コラム 2024/07/05 (金) 8:34 AM
あなたが喜ぶと家族が話題を変えたり、否定的なことを言われたり、不機嫌になったりした経験はないでしょうか。あるいは、あなたが楽しそうだと、調子に乗るなとばかりに家事を手伝わされた経験がないでしょうか。可愛がられるのは別の兄弟姉妹ばかりで、なぜこんなポジションで自分は貧乏くじばかりを引かされているのかと考えすらよぎらずに、何となく「私はこの父や母、兄弟姉妹という人間集団の中に所属している」という不安定な安心感だけが救いで、その安心感がバランスを崩すと、恐怖が待ち受けているのではと不安を感じつつ家族システムの中で嫌な役割を演じてきてはいないでしょうか。
わたしがつまらないとみんなが元気になる。わたしがバカで頭が悪いと学歴の低い父や母が優越感に浸れる。わたしがみじめな恰好をしていれば、父には威厳、母には美しさが現われてくる。けれども、この父も母も、自分たちがそんなことをやっているとは思ってません。また、この子どもも、自分がそんな目にあって酷いことをされているとは気がつきません。気がついたら、大変なことになると怯えているからです。こうして子どもは自己表現を失い、言いたいことを言えない、言ってはならないという掟に心を乗っ取られてゆきます。
このように、「気づき」が親子から奪われた関係には、トラウマの問題が生活全般を暗雲のように覆っています。ここに「つまらない生き方」を選択してしまう罠が隠れています。
「うまく行かない生き方」とは、やりたくないことをやったり、能力が本来高いのに会社や学校では成績が悪く評価が低い、それでも他人には都合のよい忍耐と我慢だけがあるため、みんなからは「優しい人」などと呼ばれて利用されてしまう生き方のことです。
トラウマは、幸福への近道を教えません。遠回りさせては、生きる希望を見失わせたり、表現を抑え込もうとしてあなたを自由にしてくれません。
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あなたが自分に可能性を見つけて元気になると「お前には無理だよ」と親に言われる。この「お前には無理」とは「それをやって成功したらダダでは済まないぞ」という脅しや嫉妬心、不機嫌が示唆されていることに、あなたはビビビっと気がついています。親の嫉妬は子どもに対して「遠慮をしろ!」というメッセージになります。トラウマはこうした嫌がらせがとても好きです。
ところで、人間は絶えず不快や不満や苦痛を軽減しようと活動しています。不快を回避して、よくなろう,楽しくなろう、居心地をよくしようとしていることは皆さんも日常的に感じているかも知れません。不快の中にずっといようとは思わないものです。われわれの不快感は自分にとっての良い生き方を選択するためにあるといっても過言ではありません。
その快や幸福は、自分がどれだけ安心できているかという尺度にもなっています。生き物全体の生体恒常性(ホメオスタシス)は絶えず変化して不安定です。不快や苦痛からの脱出劇は、人間の非常にクリエイティブなところを成すものでもあり、その劇的変化やダイナミックな展開が、時に人々を感動させるでしょう。
しかし、この不快を避けて幸福に近づこうとする力から見放され、出口を見失いますと、自分自身が自分にとって不便な存在に思えてしまいます。だから自分が自分にとって不便にならないようにと、自分の中の不便度や不快度チェックが研ぎ澄まされて過覚醒してゆくでしょう。これが不安や神経質の原因のひとつに相当します。
神経が過敏で不安定な心理状態は、日常行動のある一部のみを先鋭化させます。きちっとしていないと気持ちが悪いから、整理整頓ばかりを繰り返す。あるいは、手が付けられないほどモノが散乱していても、何か問題を抱えた心のことばかりに気がとられている。パートナーの振る舞いが気になり、パートナーを非難したり、修正したり、コントロールしすぎたり、心配しすぎたりしている。トラウマ傘下ではこうした行動はよく見られます。
そして、こうした心理状態は、「どうやって自分が自分自身に不快や不便を感じさせているのか」という、自分が自分に仕掛けている罠について、おや!?これは罠だ。おかしいぞと感じたり、はて?と考えることが停止していることに気づけません。気づけませんから、自分には問題はないと解釈して、相手を書き換えようとコントロールや過干渉をします。ここでも他者への自己投影が頻繁に行われています。
ところで、自分への「気づき」が失われている状態は、それを表現する言葉をも失っています。気持ちが表現できないストレスは、「ちきしょう!」、「ついてない」、「私はなんてダメなんだろう」などのネガティブな口癖を心に言わせてませんでしょうか。あるいは、自分の問題と他者の問題とをまぜこぜにして、他者を振り回し、自分も振り回される関係を続けてはいないでしょうか。
