Home > スタッフブログ新着一覧 > コラム:無理をしてしまう人たち

コラム

コラム:無理をしてしまう人たち

コラム   2023/10/14 (土)  12:38 PM

無理をしてしまう人たち:安心感への不安 

物事がうまくゆきすぎて安心すると怖さを感じる経験は、人間特有の生体恒常性(ホメオスタシス)によってバランスを保とうとしますから、生物としての人間には当然のことでしょう。過度の幸福感は奉仕活動でバランスをとったり、一日がトントン拍子で進んだりして、おまけに晴天雲ひとつなかったりすると、気分がよくて「それ手伝うね!」なんて言ってしまう経験はないでしょうか。過剰な幸福感は害になると人間生物は本能的に知っているのでしょう。 

 

ところが、心が無理をする状態ですと、自然体や楽な状態から見放されています。あるいは、そもそも自分の自然体を知らない。 

 

「安心することって何?」 

「それってストレス発散の事でしょ?」と判断していることがあります。 

 

無理にはどうやら認知の歪みがあり、安心感への不安が強かったりします。その不安は刺激を求めますから、過剰な幸福感は暴走しますと中毒や依存症へと進行する場合もあるかも知れません。

 

「さあやけ食いするぞ!今日はステーキにワイン!にデザートもつけて、、、」と今まさにフォークとナイフを手に取った矢先に、夜間配達便がピンポン~とブザーを鳴らします。

 

安心感と満足感に待ったをかけられた時、眼光鋭くイラっとするこの感情は何でしょうか。これが無理の正体です。食べ終わるとその無理は、まるでなかったかのようにもみ消されてしまうでしょう。そして、「私は明日も我慢できる」という錯覚だけが心に刻まれます。 

無理をしてしまう人たち:安心感がストレス発散に置き換わる 

 

このように自分の自然体や安心がストレスを発散することに置き換わると、我々のココロ工場はそのストレスを生産しては開放することを目的に生きはじめ、毎日をその反復作業で追われるようになってゆきます。 

 

株式会社ムリ印商品の工場内は、商品名「muri」が次の出荷に備えて、見事な遠近法でベルトコンベアーの上に長い長い列を作っています。まるで安心感や自然体がストレス発散と同じものであるという回答をリピートさせているように商品「muri」はこれから、みんなの心に配達されます。こうしてまた今日から月曜日がスタートして、家庭、バスや電車内、学校、会社、街の至る所で、「muri」は次のストレス発散の日まで、フル稼働するでしょう。 

無理をしてしまう人たち:最初にストレスありきのみんな教 

「人生はストレスがあって当然だ、みんなそうやって生活している」 

 

ここで問題なことは、無理から産まれたストレスが、慢性化して悪い方向に進んでいってしまう事です。 

 

 日常的なストレスというは曲者で、「私個人がどう思うのか?」、「私は何を感じているのか?」という問いに気づかせてくれません。みんながやっている。みんな我慢している。みんながそう思っている。 

 

・仕事が終わって酒をみんなが飲んでいる。 

・勉強が終われば、ゲームにみんなが没頭している。 

・失恋したらみんながやけ食いをしている。 

・みんなが家庭を作っている 

・みんなが子育てをしている 

 

という具合に、みんなが私個人を追っかけ回して、あれがダメだ!これがダメだ!あなたはちゃんとしていないと、集団が目を吊り上げているような「いめーじ」が心の闇に眠っているような気がしてきます。いつしか「いめーじ」は「いじめ」という行為をちらつかせて、脅しをかけてくるからたまりません。

 

あるいは、実体の見えない「みんな」という集合体の「一人だけ楽しまないでほしい」という嫉妬の感情かもしれません。そんな恐怖を与えられたら、怖いものからは逃げたくなりますから、私もみんな、あなたもみんなといって、自分の感覚を閉ざしていた方が安全だと判断するのも仕方ないことのように思われてしまいますが、生きづらいかも知れません。 

 

 

確かに仕事の後のお酒や休日のショッピング、学業の後のゲームは最高でしょうが、これが慢性化してしまうと安心感=ストレス発散(むちゃ食い、ゲーム、お酒、ショッピング)とすり替わってしまいます。度を越えますと、その安心感が自分を拘束するものとなり、依存症へと進行するでしょう。 

 

それ故に、自分の心から「みんなが○○している」を追い出さないと、ストレスがあって当然の人生がいつまで経ってもあなたを追いかけてくるでしょう。今、みんなの声ががやがやと四方八方から飛び込んできます。 

