アダルトチルドレン 2023/01/06 (金) 3:20 PM
近頃は編み物にハマっている感じです。色々な図版を見てみると「いいな~!」って感じで、どんどんと作ってみたくなる感じがあります。
もうそろそろカーディガンが終わりに差し掛かっています。ボタンはタッセルボタンでちょっと個性的な感じであります。これからが楽しみです。
日々、様々な方々の回復のステップを拝見しています。非常に興味深いなって感じに思います。それと同時に、私自身の回復のステップも振り返る感じでもあります。
何となく幼少期からのトラウマの問題からの回復という時、「ご自分を取り巻く人間や環境がどのようであるか?」っていう事がクリアに見えてくる部分があるように感じます。
特に私自身も回復のステップの中で、「自分の考えている事、感じていることは間違っている」と強く信じていた部分がありました。無条件の自己卑下という感じです。
だから物凄く何かするにしても自信がなくて、周りの人の感覚を頼りに、もしくは「正しいか間違っているか」を頼りに行動をしていました。だけれどもそうすると「色々な人には色々な感じ方や考え方ががって、よりますますこんがらがってしまう!」という顛末になってしまっていました。
その中で回復のステップの中で、周りの姿も同時に見えてくるという事が起こってきました。
私自身が感じていた周りは凄い、自分は物凄いダメ人間という枠組みも、またそれとは違った別な景色にシフトしていった経過があります。
その中で見えてきた事は「自分の周りに素晴らしい人がいるっていう事は、自分がダメな存在である必要がある」という事でした。だからどんなにその環境で自分が「良くあろう」と努力をしても、頑張っても結局「自分はダメな存在」っていうポジションに居続ける、もしくは周りから攻撃を受け続けるというポジションになっていました。
師匠は人間関係の仕組みについて「2・6・2」のポジションがあると仰っていて、蟻のグループでも2・6・2のグループがあって、「働きアリ」、「普通のアリ」、「ダメなアリ」っていう3つのカテゴリーが作られ、そのグループをシャッフルしても同じ「2・6・2」のグループになっていたというのです。非常に興味深いです。
私がかつてのグループの中で、どんなに良くあろうと頑張っても難しい理由がそこにあったのだなって思うのです。
回復のステップと共に「凄い」って思っていた周りの人達の「実」が見えてきた部分があり、それを師匠との教育セラピーの経過の中で吟味しながら、「あ~ここは自分の居場所じゃないな」って感じに手放す事ができたように思います。
「自分は欠けている」、「自分は間違っている」、「周りは正しい」って信じていたのは幻想だった。「自分はそのままでいい」、そしてその自分軸から見えてくる世界を眺めてみた時に「あ~下の2になっていたのだな」という事が見えて、どんなに努力をしてもこの環境では無理だったという事が見えてきたのでした。
そして「手放してもっと楽な世界に行こう~っと!」って感じで今があります。回復のステップと共に自分への見方が変わる、それと同時に生きる世界が変わる。
アダルトチルドレンからの回復は非常に興味深いなって思います。
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【執筆者情報】
大塚 静子
資格
所属学会
経歴
研究実績
研究実績はこちらをご参照下さい。
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