Home > スタッフブログ新着一覧 > コラム:生きづらいと感じる人たち

コラム

コラム:生きづらいと感じる人たち

コラム   2023/03/15 (水)  4:52 PM

生きづらいと感じる人たち:優秀な人ほど生きづらい !?

 

なんでもこなせて優秀で、普通にしていても十分に評価されるような人たちが、なぜでしょうか、浮かない表情で疲労感を漂わせながら皮肉っぽい笑いでその場を耐え忍んでいます。 

 

●人に頼られるような存在なのに、なぜか社会的評価からは見逃されている 

 

●もともと知識や能力が高いのに、自分があの人やこの人よりも笑ったり喜んだり、 幸せになれそうな寸前に「自分はそんな柄ではない」という心の声が聞こえる 

 

●もうちょっとで最高評価を獲得しそうになると、そのほとんどをみんなに配ってしまう 

 

●気がつくといつも、自分より経験もなければ能力も低い単なる陽気で元気な人に 追い越されている 

 

●このまま自分はずっとこうなのかもしれないという、暗雲立ち込める未来に 突破口を見いだせないまま何年も経過している。 

 

●ポジティブ思考や自己肯定感という言葉を耳にすると 、これらの元気な言葉に恨みすら覚えて現状維持のままでいる 

 

こうしたポジションに身を置きながら、精神的、肉体的、経済的に問題が隠されている間は当然、「まだ大丈夫」という気持ちで安定していられますが、必ず空振りし続けている自分にそのストレスが襲い、問題行動や社会不適応を招くケースはたくさんあるかも知れません。

 

自分の生きづらさの問題を問題と感じないように、例えばショッピングやアルコールギャンブルゲーム、恋愛、などの依存症にその肩代わりさせて、生きづらさを麻痺させながら、日常生活の安定を保持している場合もあります。 

 

当ホームページの依存症はこちらから 

生きづらいと感じる人たち:押し付けられた役割  あるいは 引き受けていた役割からの解放   

 

 

自己主張や自己肯定感への諦めの感情にとらわれ、社会不安や対人恐怖を感じるポジションに固定されている人たちの生きづらさの原因は何でしょうか。 

 

生きづらい人たちは、自分の中の根源的な人間不安が他者に投影されて、自意識過剰が慢性化している場合が多くあるかも知れません。そのため自己分析や観察力は安定した人に比べて非常に高い反面、その不安感によって鋭い分析力や内省力が歪められ帳消しになってしまっているかも知れません。

 

こうして自分の能力をご自分の為に有効に使うことができなくなります。IQでは動作性IQが下がり、言語性IQが高くなる状態でしょうか。 

 

したがって、不安の度合いを多少下げますと、人間不安も落ち着いて、いよいよ自分の本領を発揮するケースはたくさんあります。

 

FAP療法は、様々なクライエントの不安の度合いを下げることに成功しています。不安の軽減は、自分が如何に自分自身を無駄遣いして、命令や指示に従う役割ばかりを引き受けていたと感じさせます。こうした自己への気づきと成長に効果的な治療方法として当相談室では推奨しております。 

 

●当ホームページFAP療法はこちらから 

 

「役割を引き受けていた」という表現には、「引き受ける私が悪い」という根深い罪悪感が漂いますが、「役割を押し付けられていた」という表現には、もう二度とごめんだというニュアンスと自分自身の自由への行動力を感じるのは私だけでしょうか。 

 

 自分が成長し、変化すようとします。

すると「あなたはそんな柄ではないでしょ!?」という役割押し付けの声は、実は自分が発していただけで、相手が健康な人であれば、思いのほか他人の変化に無関心です。関心があっても一時的なだけなのに、何故かあなたの心は敏感にそれを感じ、恐怖します。これは相手の心の健康の度合いによって揺れ動きます。 

 

相手の心の健康が損なわれている場合、「あなたはそんな柄ではないでしょ!?許さないわよ!」という許さない光線をあなたに浴びせるかもしれません。そこに過剰反応すると、再び従者という役割のあなたはその人に無益な気遣いや気配り、徒労に終わるだけの労働力を無償で提供してしまいます。

