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コラム:会社を辞めたい人たち

コラム   2023/07/05 (水)  3:58 PM

会社を辞めたい人たち:求人サイトを見ると憂うつになる、やる気が出ない 

 

求人サイトを閲覧したことのある人であれば、以下のような内容と条件に出会ったことが必ずあるのではないでしょうか。 

 

正社員、パート、アルバイト、契約社員、髪型、服装、ネイルOK、時給1100円から1500円、サービス業、ルート販売員、ドライバー、オペレーター、土木解体工事、ピッキング、清掃スタッフ、飲食店、夜勤は○○%時給UP、仮眠部屋ありの実質9時間労働(休憩含む)、レストランキッチン、ホテルスタッフ募集、日払いOK、フォークリフト免許あればなおOK、フレンドリーな職場です、PCデータ入力業務、ブラインドタッチができる人、TOIC650点以上、AT免許要、独りでの作業を好む方大歓迎、ネイル、髪型、服装自由、インセンティブ、賞与あり、正社員登用ありなど。 

 

たくさんの求人広告が提示する条件をバスや電車の中で閲覧していると、その情報量に目も頭も圧倒されて、あっという間に会社に到着します。同僚や上司に「おはようございます」と挨拶をしながらも、「今日の仕事が早く終わらないかな」とほんのり願っている経験は皆さんもお持ちではないでしょうか。 

 

また、転職したい気持ちが頭から離れず、求人サイトを閲覧したものの、何らの希望も見いだせないと思っている人は多いのではないでしょうか。自分の可能性の頭打ちと社会の柔軟性の無さに途方に暮れてしまいます。どの求人広告を閲覧しても、まるで強制労働の地獄の門をこれから叩きに行くような不快感を覚えてしまいます。とりわけ、以下のように働いてきた方には苦渋の選択を迫られると思います。 

 

・現在、幹部やリーダーとして部下を仕切っているポジションの方 

 

・転職によって給料が確実に数万円下がる方 

 

・年齢的にも新しい人間関係を築くことに億劫な方 

 

・新しい環境で一からすべてを覚えるリスクを感じる方 

 

・生活のためにもっと稼がなくてはと焦りばかりを感じている人 

 

・体力と時間を奪われずに儲かる仕事はないかなぁ~と漫然としている人 

 

・気がつくとローンを滞納して今すぐ高収入が欲しくて最早冷静な判断を見失っている人 

 

求人広告を見ても希望を見いだせない、条件が合わない、そして、今の職場もやめたいと思っている。けれどもお金は必要だし、、、、そのような板挟みの心的葛藤こそ、しんどさの極みではないでしょうか。 

会社を辞めたい人たち:自分へのご褒美の裏側に隠れる「やる気がない」という感情 

 

「会社辞めたい」けれども「転職サイトに絶望する」という心的葛藤が慢性化しますと、当然ストレスとなり、無意識に現状維持で良いと自分に暗示をかけなければなりません。この自己暗示が日常化しますと、「本当の自分は何を願い、感じているのか?」という自分自身への感覚が麻痺してゆくでしょう。その感覚麻痺は、過剰な自分へのご褒美として表現されます。例えば、 

 

・仕事が終わると暴飲暴食をする 

 

・仕事が終わるとショッピングに没頭する 

 

・仕事が終わるとギャンブルに飛びつく 

 

・間もなく仕事が終わる。アルコールが私を呼んでいる 

 

・仕事の人間関係を忘れるためにゲームに熱中する 

 

自分へのご褒美という報酬によって感覚麻痺が継続しますと、もはや自分の能力や才能や可能性について考えることなど後回しにしてしまうでしょう。また、さらに過剰な自分へのご褒美は、家事ができない、昼夜逆転、睡眠障害、感情的になるなどの問題によって、日常生活を狂わせます。

 

ストレスを発散しているつもりが、体と心を壊してしまう、いわゆる依存症のかたちをとって表れます。言い換えますと、その依存対象の裏側には、具体的な形として社会の中で実践されていない自分のエネルギーが、本来使われなくてよい場所で浪費されているということです。 