内省することや自分の今ここにある私の状態を考えて現実的に行動することが できず、失敗を繰り返して自己嫌悪になるのはトラウマのせいかもしれません。
トラウマはこうした悪戯をあなたに仕掛けます。
「ちきしょう」「ダメな私」「あーあ、だるいなぁ」「ついていない」「うざい」「もうたくさんだ」「やぶれかぶれだ~」などなど、頭の中では誰もが知っている平均的かつ没個性的なこうしたネガティブワードが、外出先や交通機関の中、職場などなどでひっきりなしに不満と怒りをいくつかの決まり文句で表現しようとしていますが、言葉もパターン化されていて、どうしても自分が何を感じて、どうすればよいのかを言い当てる言葉が見つかりません。
しかし、こうした心の悪友言語は言い続けてないと自己と社会(あるいは対人)との穏やかなバランスを維持できないことを知っていますから、やめようものなら、露骨に暴言、暴力が飛び出してしまい、トラブルが絶えないクタクタでボロボロの人生になってしまうでしょう。
その最悪の結果を皆さんは何となく知っているからこそ、自分の心の中に留めておかなければならないと思っていますが、それがどうにも孤独でつらく、自分を容赦なく責めたりしてないでしょうか。
一般には、これがストレスと呼ばれるものなのでしょう。言い換えれば、ストレスとは、言葉で表現しきれていない、気づきを失った自分自身のもがきと言えるでしょう。
それではなぜ、自分の気持ちを言葉にすることを回避しなければならないのでしょうか。本当のことを言ってはならないを育てた家族システムが今も生きているからです。これを言葉にして表現できたとき、健康な自我の芽は成長に向かってゆくでしょう。自己表現の誕生はカラフルで感動的です。
自由がそこに誕生します。
不快なのに、頑なに維持しているものがあります。それが家族システムであり、様々な人間関係の際に発生している自分のお決まりのパターンです。
人と出会い、関係を結ぶと、過去の人間関係の原型を無意識のうちに繰り返してしまうものです。あなたが家族の中でどのようなポジションにあり、好む好まざるにかかわらずどんな役割を担ってきたでしょうか。これらは、たとえ不快で自分を不幸にするものであっても、必ず家族以外の人間関係の中でも繰り返されています。そしてこのパターンが、「私はこうなりたい」という「願望への気づき」を「自己否定感」へ変換している場合がよくあります。結局、中途半端で行動力は徐々に減退してゆき、自己嫌悪に着地します。
自己啓発、新しい自分の発見、自己のパフォーマンスを高める。しなやかに生きてみたい。けれどもその殆どが行動が伴わず我慢と空しい努力で終始してしまう。行動への恐怖の起源はどこからきているのでしょうか。自信を失わせて、世界を狭くしてしまった起源は何処でしょうか。これらは過去の恐怖体験であるトラウマの問題が必ず隠れています。トラウマから解放されると今まで以上に集中力が向上します。そして、あなたの願望は自ずと持続性のある行動力を発揮するでしょう。
人間は自分一人では多角的に自分の状態を観察することができません。しかし、「誰か私に気がついてほしい」という受け身の寂しさが、執念深く心の奥底で放置され無視されていると、人に頼ることをやめて怒りと同居します。自分は自分で自分を愛さなければならないという屈折した自己愛が、自己に対してストイックになり、周りの人間は甘え過ぎだという批判の目が鋭くなってゆきますから、周りの人間を憎たらしく感じてしまいます。自分の甘えたい感情が社会や他者に投影されますから、他人への愚痴や皮肉、社会批判が絶えず頭に充満しています。
心理カウンセリングは、心の中だけで発している孤独な愚痴(ネガティブワード)や口癖の正体をinsight(洞察)する作業です。そこに新しい自己が実は眠っているとは思っていないからこそ、日常生活はマンネリ化と閉塞状態を余儀なくされます。ところが、人生がつまらないと感じる人は、トラウマによってマンネリと閉塞を無意識に選択させられています。この罠から解放されましょう。 日常的につまらない、欲求不満を覚える、何か私の人生は味気ないのでは?と疑問を抱きつつも、日常生活のルーティンに飲み込まれて、もう何十年も私は変化しないと日々感じていましたら、ご来室をお待ちしております。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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