コラム 2022/11/23 (水) 5:00 PM
どんな基盤があれば、それほど社会、集団、人間関係を風のごとくかわして自分が安定していられるでしょうか。 この基盤を揺るがすものが、世の中には溢れているかも知れません。 その逃げ場としてベクトルは2つの方向に向かいます。
㈰ 過剰に疲労や被害、不安や恐怖を感じる結果、人と社会から距離を置きたくなる
㈪ 過剰に不安や孤独を覚える結果、無暗に交友関係を広げなければと他者へ好意を演じる
㈰と㈪はオルタネイティブな関係で、時に交互に入れ替わるかもしれません。 どちらも内的不安が端緒となります。不安は均衡が保てません。ぼんやりしています。 なぜかわからないけど、、、、のように、不安は心の奥の無意識の声です。
そして㈰と㈪の共通点は、どちらも「過剰」であるということです。
その「過剰さ」の調整役として、あなたの無意識はあなたを不安へ追いやってしまうかも知れません。
「そっちにいってはダメ、自分を見失うだけだし、みんなからあなたは勘違いされちゃうよ!」
無意識はこのようにあなたに警告して、日常生活で問題を起こします。ところがあなたは人から勘違いされるかも知れない方向へ自分を仕向けてしまいます。
すると、人との会話や学業、仕事への集中力が低下し、書き間違え、言い間違え、上司に依頼された仕事Aを処理するつもりが、Bの方にとりかかって注意されるなど、こうした錯誤行為が増えると同時に確認回数も強迫的に増えますから、効率の悪さに自己肯定感も失われて行くかも知れません。「周りも自分の様子がおかしいと思っているのでは?」という自意識過剰が生じます。
しかし、「今までのやり方では、健康にも幸せにもなれないよ、今一度、自分を内省しないと現実の状況はちぐはぐで一向に把握できないよ」と無意識は言うでしょう。
ですから、メンタルのバランスを崩しそうになった時こそ、「自分に優しく出来る時間が私にやって来た、ひとまず社会はカッコ内に入れて”私はどうしたい?”について考えたり、感じたりしなさい」と私の力(無意識)が訴えていると思って下さい。
私の無意識が私にバケーションをプレゼントしてくれているのだと思いましょう。 そして、このバケーション(心の問題)には大切な意味があり、その意味に気づいていただく場所が心理カウンセリングです。
大人は「遊び」をついつい失ってゆきます。あなたにとっての「遊び」は何でしょうか。「趣味」というと品がよく聞こえます。「趣味」ではありません。「遊び」です。
「遊び」にはどこかルール違反の匂いがします。このルール違反ギリギリの圏域が「遊び」です。公衆はその「遊び」を目撃した時、「実際にはやるはずがない」と思って安心します。こどもの遊びでいうところの「~ごっこ」遊びのことです。
しかし、この「ごっこ」という空想の世界を描けなくなった時、快活さと能力は停滞してしまうかも知れません。本来、能力は猪突猛進型であるからこそ、成長してゆくものです。ある種の愚かさと茶目っ気とユーモアがあります。気兼ねばかりの鎧を着ていては能力は萎縮してしまいます。
ところで、「創造」の世界に「遊び」がなければ、ギリシャ神話で登場する人馬のケンタウルスやセイレン(人魚)も生まれなかったでしょう(人馬も人魚も一体何の意味があるのでしょうか。けれども、数千年前から人類の美や英知、物語になっています。)。
つまり、このダイナミズムこそが「遊び」です。それは社会や人々がばかばかしいと相手にもしない、幼稚な世界として扱われ抑圧されています。
なぜでしょうか。その力を発揮されると、周囲の人にとっては都合がわるくなるからしょうか?
