毒親 2022/06/18 (土) 2:16 PM
「毒親」という言葉は、スーザン・フォワードの著書『毒になる親 一生苦しむ子ども』(講談社刊、玉置悟訳)の中から生まれた言葉です。定義そのものは概念が広く曖昧ですが以下の特徴を持った親を指して表現されています。
・子どもを支配する
・子を傷つけたり、罵倒する
・過干渉
・過保護
・価値観を押し付ける
・養育放棄
・安心できる家庭環境を子に与えない
これらの意地の悪い行為に発作的に走ってしまうのは、
「私もあなたと同じようにやってきたの」
「これくらいで泣かないの(生きていけないよ)」
「この程度が過酷なの(これからどうするの!?)」
といった毒親自身の苦労と嫉妬と怒りの渦巻く無意識の中の声が無機質な防音室でひとりぼっちで叫んでいるからかもしれません。
なぜ、ひとりぼちなのかというと、目の前にいるわが子の実像が見えていないからかもしれません。わが子に過去のご自分を投影しているため、いわば「鏡」を見ている状態と等しいと言えるかも知れません。
こうして子の自我はないがしろにされ、身体的虐待、精神的虐待、性的虐待、ネグレクトにまで発展し、子に深刻な悪影響を与えてしまうかも知れません。
それ故「毒親」とは、子にストレスフルな環境を与えていることに気づけない、心の闇をもっている親と表現できるかもしれません。
「気づけない?」否、何かに「気づかされない」ままなのかもしれません。カウンセリングの中で、その何者かが気づかせないあなたの中に、実はご自身の能力、才能、個性が秘めていたと気づかされることが多々あります。
上に取り上げましたように、「毒親」の愛情表現は子の自我を包み込み、文楽の人形遣いの黒子のように手取り足取りすることだと「毒親」は身体で感じているかも知れません。
しかし、心の片隅にある小さな声は、「あの子への過干渉がやめられない、わたしは支配的でおかしいの?」と自問し苦しんでいる時もあるかも知れません。
怒りが巻き起こす自暴自棄な感情は一つの罠かも知れません(その怒りも本来はあなたの怒りでないかもしれません)。
「心の片隅の小さな声」に耳を傾けることのむずかしさは、毒親であればよくわかっています。また「毒親」という言葉には時代劇さながらの勧善懲悪的なニュアンスが漂っています。
「毒親」心理を抱えた人が自分を振り返ること、つまり、「心の片隅の小さな声」に耳を澄ますことを何者かに禁止されないことが大切かも知れません。そして、この「心の中の何者か」は、必ず、あなたが自分自身を知ることを阻止しているかも知れません。
自分自身の親に対して絶対的な尊敬しか許されない場合、子の自己の成長は停滞してしまうかも知れません。家の中で親が王として君臨し、否定されることもユーモアを交えて親を揶揄することも、あるいは親の短所と長所を見極めることも子にさせないことは、現実的で等身大な親を隠蔽することになります。
「うちの親は、実際は、、、、でダメなの」という発言を子に許さなかったり、たとえ子が心の中でこうした発言をしていたとしても、子の心は親への罪悪感と恐怖でいっぱいになっていたりします。それは子が怒りのやり場を失った状態でもあります。
親の実像を表現させないことは、親と子の間に秘密が生まれます。子は家という要塞の中で従者となり、自己を表現することも自由を謳歌することも、自分の感覚を感じることもできず、親の顔色を伺いながら心の成長をやめ、体だけ生物学的に成長してゆきます。
親は常に強い不安の問題を抱えています。間違えたりミスをしたりしない安心できる従者を側に置いていたい願望を持っています。こうした親は子をチェックするためにたくさんのテストをします。
たとえば、親が不調の時は、先を読んで家事をしておく、ご機嫌をとる(どうか怒らないで!)、親の愚痴を聞くなどです。子を試すことで完全に子と親の役割が逆転します。一般に言われている機能不全家族の状態です。
『毒親』は、アメリカの医療関係のコンサルタント・グループセラピスト・インストラクターのスーザン・フォワード(Susan Forward)が、1989年に出版した書籍『Toxic Parents, Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life』で、初めて使われた言葉です。
この本の邦題は『毒になる親 一生苦しむ子供』として1999年に翻訳・出版されていますが、原文を忠実に訳しますと『有毒な親-親からの痛ましい遺産を克服すること、そしてあなたの人生を奪還すること』と訳せるでしょうか。
legacyには先祖伝来という意味を含みます。hurtfulはラテン語のtrauma(トラウマ、心的外傷)にやや近い意味があり、精神的な痛み、心の傷の意味があります。reclaimには「返還を要求する、奪われたものを取り戻す」という強い自己主張の意味があります。
もう少し砕いた訳をしますと『毒親から受け継いだ根深いものを克服して、自分の人生から奪われたものを取り戻す』と言い換えることができます。