 

やってもやっても実らない。努力が報われず途中で放棄してしまう。評価されない。誰も関心を持ってくれないなどの経験が幼少期から何度も何度も繰り返されると、「学習性無気力」と呼ばれる条件付けが楽しく生きる感覚や自分の能力を発揮するポジティブさ、健康な心と身体などに対して恨みにも似た感情をもちはじめます。

 

この「マイナス思考」が仲の良い友だちとなります。友達だからおいそれとマイナス君を手放すことができません。「やる気がない」という感情はこのようなかたちで、本来プラス思考でもあるもう一人のあなたを邪魔者扱いにします。 

 

ネガティブさとは、とかく「受け身で生きること」を選択します。社会的自立度も低下して、誰かに助けてもらいたい感情や甘えの感情を相手にちらつかせては、相手からの「どうかしたの?」という声掛けを待っていたりします。あるいは、あまりにも自分への無関心が続くと、しびれを切らして「大丈夫?手伝うよ」と相手に対して逆にポジティブを演じることもあります。

 

このように、自分の受け身感情を相手に投影するとき、当人はポジティブになっていることがあります。この事実があなたの中にしっかりとプラス思考のポジティブさが生きている証拠です。しかし、何もしないで相手から振り向いてもらいたいという無条件の絶対的な関心が再びマイナス思考の受け身な私に引きずり込もうとします。「やる気が出ない」の心理には、こうしたカラクリが見受けられるかも知れません。

会社を辞めたい人たち:学習性無気力というトラウマの再演 

 

例えば「自分の労働力を提供しても、それに見合った報酬がない」と一度も感じないで働いている人には、あまり出逢わないような気がします。会社や上司への愚痴が日常化している風景はいたるところで見受けられるかも知れません。

 

とりわけ自己研鑽を積み、大卒の高学歴、資格もたくさん持っていて普通にしていても優秀なのに、何故か会社での評価はそれほどでもないという人はいます。そして、高学歴も資格もない体育会系の爽やかさと勢いと声の大きさだけが顕著な人の発言にかき消されて、なぜ自分よりもあの人が評価されるのかと感じて、いよいよやる気がでないというケースは多々あるかも知れません。

 

さきほどの、マイナス思考の受け身な傾向のある人は、「自分の労働力を提供しても、それに見合った報酬がない」ということに対して人一倍敏感です。なぜならば、幼少期の養育者との関係を再演形式とその構造がよく似ているからではないかと思います。 

 

「やってもやっても見合っていない報酬」はどこか「頑張っても振り向いてくれなかった親」との関係に似ているからでしょうか。それ故に、親からのネグレクトや虐待のトラウマを持った人たちは、トラウマの問題が解決していないと、無意識にトラウマを再演しようとしますから、やっても評価されない会社に自ら進んで入社していることに気がついていない場合があります。 

 

ブラック企業に引き込まれるように入社してしまう、正社員や幹部としての能力は十分あるのに、いつまでもパートタイムやアルバイト、派遣社員のレベルにとどまってしまう人たちにも、こうしたトラウマの問題が隠れているかも知れません。会社が学習性無気力を演じる場所となり、会社で労働力を提供して報酬を得るという会社本来のあり方(現実)を見落としている事実になかなか気がつけないのは、会社に行っても幼少期の養育者との関係を再演することに力が注がれているからかもしれません。 

会社を辞めたい人たち:休日を楽しめない、休むことに失敗する 

 

ところで、多くの人間には、旅行に行く楽しみ、お酒を飲む楽しみ、好きなものに熱中する楽しみ、気の合う仲間と会って話をする楽しみ、恋愛の楽しみ、食べる楽しみなどがあります。 

 

仕事と楽しみの比率を1週間という時間の長さで考えてみますと、仕事は4から5日間、休みは2~3日間と、仕事に自分を捧げる時間の方が当然ですがほとんどです。

 