時々、理由もなく寄り道をしてみたくなったり、いつもと違う帰り道を歩きたくなる経験はないでしょうか。そんな時、心の何処かに、いつもとは違う発見があるのではという期待感が湧いてきます。 この感じが、あなたの能力や才能の芽の筈です。
こうした遊びを奪われると、人間関係への怒りが蓄積してしまうかも知れません。怒りは出口を失うと鬱屈してしまいます。それはよく「ストレス」と呼ばれています。その環境はいつも集団で構成されます。例えば、学校であり、会社であり、家族であります。
こうした「労働」によって、「遊び」は「ストレス発散」という言葉に置き換わります。「ストレス発散」は、明日の「労働」に耐えるためのガス抜きであり、「遊び」とはいえません。「ストレス発散」が慢性化すると、依存症に発展するかもしれません。
「労働、学業」か「遊び」か。このバランスが問題です。「遊び」を失うと、時にそれは「常識」や「大人」、「合理性」、「利便性」という一般性を求める言葉に置き換わります。これらは「労働」こそ世界の中心であり、人々からの賞賛に値する行為であると高々に押し付けられているかのようです。この圧力が、心の問題=塀の向こう側という排除を形成します。
学校や職場の環境は、以前に比べればメンタルケアへの環境整備を推進しています。しかし、不登校、うつ病や適応障害などで休学/休職から復帰しても、どこか罪悪感や居心地の悪さを覚えてしまうという方は多く見受けられるかもしれません。
心の問題によって、これからクリエイティブに変貌する自我の成長を、企業や学校という集団的権力はどうやら認めたくない体質を少なからず持っています。そして、その圧力は人間関係という集団によって形成されます。
㈰過剰に疲労や被害、不安や恐怖を感じる結果、人と社会から距離を置きたくなる
㈰の場合をDSM-5(精神疾患の分類と診断の手引き第5版)からいくつか取り上げますと、以下の精神疾患があります。
【不安症群/不安障害群】
●分離不安障害
愛着をもっている人物からの分離によって強い不安や苦痛を感じる。愛着のある人物が死んでしまうのではという心配は、睡眠中に悪夢として反復したりします。分離恐怖によって、学校、職場、外出が困難になります。頭痛、胃痛、嘔吐などの身体症状も伴います。子どもや青年では4週間、成人では6か月こうした症状が持続します。
●社交不安障害
他者からの視線によって、自分の言動に強い羞恥心や自律神経の乱れ(赤面、動悸、発汗)を禁じ得ず、社交の場を回避します。
●パニック障害
こちらも自律神経の暴走(めまい、強い動悸、発汗、窒息感、しびれ、はきけ、寒気、熱感、死への恐怖)によって、引きこもらなければならない状態になります。
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【パーソナリティー障害群】
社会の中で期待される行動様式や認知、感情表現、対人関係、衝動の制御に、強いこだわりや偏りがあるために、社会生活で苦痛を感じるのがパーソナリティー障害の人たちです。
●回避性パーソナリティ障害
他者からの否定的評価や非難、批判への恐怖によって、社交を回避します。好かれていると確信できないと人間関係を持ちたがりません。たとえ親密な関係でも、嘲笑や恥への恐怖を持ち続けています。羞恥への不安と不全感がつきまとうため新しい活動や対人関係を持ちたがりません。非常に引っ込み思案です。
【気分障害】
●うつ病
うつ病は、学習や労働意欲を根底から奪ってしまいます。一日中気分消沈のため、他者には自分のせいでみんなに申し訳ないと強い罪悪感から、希死念慮にとらわれたりします。しかし、何もかもがままならないイライラで、非常に怒りっぽくなったりします。
睡眠、食欲、性欲は減退し、慢性的な疲労感や肩こり、腰痛、頭痛などの身体症状があります。怒りの抑圧が大きな原因になる場合もあり、怒りを上手に表現できない人間関係が我慢の連続となって、人間関係を回避できるうつ病という状態を無意識が選択しているかもしれません。
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㈪過剰に不安や孤独を覚える結果、無暗に交友関係を広げなければと他者へ好意を演じる
●HSPの人たち
人口の5人に1人がHSPといわれるほど、身近な性格傾向です。 HSPは生まれついての性格なため、環境因による後天性は少ないようです。
生まれつき共感性が高く、他者への感情移入が起きやすいため、その行動は他者にとっては非常に思いやりがある人と捉えられてしまいますが、当人はその繊細で敏感な部分が禍して疲労困憊してしまいます。
