コラム 2023/07/26 (水) 2:54 PM
・ケンカを中断して自室に籠るなどパートナーと距離を置く
・パートナーの言い分をよく聴いてあげる
・パートナーの自分に対する怒りに共感する
・先に謝る
そしてあくる日から反省の気持ちを込めて、家事や子どものケアなどの解決策を実践しているうちにイライラが溜まりはじめ、再びケンカを繰り返してしまう場合があります。DVに発展しかねない暴力の誘発や親のケンカを目撃する子どもへの悪影響を考えると、この習慣は絶対に回避するべきでしょう。それなのに繰り返してしまうケンカがあります。
このパートナーであれば仲良く平和な家庭生活が期待できると思って結婚したにもかかわらず、足の引っ張り合い、感情のぶつかり合い、悪口雑言の数々。我慢すれば、いつかは平和で楽しい家庭が築けると思っていた期待は悉く裏切られます。
「我慢」と「期待」の裏側に、あなたが隠している気持ちは「離婚する」ということだけではない筈です。問題にぶつかると、人間は皆、他人の庭が快適でよく見えますから判断を誤って衝動的になりがちです。そしてまた同じ過ちを繰り返します。
お互いに、本来の自分を自由に表現できることを見失って、相手への「期待」と「我慢」ばかりがパートナーへの寛容さを持てない心で硬直していることに気がつけない場合があります。
憎しみ罵り合うために私たちはパートナーを選ばないはずです。
パートナーに絶大な安心感を読み取ったから一緒にいるわけでしょう。しかし、その安心感が「我慢」と「期待」から出来上がったものですと、疲弊して夫婦関係は機能不全となります。 これが繰り返されるケンカの正体であったりする場合があります。
そして、日常の視点では気がつけない心の状態に「気づき」を与える作業が心理カウンセリングです。
喧嘩の性質のひとつは、操り人形のように感情に突き動かされ、翻弄されることです。怒りの発作に飲み込まれると自己陶酔に襲われ、自暴自棄となります。その後、時間が来ると我に返り、反省と共に冷静さを取り戻します。
怒りを発散することは一時的な解放感を味わうことができる快楽のひとつです。喧嘩の後の仲直りという作業は多幸感によって脳は再び陶酔するでしょう。その発散と仲直りの心地よさが常習化すると、ケンカは習慣化して根本的な解決策を見失います。 ここで問題なのは感情を溜め込みやすい性格やそれを誘発する環境かも知れません。
月に一回、週に一回の喧嘩を繰り返しては仲直りをしている場合、お互いの日常生活に大きなストレスがかかっていながらも、「いつか何とかなるだろう」という思いに一方または双方が支配されています。
つまり、そのストレスは「生きるためには仕方のないことだ」とか、「いまそんなことを考えている場合ではない」という判断を心の何処かで下しているということです。すると、あえて我慢の道を自ら選び、ストレスを溜めてケンカに発展させ、仲直りでリセットして再びストレスを溜めようとする悪循環を繰り返します。定期的な喧嘩はこうして繰り返され、喧嘩を手放さないことにつながってゆきます。
「私たちは毎月一回必ずケンカをしてしまう」
まるで何かに動かされているかのように、自分たちではそのケンカをやめることができません。自分以外の何者かによって操られるかのように、ケンカという人間同士の相互作用から構成されるシステムが、ご夫婦への罠になって自分たちに仕掛けられます。
「うっ!ケンカの発作が起きそうだ。また自分への罠が繰り返される!」
ケンカはあなたとパートナーへの罠です。その罠にかかると、現状維持のまま何も変わりません。今、まさにケンカの最中に「私への罠が繰り返している」と思えた時は、あなたの変化と成長へのチャンスになるかも知れません。
あなたが我慢を続けなければならない状況があります。夫のため、妻のため、子どものため、自分のためという目的がその我慢の出発点です。しかしその我慢が、誰も評価しない非生産的なものでも、あなたはそれが「正しいこと」と思って手放せません。
「いつかきっと」という願いばかりで、問題点を分析して次回はこうしようという解決策には至りません。そして、本当は生きづらい筈なのに、なかなか生きづらさを実感できず長期化します。 非生産的な「我慢」や「忍耐」には、下記のような思いが必ず潜んでいます。
・期待に応えなければという思いに脅かされても我慢する
・頑張った割には皆が無関心でも、怒りと孤独を我慢する
・自分よりも評価されている人を見ると嫉妬や不機嫌になるのを我慢する
・自分の思いどおりになると後ろめたさや遠慮が起きることを我慢と呼んで美化する
・自分だけがつまらない思いをして貧乏くじを引かされているのに我慢する
・「正しさ」だけが私の味方だと思って我慢に希望と願いを託す