人間の時間は1年、1週間という古代宗教の規則が合意され、世界はこれをおおよそ遵守しています。その規則の中では、1週間のうち5日は労働、休みは2日間となっています。時々、イレギュラーな3連休、ゴールデンウィークや夏休みなどの大型連休がありますと、日常以外を求めて人々は自分や家族への楽しみの大盤振る舞いをする人もいれば、長すぎる連休で体調がおかしくなってしまう人もいます。 

 

休日は楽しみの感覚を十分に発揮できてこそ、明日への活力となります。その楽しみの感覚が頓珍漢なことになっていますと、月曜日に不全感に襲われます。「ああ、もう一日休みたい、昨日はお酒におぼれすぎた、本当は読書がしたかったのに、、、、」、後悔のまま出勤すると「ああ、ほんとうに会社辞めたい」という憂うつな気分は絶頂に達するのではないでしょうか。 

 

休むことそのものに失敗したり、パートナーとのケンカで休日を台無しにしてしまうなどは、「自分が楽しむ」という感覚を自由に表現できない感覚、自由になろうとすると脅かされたり体罰や否定的な発言を受けたトラウマ記憶が、怒りや不機嫌、依存対象に溺れるなどのかたちで表現される場合があります。 

会社を辞めたい人たち:支配トラウマからの解放と成長 

 

楽しむことや自由を表現すると憂うつになったり、他人は自分の邪魔をする存在で親密な関係がうっとうしいと感じる人がいます。愛着スタイルでは「回避型」に当てはまります。こうした傾向の人は、親が支配的で自分のやりたいことをことごとく管理されて育った傾向があります。親の言うとおりにしないと虐待を受けた記憶は、楽しんだり自由であったりすると必ず恐怖がついてまわるという歪んだ認知から解放されません。こうしたトラウマを格好の餌食にするのがブラック企業かも知れません。

 

支配的な上司のいるブラック企業はこの傾向のある人材を待っています。労働力というよりも、自由や楽しみと賃金を交換するのがブラック企業です。かつて親との関係もそうであったように、支配的な上司にすべてをまかせてしまう受け身な性格が禍して酷使されることになります。また、支配者の喜ぶ顔によってはじめて安心感を得られるため、良い従業員であろうとします。快不快の感覚そのものが支配トラウマによってブロックされているため、自分の正確な喜怒哀楽を感じることが困難です。解離性障害の診断がつくのもこのタイプに多くあるかも知れません。

 

トラウマ治療によって、「二度とこんな目に会うのはごめんだ!わたしはそのために○○になろう」という怒りの感情と信念が、ご本人の中に鮮やかになりはじめますと、すさまじい能力によってダイナミックな成長を遂げてゆきます。その成長は、さなぎから蝶々に激変するときの瞬間のようです。 

 

会社を辞めたい人たち:2つの楽しみのどちらでしょうか 

 

楽しみには、自分の中から沸き起こる楽しみとストレス発散のための楽しみがあります。 前者は生き甲斐と呼ばれます。後者はとかく享楽的傾向が強くなります。享楽は快楽に溺れるという意味があります。依存症者の耽溺傾向も最初は享楽からスタートします。 

 

自分の中から沸き起こる楽しみを感じることは、人間にはとても大切です。 

 

瘤取り爺さんは踊りが好きで鬼たちの宴で居ても立ってもいられずに、見事な踊りを鬼の前で踊ってしまいました。怖い鬼も感激して瘤を取ってくれた上にご褒美までもらいますが、そんな楽しみは、決して仕事のストレス発散が目的となっていません。 

 

ここで「遊び」の重要性が出てきます。人間は遊ばなければ、自分は何がしたいかがぼやけたまま生きることになります。「遊び」は自分の好きなものを具体化する行為です。

 

私の好きな色を、今日私は発見しました。私の好きな花を今日私は見つけました。美味しいお店見つけました、こうした好きなものがぼやけていると、心は悶々とした状態になります。不機嫌や皮肉、マイナス思考に支配されます。遊びの中身が充実すると明日への希望につながります。気がつくと、「仕事辞めたい」という思いが二の次三の次へと意識から後退していたりします。そして、淡々と仕事を冷静にこなせるようになります。 