 

例えば、みんなを消去できるイヤホンをがあったと仮定して、それを両耳につけると、頭の中で「ごおおお~」という心の風の音が聞こえます。赤い岩だらけのひどい荒地でしょうか。赤い砂が舞った。火星でしょうか。誰もいません。探査機パーサヴィアランスが心の火星で一人ぼっちのあなたが快適に生きられる場所を探すお手伝いをしてくれます。あなたの心の音はどの音階からはじまるのでしょうか。 

無理をしてしまう人たち:永遠にループする無理 

 

重いものを持ち上げる時に無理を感じます。そして、それを所定の場所に置いた時、無理から解放されて「やれやれ」と安堵します。寸法どおりに新しい家具がピタッと収まるときは最高ですね。 

 

この場合の無理は、その重いモノを移動することが目的になっています。寸法どおりの定位置に収納して目的は達成されますから、無理はここで完結します。しかし、その無理が自分にとって無目的な場合、永遠に無理をし続けなければならなくなります。するとどうでしょう。無理は以下の状態をあなたにやめさせてはくれないでしょう。 

 

・周りに神経を配り、いつも以上に緊張している状態 

・身体の感じは硬直しているけれど、それに気がついていない 

・ドキドキすることが多い 

・何でもできなければいけないという気持ちに追いかけられる 

・達成できないと投げやりになる、途方に暮れる、あるいは申し訳ない感情にとらわれる 

・自分にも他者にも怒りを感じていないように振る舞うため、イライラする 

・失敗したらどうしようという不安が強い 

・恥ずかしさが強すぎて会話などでは本心が隠れがちになり、断れない人になっている 

無理をしてしまう人たち:無理の意味 

無理の意味をインターネットで調べますと 

 

①「それをする理由がなく、筋道が通らないこと・道理に合わないこと」だから「怒るのも無理はない」と使用します。 

 

①の「道理に合わない」という意味は、無理を無理と感じていない。気がつくと無理をしなければならない状況に巻き込まれて、どうして自分がこんな目に会うの?という不平や怒りが心の出口のすぐそばまで昇ってきている状態です。あるいは、その昇ってきている怒りを未だ自分のモノとは思えていない感覚麻痺の場合もあるでしょう。 

 

②「客観的に見て、実現するのが困難なこと」だから「子どもには無理だ」と使用します。 

 

②の「実現困難」という意味は、無理によって自分の能力がわかり、現実的になり、それをするためには、人をある程度頼らなけば自分はよく生きてゆけないという、自分の範囲がわかる状態を作るでしょう。それ故、無茶が少なくなりますから、自我が安定します。恥ずかしさや落胆に見舞われながらも失敗からたくさんのことを学ぶ状態です。他者を頼り、他者に頼られながら成長してゆく状態から社会性も成長します。 

 

したがって、この「無理」を回避して、社会参加に抵抗を感じてしまう場合、本来の自分の姿を知らずに実現困難の中で空振りをし続けるでしょう。安定感のある楽しい世界が自分の中にあり、それを表現すれば社会から「みんな」というイメージが消えてゆくのに、以前として無理を続けてしまうと、生きづらさは「みんな」というお化けになって(もうじきハロウィーンですが)、あなたを追いかけてきます。 

 

無理をしてしまう人たち:万能感の妄想 

けれども「人には頼りたくない」という信念があなたを支配すると、まだ社会に自分を発表するのは早い。もう少し考えよう。今一つ練習が足りない。これが完成すれば自分は完璧で天才か鬼才と呼ばれるかもしれない。だれもまだこれをやった人はいないはずだ。という妄想が実に居心地のよい心空間をあなたに与えてくれるでしょう。この万能感の妄想が、実は等身大で安定した本来のあなたを見せない原因のひとつとなっている場合があります。 

無理をしてしまう人たち:ファンタジーと無理 

 

無理をするのは前頭葉が高度に発達しているといわれる人間だけなのでしょうか。耳を羽にして飛ぼうとする象、食欲をこらえる控え目なライオン、働きすぎる蟻、回遊魚の名に恥じぬよう無理して泳ぎ続けるマグロ、天気がみんなのために無理をしてGWや夏休みはできる限り天気にしてくれる、地震や津波がみんなを安全から護り、街を破壊しないようにできる限り我慢している。これらの表現を私たちは日常的に使用することはないでしょう。 

 

けれども、人間が使用する表現と呼ばれる思考作業は、いくらでも現実的でないイメージ産出します。実に自分の心の中、頭の中は、居心地がよい場所ですから、あり得ないものすらも、いつかきっとできると妄信してしまいます。  