 

時にその脅し役は、自分の両親や兄弟姉妹、妻や夫、親友と呼ばれる人や上司、教員、コーチやマネージャーだったりしますから、その意外性に圧倒されてしまいますが、自分の中の自由と安全はすぐそこに必ず眠っています。 

 

先ずは、ストレスをまき散らす人をほんの少しでも遠ざけます。ここは本当に落ち着くという場所があれば、それをイメージしましょう。ストレスまき散らし人をほんの少し遠ざけた分の時間を使って、イメージした空間の中で美味しいものや楽しいことを自分に与えてあげます。

 

「あっ!自由と安全が目を覚ました!」と感じる筈です。 

 

 それが本来のあなたの感覚です。徐々にほんの少しの時間は長くできるようになります。

生きづらいと感じる人たち:生きづらさ様々 

●あれもこれもタイプ

完璧主義と子育ての問題 

 

自分には目標がある。 それをはじめるためには明確な答えとしての計画が必要にちがいない。

 

計画を立てはじめると、お金のこと、Aという仕事の知識やスキルと資格、基礎学力やword,excelなどのオフィスソフトの操作知識はもちろん、社会性と好印象、身だしなみとスマートな体型、人の話も聴ければ、プレゼンの力とユーモアのセンスもなければならない、英会話はできて当然の世の中だ、ほんとうに時間がいくらあっても足りない、やることはたくさんある。

 

猛スピードでこれらをルーティン化すれば、世の中は私を評価するにちがいない。しかし、それにしてもイライラする。モノが片付いていないと「それ、お前が片づけなさい」と命令をされているように感じる。

 

たとえば、部屋の掃除が終わった後にわずかなホコリ屑を見つけるとイライラし、細部にわたって気になりはじめる。「止めてくれ~」と心が叫んでいる。しかし止まらない。様々な通勤の人や通行人を見るだけで怒りを感じる日もある。一体、なんだろう!?目標をもっていきているけど、私を邪魔するものばかりじゃないか。 

 

このような心理状態は、完璧主義の人に多く見受けられるかも知れません。明確にこれとこれをやり遂げれば、必ず未来は約束される、幸福になれるという信念があります。細かい障害物、例えば、子育ての場合ですと、子どもに一切の無駄を許容しなくなってしまいます。

 

門限に厳しい、自分の家事の負担を増すような子ども散らかしようにに激怒してしまう、子どものイレギュラー行為に再び怒り出してしまう。子どもにペナルティや厳格な規則を作る。子どもに親の役割をさせるなど。 

 

わが子にだれよりも幸せになってほしいという願いと目標を持ちつつも、たとえ親と子であっても避けられない人間の個別性を一致できないイライラによって、怒りにすり替わります。それが過干渉や虐待であるかどうかも見失ってしまうかも知れません。

 

このような生きづらさが完璧主義にはついてまわります。イレギュラーや自分と他者との違いに苦しみます。 

 

過去に過剰な支配を経験していると、自他の境界線は失われ、自他完全一致が生きる目標になるため、人生全体を俯瞰できません。細部にこだわるため、仕事、人間関係に疲弊しやすくなります。何も自分と一致できないという徒労と絶望感は、抑うつ状態に陥るかもしれません。

 

 

●本当は何がしたいかわかっていないタイプ: 抑うつ状態

 

自分が何がしたいのかさえわかりません。実はほしいと思っていたものが、手に入ってしまった後のことを知っています。結果がでると虚しさに包まれます。 

 

毎日毎日、こうした釈然としないものを心の何処かに感じていたり、意識しようと思えばそれを意識出来たりする心の領域で、ああでもない、こうでもないと自分を考察しますが、それを行動として具体的にやってみようとするところまでは発展しません。

 

現状維持のまま、また、悶々と不完全燃焼で何日も経過します。このまま結果がでないほうが、ほんとうはいいのかな、、、、。でも、今の生活は非常に生きづらいし、改善しなくては、、、、と思った途端に憂うつで気力がなくなります。結局、今日も満足感とはほど遠い一日で夕焼けが妙に悲しく目に映ります。 

