複雑性PTSD 2022/06/09 (木) 10:59 AM
心的外傷、すなわちトラウマは、1985年、G.フロイトとブロイエルの共著『ヒステリー研究』の中ではじめて使用された言葉です。当初のトラウマの概念は、性的イメージに伴う羞恥心や嫌悪感は、公然と表現されるものではないため意識から遮断されます。
この情動的に発散されないエネルギー(リビドー)は抑圧されてます。自分自身でも気がつけない心の領域である無意識でリビドーはコンプレックスとなります。そのコンプレックスが精神疾患(19世紀では転換ヒステリー症状)を発症させるという概念でした。
20世紀、21世紀を経てトラウマ発症は、性的なイメージだけに起因するものではなく、戦争、犯罪、災害、暴力、劣悪な家庭環境、虐待などの反社会的、破壊的なことによっても心に固着すると解釈されています。耐え難い観念を引き起こす体験のほとんどは、今日、日常的にもトラウマ(心的外傷)と呼ばれています。
怖がること、男らしさ、根性、気合い、体罰による教示、こうした言葉に現代は価値を感じません。怖がらずに怖い体験をし続ける根性と命がけの男らしさ、理不尽にも耐え忍ぶ女性、親、上司、スポーツのコーチなどによる行き過ぎた体罰や恫喝、体を壊すほど無理をすること、これらの裏側には、トラウマを再演しているという心的外傷後ストレス障害や複雑性PTSD障害の症状以外の何物でのないと思える場面が多々あるかも知れません。
・怒られる場所に居続けてしまう
・お前はダメだと言われるとそれに夢中になる(克服したくなる)
・辞めたい気持ちもあるけれど、この集団から抜け出した後のことを考えると恐ろしい
・続けたいのか辞めたいのかが自分でもわからない
恐怖を道具にどこまでこの集団(家族、チーム、学校、職場)を叩き上げ、強くするかを続けると必ず事故や事件、怪我、秘密、事実の詐称疑惑などがついて回るかも知れません。
そして、その集団(家族、チーム、学校、職場)を離れてからも、耐え難い恐怖のイメージはあなたに憑いてまわり、自分はどうしたいのかわからない感覚麻痺の状態を強いることいなります
「自分が感じられない」という原因は、自分の心と体という全体性よりも、ある一つのメンタルな要素が、部分のまま統合できずに支配権を握ることにあるかも知れません。
ところで、心の中のある部分は、その心の所有者である自分にも意識するのが難しく、それはちょうど自分の背中は鏡を使うことや人から見てもらうことをお願いしなければ、自分の背中の実像をしっかりと把握できないのと似ています。いわゆる、「無意識」と呼ばれるものです。
「人間は自分の心と体を知らずに、謎の自分と生活をしている」
こんな表現が多少とも的を得ているといえるでしょうか。その謎の自分が恐怖に脅かされると、さらに謎々だらけの自分になります。過去に起きた恐怖体験は、謎の私の部分を監禁します。すると
・自分の欲求への感覚が鈍くなります
・我慢強いと褒められたりします
・断ることに罪悪感や恐怖が強くなります
・言われるがままに服従していることが多くなります
・何に対してもイエスなため、支配欲の強い人が近づいてきます
過去に遭遇した恐怖や不快な思いによって、自分自身にも気づかれないまま、毎日をやり過ごしていると、慢性の身体疾患や原因不明の症状に振り回されているかもしれません。
あまりにも毎日の事なので、本人もその周りの人(家族、親戚、友人、知人)も、その慢性病の状態が当たり前なことくらいにしか思わなくなるかも知れません。
「その慢性病もPさんの個性」や「これは我慢強いVさんの役割どころ」などと、周囲の人たちは無神経に表現しているかもしれませんが、特に怒りも覚えず、たくさんの人間に同じようなことを言われると、それは強い説得力となり、自己暗示となり「生きづらさ」の感覚はいよいよ強固なものに変貌します。自分の快不快が他人事で、我慢強いとほめられたりするといよいよ自分がわからなくなってしまいます。
こうしてトラウマは、あなたに未来を与えません。そして現在、心がどのような状況なのかも教えませんから、「私は今○○と感じていてここが問題なんだ」という内省や気づきを与えてくれません。恐怖体験という過去が人生の羅針盤になっているため、限られた能力しか発揮できず、人生は萎縮してしまうかも知れません。