 

遊びと仕事の均衡が崩れるほど享楽的傾向に陥ります。お酒やギャンブル、ゲームなどによって、自分を感じる能力は低下させたり、誤って感じさせたりしますから、「ほどほどに」という言葉はとても重みがあります。「ほどほどに」ができないと、自分への不全感と体調不良が体を疲弊させ、ますます会社で「やる気が出ない」やマイナス思考が強くなるでしょう。

会社をやめたい人たち:「ああ~、早く終わらないかな~この仕事」という心の声 

 

働きながら作業の合間々々に、またしてもわたしたちの頭の中にはこんな思いが飛来してきます。 

 

「ああ~、早く終わらないかな~この仕事」 

 

ストレスは蓄積されます。仕事から解放されると、甲斐性を求めて娯楽に、嗜好品に、友人との仕事の愚痴話に花が咲くこともあるでしょう。 

 

こうしてまた、明日の仕事を乗り越えられる、めでたし、めでたし、、、、多くの人はこんな日常がカリカチュアにも思えますから、こうした職場風景をドラマやアニメ、映画の題材として使用される例は枚挙に暇がありません。 

 

ふと感じることは、めでたしめでたしでも実際は職場で「早く終わらないかな~」という感覚が、たとえ口には出さないにしても、声にしない声としてご本人の頭の中を時々泳いでいるということです。 

会社を辞めたい人たち:心理カウンセリングの役どころと「内省」のこと 

 

頭の中を泳いでは潜水して消えてゆく意識の残滓を捕まえて、「本当のあなたは何がしたいのか」を見つけて実行に移せるようにお手伝いをすることが心理カウンセリングの役割です。それ故に、心理カウンセリングという場所は、経済活動や会社の人間関係とはある意味では対極の場所かも知れません。心理カウンセリングでは、社会の中のあなたという視点ではなく、あなたの中のあなたの観察という視点があなたを変化に導く重要なものとなります。 

 

それは「内省」と呼ばれていますが、虐待などのトラウマによる影響によって歪められた思考や人間関係というシステムの中の相互作用によって、あなたの中のあなたを正確に観察する力を妨害されている場合があります。内省が妨害されますと、感情的になって人間関係での失敗や失態が多くなります。突如、フラッシュバックして恐怖や羞恥心に襲われることもあります。わたしはどうしていつもこうなってしまうの?という自己評価の低さが「私はダメな人間です」という自暴自棄な判断を生み、高収入のブラックバイトを選んでしまう場合もあります。 

 

「私はダメな人間です」とその人は自分を卑下するかもしれません。しかし、よくよくお話を傾聴しておりますと、実は親アルコールの問題があって私が働かなければならない。父が仕事で失敗して収入がない、母が祖母の介護で家計は私が助けなければ家族が崩壊する、暴力が日常的だった、親の養育放棄で自分で何でもやっていたなどの背景があります。 

 

他人にはまねのできない過酷な環境を乗り越えてきた自分への能力の高さ、忍耐力、生きることへの執念が誰よりも勝っている事実に気がつけないほど、その感覚はトラウマによって鈍麻しています。 

 

親の問題や友人の問題、そのた上司の問題に同僚の問題、これらも問題を自分の問題のように感じると、ますますあなたの内省は麻痺してゆきます。 たった今、「けれども、、、、」と思った方には、内省の鈍麻があるかもしれません。

 

「会社を辞めたい」という重い感情を日常生活から消し去るには、本来の私が喜んだり楽しんだりする感覚や「したい」という自発性が具体化することです。小さなことでも「したい」という自発性を見つけたら、それを何よりも最優先すればよいのですが、習慣やトラウマの恐怖はそれを後回しか、あるいは「できなかった」という後悔や恨みの念ばかりで生きずらさばかりをあなたに感じさせるかもしれません。 

 

トラウマからの解放によって、「会社を辞めたい」というあの重い感情はきっと書き換わる筈です。  ご来室をお待ちしております。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

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