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コラム:否定感情におびえる人たち

未分類   2024/01/21 (日)  12:27 PM

否定感情におびえる人たち:やめられない「自己否定」というふるさと 

 

自分はこのままだと持続しないし、無理が祟って損をする、理不尽を感じる、不和な関係に陥る、また失敗する、怒り出す、愚痴をこぼす、悲しくなる、そして途方に暮れてしまうとわかっているのに、再び同じ行動で自分に対する否定感情がいつも心のここ、このあたりにある。

 

その声は 「どうして自分はダメなんだろう?」と懐かしさにも似た優しい声で聞こえてきます。その声のやさしさみたいなものにどっぷりと浸かると 「よし!再チャレンジだ!明日からもう一度?否、もう百度、千度、同じ行動で自分を試してみよう」と何度やってみても,よい結果を出せない信念を手放せません。 

否定感情に脅える人たち:失敗を誘発するやさしい心の声 

 

「どうしてだろう?」私は間違ったことは嫌いだし、人に迷惑もかけないように振る舞っている。困っている人には敏感に反応して、手伝ってあげたりもする。けれども、人からヘルプされそうになると「ありがとう!でも、だいじょうぶ」と言ってその親切心を柔らかく跳ねのけてしまう。

 

そんな時、いつも感じるのが「ありがとう、でも大丈夫」と返答することの面倒くささと何か怒りにも似た感情が見えないところでうごめいている様子です。悲しさと共に自分への否定感情が起きると、また、あのやさしい声が懐かしい場所へ戻ってきたときのように蘇ってきます。 

 

もっとしっかりしなければ評価されない、生きてゆけない。こんなにも完璧にやっていたら自分のパフォーマンスが下がることぐらいyahooで検索してわかっているけれど、疲弊して帰宅するとすぐに水回りの掃除をはじめたりする。手を抜いてみんなと楽しく仕事をしている人の方が自分よりも評価されて楽しく生きているのも、ちゃんとわかっている。 

 

するとまたあのやさしい声が聞こえてきてノスタルジックなベールに包まれて再チャレンジをしてしまうから、いつもと同じ結果になってしまうと知っていても、もう一度、もう一度とそのチャレンジは中毒化していくかも知れません。

 

否定感情におびえる人たち:ゴールそのものに恋焦がれる 

 

「どうしてダメなんだろう、、、?」と考え、自己否定によって反省を繰り返す。しかし、その反省が機能しません。この考えるフリをする思考パターンは、自分が何をしてよいのかわからない状態の心には、良く生きようとするゴールや目標を与えてくれます。

 

ゴールそのものに恋焦がれる状態です。百回も千回も同じ失敗をする前に、冷静かつ客観的に自分を観察する能力が働いていれば、変化は訪れるでしょう。しかし、自分を内省して、客観的であろうとすると、何か都合が悪くなるシグナルを受信しなければならず、同じ過ちを犯す方へと向かってゆきます。 

 

自分の本当にしたいことを見つけて、それを実践した結果、今までの人間関係に亀裂が生じてしまうかもしれないという、ストレスフルな不安を抱え込むよりも、家族や会社というシステムの中で役割が与えられ、その組織に所属している方が、気が楽に思える。しかし、不機嫌で不全感を覚える日々がずっと続きます。生きている感覚を奪われたモノクロの解離状態に陥っていることにも気づけない。

 

するとまた、モノクロのまま「どうしてダメなんだろう、、、?」と考えはじめ、自分が変化することよりも、再びゴールそのものを追い求める考えるフリは、チェーンの外れた自転車を漕ぎ続けるくらいエネルギーを消費してゆくでしょう。 

 

否定感情に脅える人たち:やさしい心の声の正体は、、、   

 

「自己肯定感」と聞いただけで、「自分には無縁。終わった」と感じる。健康で明るい世界を目の前に叩きつけられ、みんなと仲良くリラックスしながらはしゃいでいる自分が頭に浮かんでくると破壊したくなる。否定感情にはこのような起源があります。 

 

・はしゃぎすぎて調子に乗るとしっぺ返しにあうぞ 

 「どうしてそんな言い方で脅かすの!?」 

 

・わたしだけが楽しいとみんなに申し訳ない 

 「脅かされるもんか!」 

 

・お前の見えない所で苦しんでいる人が何人いると思っているんだ!! 