たばこやお酒は害だとわかっているのにやめられない、就寝前のネットサーフィンが抑止できずに不快な朝が連続している、歩きながらのスマホでゲームに没頭してしまうなど、自分を律することが不可能となり、心と体に害であるとわかっていてもやめられない日常行為は「依存」とよばれています。
耐え難いストレスを自らに引きつけてしまう性格傾向の人は、「依存」という「毒」を過剰に求め、それを服用することで心のバランスを保とうとします。長期化する依存対象に当人もうんざりし、自分をコントロールできない不安と焦りが心身をさらに蝕んでゆきます。
このように自分をコントロールできない心の状態は、「依存」=「毒」を好んで服用します。自分をコントロールできない心は、謎の自分を抱えています。悪い習慣とわかっていても謎の自分の方が支配権をもっています。
毒親と呼ばれる人たちも、謎の自分の支配下の人たちです。幼少期に家庭内で虐待やネグレクトなどの恐怖や不安を体験してきた過去は、毒親と呼ばれる人たちに、毒を毒と感じ取らせない心の状態を強要しているかも知れません。自分の感覚を毒によって麻痺させています。謎の自分といつも隣り合わせになっているかも知れません。
次に、「依存」の傾向と近似したもののひとつに「愛着」があります。執着する点は「依存」と「愛着」と「愛着」の共通項ではないでしょうか。「依存」は不健康なニュアンスがありますが、「愛着」には健康な側面と不健康な側面がそれぞれあります。
人は絶対に安全な「安全基地」を幼少期に親と子の愛着形成において刷り込まれてゆきます。「ここに帰ってくれば安心できる、だからわたしはなんでも表現できるし、怖くない」と思える場所が幼少期の子にとっての「安全基地」です。親は子に対するこの機能を持っています。
その愛着形成が、親からの虐待やネグレクトによって歪んでしまうと、成人してからも安心できる「安全基地」を強く求める気持ちは、たとえ歪んでいたとしても止むことを知りません。「歪んだ安全基地」を希求するエネルギーが子に向うと、「過干渉」や「過保護」の状況が生まれます。時にそれは規則違反をした子に対する虐待行為というかたちで親は表現しているかもしれません。
一般にいわれる「虐待の連鎖」には、こうした心理が潜んでいます。安心願望を持つ親は、その対象をわが子にしています。「過干渉」や「過保護」は、親の強い不安がもたらす「過確認」行動といえます。またしても、「心の中の何者か」が、あなたの「過確認」を簡単にはやめさせてくれません。
「私もあなたと同じようにやってきたの」といって子に無理難題をつきつける
「これくらいで泣かないの(生きていけないよ)」といって身体的虐待と怒りの発作が止まない
「この程度が過酷?(これからどうするの!?)」と自己肯定感を与えない
これらの発作的な意地の悪い行為に走ってしまうのは、「毒親」のトラウマに問題が潜んでいます。
「危険が過ぎて長時間がたっても、外傷をこうむった人はその事件を何度も再体験する」*のは、「侵入」とよばれる複雑性PTSD障害の一症状です。このトラウマの再演によって、虐待行為がやめられなかったり、わざわざ危ない場所や身の危険を感じるようなこと、反社会的なことに引き寄せられてゆきます。
* 『心的外傷と回復』(J.L.ハーマン著、中井久夫訳)
こうした環境下の「毒親」の子は、嫌いなものや自分にとって楽しくもなければ役にも立たないことに、我慢、根性、気合いなど精神力をついつい発揮して、心のエネルギーの無駄遣いを当たり前と思って頑張っています。
そのほとんどは自分のためのものはなく他人指向の傾向がありますが、一見、道徳的な行為でも心には怒りや憎悪の問題を抱えています。怒りの表現方法は道徳や躾の姿を借りて虐待へと変貌します。
そしてこの代々継承される怒りの問題は虐待を連鎖させます。親の顔色を伺い、気遣う子ども、親のために家事をする子どもなど、子と親の役割が逆転した機能不全家族と呼ばれる家庭環境が形成されます。親の生きづらさはこうして受け継がれ、その子はアダルトチルドレンとよばれます。
毒親は幼少期の愛着形成に不安や恐怖、ネグレクトの問題を抱えています。つまり、安心できる安全基地としての機能を持たない家庭環境で養育されてきています。
娘さんの摂食障害、リストカット、息子さんの不登校、引きこもり、ご主人のアルコール依存症などの家族全体を巻き込むトラブルが発生すると、その毒は少しずつ意識化の方向に向かいますが、本人はこの事実を拒否したり、否認し続けます。
本当の恐怖は無意識下に常駐する教祖(毒親の親)からの叱責と罰です。つまり、毒親は毒を好んで服用している訳ではなく、その恐怖やその不安を回避したいなら、この毒を服用していなさいという命令に従っていなければなりません。
このように毒親の背景には、以下の問題が潜んでいるのです。
①家族全体を巻き込んだ機能不全家族の問題
②幼少期に形成した親との愛着によって情緒面と対人関係とが不安定な愛着障害の問題
子が毒親から「奪われたもの」とは、自分自身が「感じ」、「考え」、「行動」するという判断力の土台のような部分です。それ故、毒親の子の場合、自分の頭で判断する前段階で、毒あるお母さんやお父さんが隠れた表象として無意識内に登場します。