好人物であるがために人々に振り回されて、対人関係を避けたい筈が、それをストップできず、自分以外のものの力によって突き動かされるかのように他者への好意を演じる苦しみ巻き込まれてます。
その敏感さは、臭い、音、色、まぶしさを過剰に感じさせることもあります。共感性のレベルを下げて、自分の能力が自分に向かうための治療が重要となります。
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●アダルトチルドレン
HSPの生まれつきの性格傾向とは異なり、家族という家庭環境によってアダルトチルドレンの問題は生じます。親子の役割が入れ替わる家族機能不全によって生じます。
親による虐待や家族の不仲によって、いつも親の仲裁役や慰め役、親からの愚痴や八つ当たりを受けなければならなかった人たちは、社会に出てからも、自分の意志とは反対にその役どころに収まってしまいます。これによって、ストレスを高めてしまうと、複雑性PTSD障害や依存症の問題を抱える場合もあります。
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●複雑性PTSD
複雑性PTSD障害を形成した環境は、その愛着形式が人間関係への怒りや嫉妬の問題として出現します。怒りや嫉妬を回避するために人を避けたり、あるいは強い気遣いから人前で嘘の自分を演じてしまったりする傾向があります。
複雑性PTSD障害は、特に幼少期から家庭内での虐待(身体的・性的)、ネグレクトの問題が日常的に続くことによって発症します。
大人になっても幼少期の影響が人間関係の様々な場面に影響しますから、自分の本来の気持ちとはかけ離れた方向に引き寄せられてしまいます。自分が一体何なのかがわからなくなるほど解離症状を覚える場合が多く、それは記憶障害を生じることが多々あります。
幼少期から親の怒りや嫉妬に恐怖する虐待トラウマが日常茶飯事であった場合、その人間関係は、「演じること」か「回避すること」かのいづれかの選択を余儀なくされます。
本来の自分の感覚や能力や喜びや楽しさや安心感が湧き上がると、虐待トラウマのフラッシュバックが突如現われ、その恐怖によって、あなたの成長を許そうとしません。
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「わたしはどうしてみんなみたいになれないのか?」
人間関係や集団の中の私という自意識は、自分と他者との差異を日常的に強く感じているために発生します。こうした自意識は劣等感や自己否定感につきまとわれ、心の硬直化とともに「遊び」の感覚が奪われてゆきます。どうにかしてみんなの価値観に追いつこうという焦りと不安が煽られます。
まるで、見えない心の支配者に怒鳴られ、鞭打たれているかのように「みんなの中に所属しなければ、お前はダメだ!ダメだ!」といわれているかのようです。そして、この怒声を長きに渡り聞き続けていると、自分の中に異物としての信念が根を張ります。
生まれた時から、自分の気持ちとはかけ離れた所にいるような気がする。 しかし、その信念が自分と一体化していると、長年そうしてきたんだからという気持ちによって変化や成長は阻害されます。
信念という言葉は、長い年月をかけてその型を作り上げた魂の籠る言葉に思えます。しかし、その信念があなたを苦しめているとしたらどうでしょうか。
信念の方が権力を持ってあなたを監視していることは多々あります。ところで魂がやどっているその信念は、一体、誰からの贈り物(怒り、嫉妬)だったのでしょうか。自分の気持ちはその信念の影(怒り、嫉妬)で、陽の目を見れず、遠慮、譲歩、謙虚、協調こそ私の美徳だと言い聞かせていませんか。
自我の成長を妨害する原因には、養育放棄による見捨てられ不安や親子間の虐待トラウマの問題が必ずといってよいほど関わっています。あなたをマイナスの方向へと虐待トラウマはいつの間にか導きます。そのため、人間関係で問題を起こしても起こしても、同じ過ちを何度も繰り返します。
トラウマの恐怖は、あなたの成長を阻む心の支配者の弁護に回るかもしれません。
そんな恐怖を与える支配者を弁護してきた自分が「おや?思えばあの信念は一体なんだったのだろうか?」と思わせる治療法がFAP療法の特徴です。自分の変化にすら、気がつかずにあなたの「遊び心(無意識の声)」は人間関係、職場、学校などで解放されて、本来持っている自分の能力が活用できるように全力を尽くしております。
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