共依存 2022/05/27 (金) 7:21 PM
近頃は野菜の方が衣替えのような時期であります。グリーンピース、そら豆も収穫時となります。
「その後、跡地に何を植えようかな?」って考えている事があります。茄子を2株植えたのですが、もう少し植えてもいいかな?って感じであります。
「焼き茄子が美味しいかも~♫」って感じで、「一杯植えちゃえ~!」って構想中です。野菜と花の世界は、非常にワクワクしますね。
日々、様々な方々がご来室され、その回復される姿に逞しさとしなやかさなどを感じます。
その姿を拝見するにつれて、いかにその方の本質が封印された中で生きてこられたのだなと痛感します。
パワフルに自由に生きられる姿、非常にお見事だなと感じます。アダルトチルドレンからの回復というのは、その方の本質の美しさが見えてくる事なのかも知れません。
アダルトチルドレンの問題の一つとして挙げられるのが、共依存の問題かも知れません。
共依存は、自分と他者との境界線を見失って、苦しい人間関係に嗜癖してしまう依存症の一つの形態かも知れません。他者の問題に介入したり介入されたりを繰り返すため、この二人の自我は正常に機能しなくなる場合もあるかも知れません。
一方の人はお酒、ギャンブル、その他問題を抱える存在。またもう一方はその問題を抱える人を支え、立ち直らせようとする存在。
この2人の関係性の中、共依存関係が引き起こされ互いの心理的境界線がない状況の中、互いを傷つけあいながら展開してく場合もあるかも知れません。
共依存の2人の関係の中で、それぞれの幼少期の問題が背景として考えられる場合があります。
「支える人」の場合、一見すると問題を抱えていない場合もあるかも知れません。「問題を抱えている人をサポートする立場」としているけれど、だけれども頭の中は問題を抱えている人が「次にどんな問題を起こすか?」、「そのために自分はどう対応すればいいか?」という事が頭がいっぱいになってしまっている。そして疲弊してしまっている。心が問題を抱える人で一杯になってしまっている。
その背景には、アダルトチルドレンの役割の「イネイブラー(支え手)」として幼少期に機能不全家族の中で生きた背景が考えられるかも知れません。たとえば母親が問題を抱えていた。
母親が子供をサポートするという存在ではなく、問題を抱え子供であるご自分が母を支えねばならない「イネイブラー(いい子)」として生きた事。そんな事が背景として考えられるかも知れません。
子供として生きるのではなく、母を守り母に与える存在としての子供で生きる親ー子関係の再演を、大人になって「問題を抱える人」との関係で繰り返すという事が起こっている事が考えられます。
また「問題を抱える人」は、幼少期の様々な問題、例えば安心感のない環境の中で十分に守られていない中で育っている場合もあります。それによって情緒的ネグレクトなどの問題を抱えてしまっている場合、根底に見捨てられる恐怖の感覚を抱えて大人となって成長していく。
そのこの見捨てられる恐怖の問題が、大人になって様々な依存症や問題行動として派生していく事があります。そして子供の不安や恐怖(見捨てられる恐怖)を抱えているので、どこか退行した感じになってしまう。
そして「問題を支える人」との関係の中、さらに「問題を抱える人」は自分で自分の責任をとっていく事が難しくなっていく悪循環が発生してしまうのですよ。
「問題を支える人」としては「回復して欲しい」と願って行動しても、逆にそれが相手の依存心を刺激し絵しまい、それがお互いの求めている展開とは逆になってしまう。
カウンセリングの中でまずはこの関係の中で「何が起こっているか?」を見つめ、「ご自分の本当に求めている事は何か?」を内省され、ご自分が楽な立ち位置を探って行きます。
そして「どうしてご自分は楽ではない選択を選んでしまうのか?」という謎がカウンセリングの中で浮き彫りになってくるのです。
”私”を主軸としたお互いの楽な関係性が改めて見えてくるのです。
●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。
【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい
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