過去の恐怖体験によるトラウマは、おなじみの役割や私の性格、私の個性と呼び続けているものに、動きづらさや不快を感じることを妨げてしまいます(感覚鈍麻)。それはサイズの小さい子供用の衣服を大人になっても着ている状態に似ているかも知れません。
『休養・こころの健康』と題して、厚生労働省のホームページでは「活き活きと自分らしく生きる条件」として以下の3つを挙げています。
1.自分の感情に気づいて表現できること(情緒的健康)
2.状況に応じて適切に考え、現実的な問題解決ができること(知的健康)
3.人生の目的や意義を見出し、主体的に人生を選択すること(人間的健康)
活き活きと生きてゆくためには、自分の気持ちに気づきがあること、現実的に考えることができること、持続可能であること、この3つがルーティン化すれば、いずれご自分が思い描いているイメージを実現することができると思えることです。
しかし、トラウマという主体性を妨害する雑音は、この3つを遠ざけて、怒られる恐怖、仲間外れにされる恐怖、身の危険を感じる恐怖、掟を破る恐怖などであなたを操っているかも知れません。
職場でふと頭に浮かんできます。「ああ、今日は面倒な案件に当たりたくないな~」と。けれども、隣のLさんはデスクに山積みの書類とたくさんのメールに返信しているのが眼に留まります。
「Lさん大変そうだな」と思った時に、Lさんと目が合います。挨拶もそこそこに、さっきまでの「面倒な案件は当たりたくないな~」という自分の感覚は薄れ、Lさんのデスクの上の書類へといつしか話題は変わります。何かに巻き込まれたのかなと思う余裕もなく、私はLさんに「その仕事変わりましょうか」と言っています。しかも、朝から軽い頭痛があったにも関わらず。常備しているバファリンを隠れて飲んでその仕事を引き受けています。
「今日は面倒な案件に当たりたくない」と人に向かって、なぜか言葉で表現できない。Lさんの状況を無視すると、天罰が下るのではという不安、つまり、恐怖への不安があなたを突き動かします。常にトラウマの恐怖に動かされていると、直観としての自分の感覚は後回しにされ、何時しか意識できない心の領域に蓄積してゆきます。それは他者への怒りとなり、本来の自分への怒りにもなります。
何の罪状もないのに自分を牢獄へ閉じ込めていれば、鉄格子をつかんで体ごと揺すりながら「出してください!」と叫びたくもなるものです。しかし、本人にはその声が自分の声に感じられません。誰かがいつも怒っている。Lさん?Bさん?それとも見知らぬあの通行人?
でもお願いだから私には怒らないで!このタイプの方は怒りの先回りをして、周りからは重宝がられるかも知れません。
この「重宝がられること」はみんなが笑顔でいてほしいという強い願望です。笑顔以外は、人はみんな常に怒っていると思い込まされています。このタイプの方は、人とシェアする沈黙も苦手ですから、対人している時に沈黙が続くと、心にもないことをやってしまったり、言ってしまったりして、はずれくじを引いてしまうかも知れません。
この得体の知れないものは、悪霊でも天罰でも妖怪でも魔女でもありません。そして、この恐怖を自分の心の中から退治できたとき、世界はカラフルに生まれかわります。
「あれはなんだったの?」 深い眠りと目覚めのよい朝って、これだったのね、はじめて知った!
虐待、いじめ、災害などの恐怖体験のトラウマ支配に患者さんが気がつけた時、それは本来の私の才能の入り口を見つけたことになるかも知れません。言い換えますと、トラウマに脅かされない心の中の無意識が直観的に「私はこうしたい!」「これをやってみたい!」「それは嫌い」「これは大好き!」などを表現できるようになることです。
人は町中を往来するとき、当たり前ですがぶつからないように歩いています。心と心もぶつからなければ、あるいは妨害されなければ自由にご自分が歩きたい方向に進めます。
面前に立ちはだかる支配的なものをあなたの心から移動して、「本来の私」を発見してください。
トラウマの人生に与える影響についてご説明を致しました。日常生活の様々な場面での生きづらさや問題は、背景にトラウマの問題が隠れている場合がございます。
カウンセリングルーム・グロースでは、トラウマの問題を専門とする相談室です。トラウマに関連する様々なご相談をお承り致しております。
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