無意識の中の事なので、毒親の子本人にもそれに気がついていないことが多々あるかも知れません。それ故に、毒親の子は親を取り払ったときの素のままの自己を感じ、社会で実践したことがありません。ためらいと遠慮が常につきまとっています。
自己を感じることは、掟を破ることとなります。親はそれを許しません。親は子に執念深い罪悪感を与えます。例えばそれは、門限を厳しくしたり、行動の細部に至るまで干渉したりする方法で掟や規則でわが子をがんじがらめにしているかもしれません。いわゆる過干渉や過保護です。
毒親は毒親自身の親からの恐怖の問題を抱えています。恐怖は人にしがみつくことをやめません。しがみつく行動は「子が親へ」というのであれば健全です。そしてしがみつくことで親が子に安心感を与えられれば健全な愛着行動に思えます。
しかし、毒親は過干渉や過保護のやり方でわが子にさえもしがみついてしまいます。子はこの守れない規則に嫌気と絶望を感じ、「私はこの社会で生きてゆけないのでは、、、」という社会不安を子に感じさせ、毒親のコントロール下から脱出できないように暗示がかけられます。
「今にどうなるかわかっているんだろうね?」
「私がこんな目にあうなんて、お前は冷酷非道だよ!」
実際には、こんなに露骨な表現で親子が会話していないと思いますが、遠回しにほのめかし、「掃除はやらなくていいけど、ほこりは出さずにお部屋はきれいにしてね」のような表現を上手に使用します。
いわゆるダブルバインド(二重拘束)です。子がここでユーモア交じりに「ほこりを出さないんじゃ、お母さん、それは掃除しろってことじゃない!?」といった切り返しができれば健全なのですが、このダブルバインドの中に恐怖と不安が潜んでいることをアダルトチルドレンと呼ばれる毒親の子は感じています。
親に「私を見捨てるの?」「冷酷非道ね、あなたは」「(あなたは約束がまもれない!)門限は守って」「これで3回目だ(どうしてバカなの?)」「今日も調子がすぐれない(あなたのせいで)」「(あなたのせいで)頭が痛いから、家事はお願い」などと日常的にこうした言葉で子は毒親にコントロールされています。
子の自尊心は下がり、自己肯定感など望めません。いわば、毒親の親子関係は、無意識から伝送される謎の恐怖によって共同体を形成して、安心感を得ようと必死なのです。
毒親環境で生活すると、子の人権侵害や自由、平等を奪う行為も平然と行われていたりします。子は自分を感じるセンサーがブロックされているために「何か理不尽だし、おかしいぞ、抗議だ!!」という自己主張のための正しい怒りの感情を表現できません。
怒りの使い方が皆目わからないのです。あるいは、この怒りを表現することへの大きな不安を感じているかもしれません。
子にとって、その後の人生は本人(子)が背負って生きてゆかなければならないのに、毒親環境下では、常に家族間ネットワークによって脳を連動させています。
つまり、縦割り社会のように、上司に伺いを立てていなければなりません。この伺いを怠ると「あなたは冷酷非道」「見捨てるつまりかい?」「門限」という言葉で罪悪感や恐怖を子の心に抱かせます。
この親からのルールに何らの恐怖心も罪悪感も、もはや覚えなくなることが治療には不可欠です。それは毒親からのトラウマの恐怖を取り除く治療となります。
子には子の人生がある。親には親の人生がある。生物学的には、血のつながりがあるだけで、人生をよく生きるためには、親もご先祖も2番目、3番目、否、それよりもっとかもしれない。いつまでも子に対して私が産んだ子、俺が育てて養った子を振りかざすことが、健康でないと気がつかなければ、子は一生の大半をしあわせや喜びから遠ざかったところで生きなければならなくなります。
野生動物の親に支配的な親はいないと思いますが、野生動物は最後は独りで生きて、一人で死んでゆくことを、本能的にわかっているからでしょうか。死ぬまで面倒を見てほしい依存の感情はどこから生まれてくるのでしょうか。
精一杯自分を発揮できない、自分から喜びを見出せない、やり残した後悔の念ばかり、希望から遠ざかる自分しか知らない、つまり、本当の自分に遠慮や否定感があると、孤独への恐怖は強くなってゆきます。
心の深いところに居続けている恐怖のトラウマの実像は、感覚麻痺によって簡単には本人の意識に昇っては来ないかも知れません。その恐怖に直面すると、あまりの恐ろしさに自分が壊れてしまうことを「毒親」も「アダルトチルドレン」も知っていますし、地獄の葛藤を抱えて、解毒の方法を見つけたいと苦悩します。
この段階は回復への入り口に近づいていますので、トラウマという過去でしかないものから権力や支配力を奪い返すことが大切です。当院の治療では、FAP療法を活用することで、過去のトラウマの恐怖へ無理に直面化させない方法を行っております。
「あの恐怖は過去のものだ。もうこれ以上は、今ある現在の自分を過去に支配させない」
このように、過去を過去として整理し「本来の力」を発揮し、ご自分が活躍できる未来を発見して行く事がカウンセリングの目標となります。
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