 

無理をしてしまう人たち:その無理は本当にあなたのものでしょうか   

 

自尊心の問題、我慢の問題、怒りの問題、人との関係崩壊の恐怖の問題など。 

 

無理はこれらの問題を孕んでいるようです。やってみたいけれどそれをやってしまったら私は私の信念の純粋さを保持できない。この心の中には、かなり昔から飼育してその成長を見守ってきた生命がずっと住んでいて、それを壊さないようにという思いを壊したくない。そこには言葉にすらできないものが保管されています。宝です。 

 

一見、美しい物語のように語られるこの宝物のおかげで、随分と縮こまった生き方を選んで、生きづらさを感じていることが「無理」とよばれる世界なのでしょうか。だからその部分に他者が近づいて来るとイライラを感じます。怒り出します。怒りで返さなければ自尊心が傷つきます。けれども、関係を壊したくないという恐怖から、怒りを笑顔や無関心で表現しなければならなくなります。 

 

社会は人と人との関係によって成立していますから、無理をして「私の大切な心の部分」に過保護になってしまうと、いよいよ社会から切り離された空間から出たくなくなるのは自然なことです。ところで、後生大事に守り続けているその「無理」は、ほんとうにあなたのものなのでしょうか。もしも、その無理があなたのものでなかった時、あなたは莫大な時間と労力をその得体の知れない他者に捧げてきたことになります。 

 

自然体で心から自分自身に喜びや楽しさを感じ取れる人生はあなたの中で眠っています。家庭システムによって仕組まれてしまったあなたの役割が、それを感じ取れないようにしている場合があります。また、幼少期の愛着形成やトラウマの問題を、あなたの心の中の非常に遠い場所、すなわち、無意識と呼ばれる心の領域が操っている場合もあるでしょう。 

 

無意識は抵抗します。感情的になりながら否認します。他者の観察や見解を何とかねじ伏せて元の状態である「無理」の方向へ頑なに戻ろうとします。この無意識の罠から解放されると成長と変化、価値観のどんでん返しが起こります。 

 

皆様が「何でこんなことのために無理して頑張っていたのだろう」と気がつけるように、本当の自分の感覚が花開くようにと、皆様の無意識さんに対峙するFAP治療を活用しながら取り組んでおります。 

 

無理をしてしまう人たち:自分を後回しにしてしまう 

 

とてもとても、のどが渇いている。テーブルの上に買ったばかりのミネラルウォーターが置いてある。洗濯物が溜まっている。夕飯の支度がある。宅配便の不在連絡票の電話番号に連絡しなければならない。 

 

今、私は喉が渇いている。 

 

すると、普段はならない固定電話が怒っているように鳴りはじめ、留守電にしていたのに迂闊にも電話に出てしまう。相手はネットプロバイダーの営業電話だった。 

 

「今は間に合っているので、結構です」と返すも 

「今までよりも2000円程度もお得で、キャッシュバック20000円もあります」というしつこい勧誘に、のどの渇きがいつの間にか「私は今イライラしている」に置き換わります。 

 

「結構です、さようなら」と料金プランの説明途中で電話を切る。なんだか人をひとりを受話器で圧死させたような、嫌な罪悪感が腹部に停滞します。 

 

ようやくミネラルウォーターを飲みます。渇きは治まりますが、何故か「美味しい」とは感じることができません。ただ体の渇きを食い止めているだけで怒りの味がします。 

 

無理はこのようにいつも自分を後回しします。 

 

無理は体が感じる喜び、楽しさ、嬉しさ、自然な笑顔などを無機質なものにしてしまうようです。感情と身体が共鳴している時、人間は心から「楽しい」、「うれしい」と思えます。無理に伴う感情は他者が心の中で乱反射というか乱反響して他人の声をリピートし続けます。 

 

言い訳の言葉巧みな大人たちは長年の無理によって、その感覚が鈍くなっています。子どもたちは、喜ぶとき、楽しい時など奇声を上げてジャンプしたり、走ったりして体でその感情を表現します。ストレートです。 

 

無理によって眠ってしまっているあなたの能力を受信できた時、元気になれる筈です。 

当相談室ではこうした無理から楽になられるようにサポートさせて頂きます。 

お心当たりがございましたら、ぜひご来室下さいませ。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

コメントは受け付けていません。

トラックバックURL

https://shizuko-o.com/kanri/wp-trackback.php?p=6308

ページトップへ戻る