のものとして統合できた時に、はじめて自分に共感できたといえるでしょう。

 

その自己への共感作業には多くの時間を費やし、連続するフラッシュバックの恐怖で精神は過度に疲労し、日常生活も脅かされます。まさしくこの苦しみと恐怖への共感の過程も、自己への「共感性疲労」であると思えます。

 

FAP療法は、スーパーバイザーの大嶋先生によって発案されたトラウマ治療で、短期で安全な形で効果がある療法です。暴露療法や認知行動療法は過去のつらい経験を思い出して言語化しなければなりません。

 

また、記憶と感情が解離している複雑性PTSDに見られる幼少期からの慢性化したトラウマ症状の場合、その行動の癖を変化させてゆく認知行動療法では表面的な変化に終始しやすく、自分が望む本来の私を獲得するまでの時間は長期化しかねません。これを補うためにも当室では皆様にFAP療法をご提案致しております。 

 

皆様のご来室をお待ちしております。

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

 

 

【執筆者情報】

 大塚  静子

 

資格

  • 臨床心理士(NO:18162)
  • FAP療法上級資格取得

 

所属学会

  • 日本臨床心理学会
  • 日本ブリーフサイコセラピー学会
  • 国際トラウマティックストレス学会
     (International Society for Traumatic Stress Studies)

 

経歴

  • 2005年 アライアント国際大学/カリフォルニア臨床心理大学院 臨床心理学
    修士課程卒業
  • 2005年7月 アルコール依存症専門病院、周愛利田クリニックにて依存症治療に携わる。
  • 2009年7月 アダルト・チルドレン第一人者の斎藤 学先生がやっておられるIFF・CIAP相談室勤務。家族臨床、トラウマ治療について研鑽を積む。
  • 2014年7月 横浜にてカウンセリングルーム・グロース設立。
  • 2015年4月 浦和大学 総合福祉学部 非常勤講師 「心理療法」,「精神保健学」担当

 

研究実績

研究実績はこちらをご参照下さい

著書 

『甦る魂』はこちらをご参照下さい

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