 「それが私のせいなの!?」 

 

「」内のセリフはとっさに出てきません。ずいぶん時間が経って、安心してお風呂なんかに浸かってリラックスしている時に飛び出したりします。 

 

私の心はこんな声に支配されて、心の中の片隅に溜まった小さなわたぼこりのように縮こまっている。それが私です。自分の心なのに常に誰かが住んでいる。もちろん、家賃も払わずに、その声は「○○さん、それ取って」「○○さん、これもお願い」「○○さん、ボケっとしてないで」「○○さんには無理よ」と上から目線の世界一図々しい声でまくし立てます。その世界一図々しい声がやさしくイフェクトされて聞こえてしまうのですから、自己否定感情という牢獄脱出計画は悉く失敗に終わってしまう。そして、再び考えるフリ(自己否定)をさせられながら、ゴールそのものに恋焦がれて、変化のない堂々巡りを続けるでしょう。 

否定感情に脅かされる人たち:別の私の本当の声 「これでいいのだ!」

 

「わたしはこれでいい」という確信が生まれてから、ヒトを少しも怖いと思わない 

髪型も化粧も美容も体型も健康も服のセンスも権威的で脅迫めいた広告で襲ってくる。 

もう、こうした人間ホイホイの罠には引っかかったふりだけで十分だろう。 

「わたしはこれでいい」は意外にむずかしかったが、今は簡単だ。 

 

だから、他人にさらす顔、髪型、体型、服のセンス、会話のない長い沈黙、体のクセや言葉を発するときの声のトーンに、恥ずかしさや不安や恐怖を感じない私が私の中で育っています。 

 

社会や世間体の声は必要があれば聞く。そんなステキな耳を、ある時波打ち際で2枚拾って装着してから、世間の必要のない雑音は「ざぁーん しゅわぁーる ぱぁっさーん」という波の音にかわりました。故障したり、止まってしまったりする波はありませんから、朝昼晩と波は「ざぁーん しゅわぁーる ぱぁっさーん」と心地よく常に繰り返しています。 

 

そもそも「私変なのかな?」と不安になったり、呆れられたり、怒られているような気がしたりするのを感じる意味がよくわかりません。仲間外れに意味はあるのだろうか。そんな仲間なら外れている方が楽そうだ。仲間や家族などという構成員は単なるかたまりで、良いにしろ悪いにしろ、かたまった時だけ意味を持ったり、役割を与えられたりします。人によっては、かたまっていない時の方が多いし、むしろそっちを好むのでは?みんな臆病でかたまっているんだ。だれが脅かすの、、、、? 

 

とは言え、他者と共存する世界は回避できません。だから、かたまった時に、如何にかたまっていない時の自分のままでいられるかが重要でしょう。そんなこと誰でも知っていますね。 

 

私の気ままな暴走ぶりに、わが道を行く人などと言われても何かピンとこない。もちろん、相手と競ったり、戦ったりしている訳ではありませんが、いつの間にか、「勝手すぎる、許せない」と周りから疎まれても、もう罪悪感をあまりもったことがありません。時々、わざと謙虚なフリをすると、みんなは安心します。優しくなります。

 

おもしろいから今度は急にふてぶてしくなります。すると「許さないわよ!勝手すぎる」と反応します。これを交互に繰り返すいたずらをしたら、「こらー!」と笑顔まじりでみんなに追っかけられました。みんな、楽しそうでした。大人がお茶目になるのは、きっといいことなのでしょうね。 

 

皆さんはどうでしょうか。 

これらが、あたかも人間には至難の業であるかのように思わされているトリックが、そこら中に張り巡らされています。このトリックの謎解きを当相談室ではお手伝いさせていただきます。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

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