 

自分への不信感が形成された原因はなんでしょうか。あなたが自信がないと、あなたと相互作用する人は、励まし役割を演じられます。

 

しかし、幼少期のあなたは愚痴の多い親の励まし役だったかもしれません。体に異常がないのに、1年を通して体の痛みやその愚痴を絶えず訴えている親のもとで育つと、年に数回の親の元気な状態に、ただならぬ喜びと開放感、安堵感を覚えるでしょうが、翌日には再び親の愚痴がはじまります。

 

他人が気になり、自分のパフォーマンスが十全に発揮できない。何をやっても途中で投げ出し自分への不信感から抑うつ状態になる。何がしたいかわからない生きづらさの起源は、こんなところにあったりします。

 

 

●振り回されタイプ

HSPと共感性の高さによる生きづらさ

 

社会は危険ですが、社会を回避しては生きることが非常に困難になります。仕方なく、鴨が葱を背負ってしまうように社会という人間のところに降りてゆきますと、悲痛な心の叫び声、片頭痛で弱っている人もいれば、上司から注意されて落ち込んでいる人、ご夫婦仲の険悪な感情を持ち込んでいる人もいる。

 

なぜあの上司は眼光を牙のようにして苦しんでいるのでしょうか、たくさんのこうしたみんなの感情が私の心になんとかしないとと訴えかけてきます。どうか今日は職場の空気が険悪にならないことを願って何とかしてゆかなくては、、、、。 

 

共感したくなくても、わずかな外界の情報だけでその人の状態を「自分のこと」のように感じてしまう能力を持った人たちがいます。人の感覚は千差万別で、たとえば後ろに立たれただけでも、皮膚感覚がくすぐったさを感じたり、恐怖感から鳥肌立つ人もいます。胃カメラに何ら抵抗のない人もいれば、全く受けつけない人もいます。

 

これと同じように、感覚が過敏な部類のHSPの人たちは、瑣末な他人の感情でさえもそっくりそのまま取り込んでしまうため、社会生活を絶えず他人に振り回されて、自分軸を失う生きづらさを感じやすくなるかも知れません。

 

しかし、この共感性の高さは、誰もがなし得る能力ではないため、非常にクリエイティブな活動に結びつく能力を持っています。自分軸さえ確保できて、ここに行けば安全でぶれないという場所さえ見い出せば、その活躍は期待できるものに変わってゆきます。

 

●当ホームページのHSPはこちらから

生きづらさで起きていること:本当の自分教という憧れ 

 

自分のしたいことが知りたい、見つけたい、それさえわかれば幸せになれるという幸福論をだれもがもっています。しかしこの命題を信奉するあまり、「本当の自分教」がかえって自身を見失わせてしまう場合があります。

 

自分のしたいことが、実は他人に依拠したもので、他人がしてほしいことを自分のことのように何十年もし続けて出世と成功を求めるあまり、仕事に失敗し借金から大事な家族や友人たちにも見放され、ある時、暇を持て余して公園の樹々に集まる雀たちにを観察していると、仮病で学校を休んだ少年時代にラジオAM放送の電波の悪い周波数から新聞のラジオ番組表には出ていないとある放送局を受信して、この時間のこの地域でこれを聴いているのは自分だけだという言いしれぬ感覚を覚えた時の記憶が蘇り、目が覚めたという方が来院されていました。それからその方の本来の自分は開花し、変化と成長がはじまりました。

 

「浦島太郎は玉手箱を開けておじいさんになったけど、わたしの場合は玉手箱を開けたら少年時代にもどってしまった」とお上手なジョークまじりに仰っていました。「一体自分は何十年間、実際の自分を間違って思い描いていたのだろうか」とつけ加えて

 

生きづらいと思ったときが成長と変化のはじまりです。ご来室をお待ちしております。

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

コメントは受け付けていません。

トラックバックURL

https://shizuko-o.com/kanri/wp-trackback.php?p=5649

ページトップへ戻る