コラム 2023/01/19 (木) 11:59 AM
・対人関係が苦手
・スキンシップに嫌悪感を覚える
・自分の心に尋ねてみると、人間に対する平穏な心よりも怒りや不信感の方が優先する
・人間への怒りや不信感を隠しながら平静を装わなければならない
・常に自分と他者に嘘をついているような気がする
・自分に素直になることに違和感を覚える
愛着障害とは、乳幼児期に養育者や保護者との関係の中で、厳格さや体罰、虐待、無関心によって負の感情ばかりを経験したことで、人からの好意や愛情へのレスポンスの仕方がわからなかったり、違和感を覚えたりすることで社会性や人間関係に問題を抱えてしまう障害です。
相手からの愛情や好意に対しての応答が、怒りや無関心となってしまうため、特に恋愛関係ではトラブルが多くなります。
幼少期に形成された親との不安定な愛着は、成人すると人間関係のトラブルが顕著になります。
心が言う事を聞いてくれない、発作的に自暴自棄になる、自分でもコントロールできない感情が襲ってくるなど、その恋愛関係は同じ行動パターンや同じ過ちを頑固に繰り返します。
・何度も遅刻する、約束が守れない
・ケンカと仲直りを頻繁に繰り返すコミュニケーションが多すぎる
・私が懸命に伝えたいことを、相手は「でも、、、、」で否定される会話ばかりだ
・過去を振り返ると、気が合わないパートナーばかりを選んでいる
・パートナーにアルコールやギャンブルなどの依存症がある
・働かないパートナーの世話を焼くことが多かった
・「いつかこのパートナーもわかってくれるはず」という言葉にできていない信念と希望が 漠然とある
こうしたトラブルが起きるとき、第三者が本人にもっといい方法をアドバイスしても、うわべは聞いているようですが、アドバイスした側は「どうして!?また!?」とびっくりしてしまうほど再び同じ行動を繰り返します。
愛着障害の人のなかには、相手へ「試し行動」をしながら、相手の愛情の信頼性を無意識に確認している場合があるかもしれません。無意識にわざとパートナーを怒らせたりしま事があるかも知れません。こうした常同行動にパートナーは怒りの感情を誘い出され、関係性が悪化したりします。「やっぱり怒った!この人も同じだ」と。
こうした行動は幼少期に形成された心の不安定さを再演していますから、当人にとっては「今、ここで」という現在の時間のことは二の次になっています。
「今、ここ」にいるパートナーの実像を見てませんし、今ここにいる私の状況も見ることができません。
今ここにいる二人の経済状況も把握できてませんから、「あなたはわかっていない!」「お前こそ勘違いするな!」「もうたくさん!!」「上等だ!」などと対立やケンカがはじまります。
あなたにとっての幼少期の特定の養育者や保護者はだれでしょうか?
真っ先に頭の中に浮かんで来る人は?
この浮かんで来た特定の養育者のイメージに不穏な空気が漂っていたり、マイナスの感情がプラスよりも優先したり、例えば怒りを感じたり、怒りを覚えると同時に恐怖を感じたり、甘える自分が甘えるものかと反発したり、優しくされると素直になれなかったり、独りで生きてみせる、他人の手は借りないとストイックになったりと、そんな感情によってあなたの思考が妨害される心理状態は、ほぼ不安定型の愛着にあてはまります。
不安定型の愛着の人は心の奥のほうにある「わたしを無条件で肯定してほしい」という欲求を素直に表現する術を知りません。肯定よりも否定に晒されてきた環境の心理は、自己否定やネガティブな環境を自分の居場所として選んでゆきます。
自分が救われないどん底ぎりぎりの状態まで陥らなければ、他者への自分の愛情表現をしてはならないという信念があります。あれもこれも許してくれなかった保護者や養育者の掟や規律が「お前!そんなことが許されると思っているのか!」と今もあなたを否定し続けています。
自分が救われないどん底ギリギリの状態は、人から「何か手伝おうか?」といわれると、「いいです、大丈夫です」と拒否するパターンの積み重ねによって形成されます。抱え込み、ストレスは蓄積してゆくと、幼少期の孤独と怒りと悲しさが再演されます。すると、このあなたの大変さを見るに見かねてなんとかしようと、その人はあなたを恋愛のパートナーに選びますが、、、、。
そのパートナーはトラブルの仲裁役だったり、いつも独りぼっちでいるあなたに気がついてくれたり、元気のないあなたを元気したい欲求にかられたりする人物だったりします。あなたのどん底ギリギリの状態を放置しておけない好人物です。
ところが、あなたがどん底状態でないとき、そのパートナーは退屈していたり、憂うつであったり、不機嫌だったりします。抱え込み疲弊している元気のないあなたを元気にしてくれる筈だった人は、あなたが安定して、幸福を感じ、素直さや信頼を感じはじめると、自分の役割がなくなってしまったと感じはじめます。
ふたりの関係は悪化してゆきます。アルコール依存症の夫とその妻の関係でいうところの、いわゆるイネーブラーと呼ばれるパートナー(妻)は、夫が断酒(自立)できないように夫の世話を焼き続ける構造とよく似ています。
相手に「何か手伝おうか?」を言わせてしまう人と自分から「大丈夫?手伝おうか」と声を掛けてしまう関係の前提には、愛情以前に「困っている状況」の中の人間関係が設定されています。アメリカ映画によくありますが、救出劇の困難を突破した二人が結ばれるパターンのほとんどはハッピーエンドです。
しかし、その後、なんの困難にも出逢えずに時間が経過すると、二人は役割を失い破局に向かってゆく場面は描かれていません。このように、二人は「無条件でそのままのお互い」に好意をよせているのではなく「精神的に困難な状況」に愛着を感じて引きつけられ、その状況を失うと、別れて再び別のパートナー探しを繰り返します。