このような信念やイメージを自己像に宿している人は、やりたくないこととやりたいことの境界線が曖昧です。自分と他人との境界線も明確ではないため、人間関係ではトラブルが起きやすく、喧嘩や対立がつき纏います。自他の区分が曖昧ですから、私が感じているとおりにあなたも感じていると思い、パートナーに言葉で説明しないコミュニケーションを取りがちにますので
・一番身近なパートナーならば何でもわかって当然である
・何度も同じことを言わせないでほしいとパートナーに感じる
というイライラと怒りを常に感じていますが我慢します。執拗以上の我慢は感覚を麻痺させます。
我慢による感覚麻痺は快不快のセンサーが機能しません。神様のように何でもできる自分は支配者でありたいという万能感によって支配されやすくなります。何でもできると思って過剰に人の期待に応えようとしますから、人に協力してもらうことに感謝する気持ちが失われています。それ故、対人関係では常に他者への不満な思いが心の奥底にありますが、我慢によって本人には気がつけないようになっています。
こうして本当に自分の望むことが見つからなくなりますから、イライラが常駐してどうでもよい細かなことまで気に障りはじめます。一番大事な自分が今ほんとうに解決しなければならない問題点を見失っていることに気がつけません。
ケンカをして感情にとり憑かれている自分にも気がつけません。これがケンカを繰り返す原因のひとつである万能感かも知れません。表面上は友人、知人には相談を持ち掛けますが、他者の意見は聞いているフリをしている場合が殆どで、忠告やアドバイスを自己流に書き換えてしまいます。他者の意見や心情を、自分をわかってほしいという気持ちで飲み込んでしまいますから、言い争いで再びケンカがはじまってしまいます。
万能感と感覚麻痺によって、当人が自分の問題点を見逃している結果、その原因を身近にいるパートナーや子どもにあると思い込み、自分の怒りの矛先がパートナーや子どもへと向かってゆきます。時には、自分がしている「我慢」や「忍耐」は美徳であるという一般論から、「私は常に正しい」と判断するかもしれません。
そしてその正しさを武器に、パートナーへの巧妙なモラルハラスメントやわが子への暴力に発展する場合もあるかも知れません。正しさは必ず、過ちを見つけます。その過ちから罪悪感が生まれたり、悪人と揶揄されたりすることがケンカを継続させる結果を招きます。
当相談室のコンテンツ”モラルハラスメント”はこちらから
自分と他人の境界線が引けないと、「自分の思っていることは他人も思っている」という思い込みが強くなります。「あなたならこうしてくれると思っていたのに、、、」という期待の心理がここで問題となります。
「期待」とは、「望みながら、何かを待ち続けること」という意味です。どんな人間であれ「望むこと」も「待つこと」も簡単にできます。しかし、他者に「期待に応えて!」と言っても、当ての外れる場合がほとんどですし、頼むからには言葉で説明することを怠っては、相手に不快感を残すばかりです。
しかし、他人と自分との違いをわかってはいますが、気がつくとついつい期待してしまうのが人間のようです。けれども、ここでは過剰に期待してしまうことが問題です。
「期待」には自分への期待と他者への期待があります。「期待どおりだ!」は好印象や元気を与えてくれます。「期待を裏切る」は嘘つき、山師呼ばわりの裏切り行為と見なされ、強い負の感情を伴った言葉で表現されます。相手の期待に応え続けると疲弊します。時々それを人は「愛」という言葉に置き換えています。期待を裏切ると信用を失います。
夫婦関係のように一生を共にするパートナーは、特別な人という幻想が容易につき纏います。
この幻想が、阿吽の呼吸を理想化したり、言葉を多用せずともわかり合えるという関係をごく当然と思わせてしまいます。あるいは、「いつかはわかってくれる筈」という期待感を生き甲斐にしたり、めざすべきゴールにしていたりします。
ところが、あてははずれます。1週間、1か月、1年、2年と「いつかきっと」が繰り返されますが、そのころには裏切りの感情が大きく育って関係を悪化させ、頻繁にケンカが繰り返されるでしょう。一向に「相手に過剰に期待する」がやめられませんから「どうしてわかってくれないんだ!!」とケンカが繰り返されます。
この場合は、相手を私の思いどおりにコントロールする支配欲や期待を裏切られると孤独感や怒りを感じてしまうことに問題があります。そもそも、パートナーが特別な存在であれば、痘痕も靨(あばたもえくぼ)で期待を裏切るという感情に本来振り回されたりしない筈でしょう。結局、過剰に期待や信頼で重圧を掛けることが、相手を支配することにつながりますから、又もケンカを繰り返してしまいます。
●カサンドラ症候群
