コラム 2024/09/04 (水) 3:21 PM
「私の中のこの生きづらささえなければ、きっと私は楽なのに、、、、」
このような感覚に身に覚えはございませんか。
「心の持ちようだ、気にしないこと」と言い聞かせても、心はそれと反対のことばかりしたがりますから社会生活や対人関係が常に不快です。そして自分を否定しては失敗するという経験の繰り返しが、「努力とは報われないものなんだ」と結論づけたりします。何も解決しない、自分に可能性など見つからない、いつもと同じ「自分はダメな人間だぁ!」と無気力に陥るほど、自分の中の心は私に嫌がらせをする。
「生きづらさ」とはこのような側面を持っています。
「自信がある」という言葉を聞いて心にふらつきを感じませんでしょうか。
そして、「何か大きなものに守られたい」という感じが起きませんでしょうか。
・したいと思っていることがあってもすぐにやめてしまう。
・何をしたいのかがほんとうは自分でもわからない 。
・自己観察が好きで学習意欲が高いけれども、何も行動に移せない。
こんな傾向から抜け出せず、社会的評価の低いポジションに不満を感じていながら、「誰も私を理解していない」という孤独感に心地よさを覚えてしまうと、「奇妙な自己愛」が悪さをして、「誰も私を理解しない」という陶酔感に嗜癖させますから、いよいよ生きづらさを手放せなくなってゆきます。
多くの人は、自分が変化してゆくことを他者に晒すと羞恥心や緊張感、不安や恐怖が伴います。それ故、変化や成長は、心身共にエネルギーを浪費させますから拒否反応で行動に移せないことが多いでしょう。
「こんな意外性をみんなに晒したら、、、」を考えると、ぐったりするかもしれません。
なぜならば 今までの人間関係を壊すことになる 。
・「Aさんってこんな人だったっけ!?」と言われたらどうしよう。
・みんなから距離を置かれ孤独になってゆくのでは?
・変化することで周りから怒られるのではないか ?
・ひとりぼっちになった時の私の力や能力では生きてゆけない。
思いついただけでもこれくらいの不安感が思いつきます。これらの不安は、「他人の評価」という視点によって出来上がっていますから、完全に「私がこうしたい」と思ってそれをやっていない、何をしていいかがわかっていない心の感覚に陥っています。その原因が過去のトラウマ体験によって自己感覚を妨害されているケースは非常多くあります。
「それって私の自由じゃないの!?」
こうした健康な感覚が機能していれば、厄介なトラウマに脅かされることはありません。
不当に自由を阻止されると人は怒りを覚えるものです。時に、怒りはあなたの味方で、自己を守るための道具として怒りを機能させた時、自我は「バーン!」と成長へ向かいます。もちろん、なんでも怒りまくれと言っているのではありません。
自分にとって「嫌なもの」と「いいもの」をしっかり見極める感覚がトラウマによって損なわれると、「好き/嫌い」の判断が曖昧になり、何がししたいのかがわからず、いつも自分は利用される側にばかりいると人生を恨めしく思うようになってゆきます。
「嫌だ!私、これはやりたくない」
「私はこれをしてみたい!」と鮮やかに感じる自分は何処で何をやっているのでしょうか?
ご自分の中に自分の「生きづらさ(トラウマ)」が統合されますと、今まで焦点が当たっていた場所が「生きづらさ(トラウマ)」から別の対象へと移行します。
移行した先があなたにとって心地よければ、「大変!早く弱い自分を演じて社会適応しないと怒られる、否定される!大変だぁ~!」などという焦りと不安に脅かされずに、私自身の感覚で捉えた心地よさを感じて生きることができるでしょう。
・楽しめない
・絶望感
・無気力
・人に迷惑を掛けている
・人はいつも自分の足を引っ張っている
こうした自分の中の否定感覚が猛威を振るい、自分の思いどおりに事を運ぼうとすると誰かに怒られているような気配を感じたら、当相談室のトラウマ治療を試してみてはいかがでしょうか。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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