幼少期に養育者や保護者からの虐待やネグレクトによって形成されたトラウマは、こうして何度も再演されます。自分の心の状態を見て考え修正するという作業はトラウマや愛着パターンによって妨害されますから、同じ過ちは何度も繰り返されます。
幼少期の愛着形成でトラウマの問題を抱えたままの恋愛関係では、相手の実像を感じたり見たりができません。トラウマは恐怖や羞恥心によって相手の実像を歪めますし、愛着は「わたしを無条件で肯定してほしい」という巨大な感情で思考や判断を妨害します。
この二つはパートナーを理想の養育者に見立てて投影されますから、そのパートナーは「私はこういうタイプの人間だよ!」と自分の価値観を訴えても、相手には届きません。相手はあなたではなく、理想の養育者や保護者を見ています。
お互いが通じ合えないこの関係は、「どうしてあなたはわかってくれないの!?」というやり取りばかりとなりとなります。とうとう破局をむかえてしまうと「また、やってしまった」と一時反省のフリしますが、解決策を見いだせずに愛着の感情の荒波に再び飲まれて同じ過ちを繰り返します。
なぜならば、反省や内省、自分の心の声を聞くという思考や判断につながる行為そのものが奪われているからです。
このようにトラウマと愛着の問題には、巨大な感情ばかりが優先してしまうため、反省のフリをして自分の改善点を理解したとしても、再び「私を無条件で肯定してほしい」が相手に向かって大声で叫んでしまいます。
相手の価値観を無視してしまうほどの感情は、相手が望んでもいないのに、これだけ尽くしたのに見返りがないと不機嫌になったりします。自分は実際のパートナーの実像を見失っていることに早く気がつけることが、非常に重要となります。
「私」は養育者との関係が安定していた
「私」は養育者との関係が不安定であった
日常生活では心理系の学生さんでない限り、皆さんは保護者との安定/不安定を意識して感じることは多くはないと思います。何か日常生活で生きづらいと強く感じたとき、きっとそれは頭をよぎることでしょう。この「頭をよぎるそれ」があなたの愛着の声となるでしょう。
日常会話では、わたしたちは「私」という主語を省く場合が多いですが、この主語を端折ったレベルでの行動パターンには、意識的な思考よりも感情を伴った行動が先行しやすくなります。心の中の無意識に問題を抱えているとその感情の伴った行動パターンはトラブルを多発させます。
悲しくなるほどの寂しさに襲われる
相手の言葉や態度、表情に絶えず不安を覚える
相手のちょっとした言動に怒りを抑えることができない
楽しければなんでもいいと常軌を逸してしまう
こうした喜怒哀楽は、今ここにいる自分の状況や能力を見失わせ、自我は自分の感情の支配下に置かれた状態になります。ほんの短い間、冷静さを取り戻すと「またやってしまった!!」という後悔と羞恥心に襲われます。ちょうどお酒に酔っている人と同じように、あなたの無意識は感情に溺れ、酔える機会を今か今かと待っています。
「いつかきっと、、、」という親の愛への幻想は、こんなかたちであなたの思考や現実感覚を奪ってしまいますから、まわしぐるまの中のハムスターのように同じ場所をいつまでもぐるぐるとまわって変化が訪れません。そして、この親の愛への幻想は恋人に向かって襲いかかると、このパートナーは無理難題を言う割には、何もわかってくれていないと別れと出会いを繰り返します。
幼少期に養育者との愛着によって形成された無意識の言い分を鎮静化することが、心理カウンセリングの治療にとって重要な作業となります。一般にはその愛着は心の「癖(クセ)」のように呼ばれていたりするかもしれません。
けれども、それを「癖」と名付けてしまうと、そこにはもう問題はないと自己解決してしまったり、それが自分の持ち味とか運命などと呼んでいたりします。「癖」は漠然と感じ取っている場合が多く、「癖」には思考がなかなか伴いません。
だから自分の「癖」を人から執拗に指摘されると、その指摘した相手から自己否定されたように感じた経験はないでしょうか。私には何の問題もないのになぜこの人は私を傷つけるようなことを言うの!?という経験です。「癖」は相手から客観視されることを嫌がります。それは他人からの嫌がらせ、非難、侮辱、屈辱に置き換わります。
「癖」を冷静に思考する機会が奪われるということは、問題解決の機会を奪われることと同じです。「癖」のカラクリは、あなたから思考を奪うので心を内省できません。けれども、恋愛のトラブルは繰り返されるので、どうにかこの「癖」を肯定しながら、自分が自分の罠にかからない方法はないものかと思います。
そこに気づきや変化へと促す場所が心理カウンセリングです。
FAP療法は、思考や判断の妨害するトラウマを治療することで、今ここにある実際の私を知ったり、感じたりする効果を過去に発揮しております。そこから「わたしはどうしたいか?」の発見が生まれます。自分を知らずに歪んだまま世界を見ている時は、相手さえも正確に理解することは困難です。相手を正確に理解できたとき、あるいは自分を正確に理解してもらえたとき、お互いに愛が生まれ、相手をかけがえのない存在と思いはじめます。
自分にとって問題ありのパートナーばかりを選んでしまうのは、不安定な愛着が形成された時の過去の状況を再演しているだけで、相手を何も見ていないお互いが孤独で寂しい関係から違和感を覚えるでしょう。
自分の心の声の妨害に
あなたもお心当たりはございませんでしょうか。
ご来室をお待ちしております。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
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