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コラム:自己肯定感

コラム   2024/05/22 (水)  4:43 PM

自己肯定感:自己肯定感の罠 

「自己肯定感」という言葉はいい響きがします。いい響きと生きることへの意欲や希望が一緒になったこの言葉は、きっと自分を幸福の近くに置いてくれるお守りに違いないと思わせてもくれるのではないでしょうか。ところが社会で人に出会うと他人に振り回されない、振り回されたくないという思いを増幅させるのがこの自己肯定感です。 

 

「他人に振り回されたくない」という気持ちが根底に強くある自己肯定感には、支配や束縛から逃れたいという心理が自ずと強くなるでしょう。あるいは自分は他者との関係の中で優れているか劣っているかを意識するかもしれません。

 

あるいはまた、他者との優劣比較の中で「そんな自分ではダメだ」という思いを意識するあまり、自己否定感にすり替わって、トゲトゲしい人間関係にギクシャクするかもしれません。 とうとう「ああ、また自己肯定感に失敗した」と悲観的になるかもしれません。 

 

大切なのは、健全な自己肯定感をめざすことかも知れません。そのためには、自己肯定感というお守りの声を聴ける判断力や冷静さが前提に不可欠です。

自己肯定感:タンポポの綿毛の声 

タンポポの綿毛が穏やかな速度で私の肩に音もなく落下します。綿毛が耳元で何か大切なことを囁いています。けれども、綿毛には気配がありませんから、上着を脱いでみたり、鏡で自分を観察したりしないとその存在も声も見えませんし、聴こえもません。 

 

綿毛は「*************   *****!」と耳元であなたに言うでしょう 

さて、どんな風に聞こえ囁いたでしょうか。 

自己肯定感:今、ここでするべきことへの集中力 

「私のこの自己肯定感、何かおかしいのでは?」 

 

という問いかけによって、今ここにいる私の状況を客観的に分析できると、苦しい方向に行かずに「今はこれをすればいいんだ」という答えが必ず見つかります。自己肯定感をフィードバックしながら反省点を受け止めて自分の問題を解決する。

 

これができる人は相手と協力する知恵を有効活用しますから、揉め事や誹謗中傷愚痴も少なく、現在の自分に健康的な満足感を得られるでしょう。 

 

こうした心の声を聞く内省機能が、どういうわけか働かずに、わかってはいるけれどもやめられずに、最悪の結果を招く方向へと導かれる判断を選択してしまう場合があります。 

 

「一般的な幸福度などわたしには関係ない。私は私だけの価値を守りたい」 

 

「経済力や安心感よりも、私を貫きたい」 

 

「私には私のやり方がある」 

 

自分自身にこんなセリフを心の中で吐いてみると、自分がかけがえのない存在で自尊心の高まりを一瞬でも感じてしまうのが人間です。自分に感動する。この素晴らしい存在の私を知らないなんて、世間はどうかしている。わたしの感覚や意見がぶつかるのは、100年先を行っているからだ。 

 

どうでしょうか。根拠など必要ありませんが、こんなセリフを自分に言ってみると、気分が高揚しないでしょうか。 

自己肯定感:幻想の素晴らしさを手放せない 

気分が高揚すればするほど、自己肯定感の素晴らしさを感じてしまいます。しかし、それを妨害する人や状況を悪と捉えます。

 

つまり、他人の支配に過敏になってゆきますから、その支配を逃れるために、他人に本当の思いを言えない心の状況を作らなければならなくなります。つまり、嘘で自分を防御しながら本当の自分をみんなから隠す行為が日常化してゆくかも知れません。

 

この私の自己肯定感は手放せない。これが周りにわかってしまうと、みんなは否定側にまわるだろう。みんなや仲間や家族と上手く関係を保つためにも、本心を隠すのはやむを得ない手段だ。 このような判断が長続きしないとご本人はわかっていてもそれを続けます。手放せません。

 

ところで、それって本当に自己肯定感なのでしょうか。この言葉は人を元気にしてくれる栄養ドリンクみたいなニュアンスがあるので、1日に何本も飲んでいると下界の状況を見失ってゆきます。。 

自己肯定感:この言葉の濫用 

現代は多様性の時代であり、個人の主観が肥大した時代でもあります。他者が発する言葉表現が、いつの間にか相手を傷つけてしまうほど、言葉には罪が宿りやすい時代のようで、その原因のひとつは自己愛の暴走を招きやすい環境に人々が置かれていることにあるのかもしれません。

 

それ故、自己肯定感という言葉も相手を遮断するには非常に都合がよく、むやみに濫用したくなるのではないでしょうか。むやみに濫用しても心も体も健康で、人間関係にも問題がなければそれでよいのですが、自己肯定感が、チェーンの外れた自転車のペダルを漕ぐようで何か他人へのイライラと疲労ばかりを感じていたら、その自己肯定感を疑いたいところなのですが、自分ひとりではこれが非常に難儀します。他者との対話や相談によって、客観的な位置から自分を観察し、自己肯定感を健康な状態に導くことは心理カウンセラーの役割となっております。 

自己肯定感:健全な自己肯定感と不健全な自己肯定感 

 

健全な自己肯定感と不健全な自己肯定感があります。「健全な」とは、自分の現在の状態を冷静に判断できて、自分に生きる意欲を与えてくれるでしょう。「不健全な」とは、現在の自分の状況を見失い、快楽としての自己肯定感を休みなく求め続け、次第にイライラなどの不快な感情に支配されてゆく自己肯定感です。この不健全な自己肯定感は「私は正しい」と頑なですから、心身が疲弊して底をついた時に初めて我に返ります。 

 

最近、ニュースで取り上げられています「ギャンブル依存症」も、この不健全な自己肯定感のひとつではないでしょうか。極端な場合ですと、自分が世界の支配者であるという妄想にとらわれる自己愛性パーソナリティ障害の場合もあります。 

 

自己愛と信念から子への過干渉や過保護がやめられない養育者もそうでしょう。あきらかに自分にも周りにも迷惑を掛ける筈だ、悪い方に行ってしまうという知識や判断は持っていても、地に足のついていない知識や判断なために、それを感じて実行することが困難です。アルコール依存症の夫などの問題行動に妻がその尻拭いをし続けることが、かえって夫の依存症を長引かせてしまう、そんなシステムの病理も歪んだ自己肯定感の現われです。 

 

そして自己愛の強さは、自己否定されると怒りや暴力、極端なくらいの絶望感、大袈裟な表現になって登場します。アルコール依存者とイネーブラーの妻の共依存、モラルハラスメントの夫婦関係では、こうした感情表現がよく登場します。その自己肯定感に待ったを掛けられでもすると相手への怒りが遠慮なく飛び出して、不穏な毎日になるのが常でしょう。 

 

自己肯定感は大切です。あなたを元気にしてくれます。でも、それによって苦しんでいたら、あなたが冷静に思考し感じる機能を取り戻さなければ、同じ失敗を繰り返します。意外にもその原因は、過去にこうむった虐待トラウマの恐怖である場合もあります。 

 

当相談室では、このような生きづらさについてカウンセリングをご提案させて頂いております。ご来室をお待ちしております。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

 

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