パートナーに自閉症スペクトラム障害(ASD)があり、情緒的な相互関係が築けないため、結婚後も孤独と寂しさを常に感じて不調になってしまう状態をカサンドラ症候群と呼んでいます。自閉症スペクトラム障害の方はパートナーを避けて、自分一人の世界に没頭しているわけではないということを理解していないと、ケンカや離婚問題に発展してゆきます。また、ASDの方と所帯を持つパートナーは世話好きな方が多く、「わたしがこの人に人生の楽しさを与えてあげたい」という希望によってASDの方を支配していることが多々あります。
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●アダルトチルドレン
機能不全家族で育った経験のあるアダルトチルドレンの問題は、他者の期待に応えたり、他者にサプライズや衝撃を与えることを続けなければ、生きる意味を感じられない傾向があります。忍耐と我慢強さによって、学業でも仕事でも優秀なポジションにつくことが多い反面、我慢や忍耐をし続けることは休む間もない曲芸をし続けなければならないため、突如、感情的になったり、抑うつ状態になったりする場合があります。
「相手の期待に応えなければならない」とは相手を無視した独りよがりでしかないと、当人はわかっていますが、どうしても過剰に期待に応えることを手放すことができません。幼少期の親から受けたトラウマの問題が大きく影響している場合があります。
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●愛着障害
他人は私の邪魔をする。パートナーも同じだった。周りから命令ばかりされているような気がする。支配的な親が何でもやってしまう環境に育った子どもは、自分のやりたいことや目標を立てて何かを達成することが持続しません。
自分のしたいことは、親の望むものでなければ、一切親から振り向いてもらえなかった経験が、どうしたら良いかわからない抵抗・両価型の愛着を形成して、他人がうっとしいと感じる傾向があると同時に他人なしでは生きられないという葛藤に苦しみます。
それ故、日常生活の些細なことででも自己主張が強くなり、かつて親にされてきたようにパートナーにも子どもにも支配的になりすぎて、ケンカやトラブルが多くなるかも知れません。
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一般に怒りや不満、愚痴、本音などは初対面の人にやすやすとは晒すことのできない感情です。これらの感情を遠慮なく吐き出せるには信頼関係が重要となります。パートナーを信頼しているからこそ、本音を語りお互いの理解を深め、正しいことと間違っていたことを自覚しながら素直に協力し合えるための喧嘩はとても大切です。
そして、お互いの理解の深まりは心を健康にしてくれるはずです。ケンカはパートナーへの信頼の証であり、相手が自分の問題点に直面化して、速やかに解決してお互い幸せになりたいという気持ちを、怒りの感情に託して訴える行為です。
しかし、パートナーを信頼し愛情を表現したいからこそ、隠れて無理や我慢をしてしまう人もいます。このタイプの人があることをきっかけに怒りの感情に翻弄されてケンカに発展してしまう場合があるかも知れません。
我慢、忍耐、無理や無茶をする人は、耐えていることを自分が一番よくわかっています。他人にその無理や我慢が簡単にわかってしまうようでは、それは無理や我慢とは言わないでしょう。
それ故に、無理をする人は孤独です。万能感に飢えています。「助けてほしい」などど人には言えませんし、その苦しみを言葉で表現する術を知らない傾向が強かったりします。あるいは、その苦しみを手放してしまうと、自分は表現を失ってしまうような虚無感が現われることを無意識にわかっているのかもしれません。
現代社会は地域社会が機能せず、家庭の密室化傾向が高まっていますから、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」が通用しません。孤立化した家庭は個と個が激しくぶつかりやすくなる環境になりかねません。ケンカ仲裁役や相談相手も不在のまま自分の万能感を頼りに、子どもたちの面前でとりとめのないケンカを繰り返す環境になりかねないのが現代の家庭環境の問題点です。
こうした悪循環が常習化していましたら、その相談機関の一つとして心理カウンセリングは機能しなければなりません。
ふだんの日常とは異なる視点から、自己を、パートナーを、家族を見つめ直し、ある一つの気づきから皆様が変化、成長できるようにと真摯に取り組んでおります。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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