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コラム:怒りとイライラで生きづらい心理:怒りさまざま 

コラム   2022/10/12 (水)  3:07 PM

怒りは人間に数あるうちの感情のひとつです。だから、心の中に怒りがあることに罪悪感を持ちすぎることは本来、おかしなことです。抑えつけられると反発する、抵抗するという心の人間の心の力学作用であり、自由でいたいという表現の声なのでしょう。怒りにも色々あります。 

 

 

㈰訳もわからずにイライラして口調が尖ってしまう例 

 

我慢しすぎて自分をコントロールできずに、無意識に口調がきつくなり、直接言えないことをメッセージとして相手に伝えるための手の込んだ怒りです。私の気持ちに気づいて欲しいタイプです。モノに当たり散らしします。 

 

 

㈪短気と我慢は損気 

 

Cさんは職場で同じ失敗を毎回繰り返している社員です。 「Cさんまた間違ってる!!今度こそ言わなきゃ!!」とPさんは怒らずに我慢を重ねてきました。しかし、その我慢も限界です(人間は何故、同じことを何度も言われたり、させられたりするとイライラするのでしょうか)。それがアクセントの強い怒りとしてCさんへ向けられます。ところがその間違いはRさんだったため、早合点によって、その後PさんはCさんとの関係が悪くなってしまう。しかし、我慢してきた私は一体なんだったの!?というやり場のない怒りを感じてしまう。 

 

 

㈫認知症の親の対応でイライラ、怒り、暴力にまで発展する例: 

 

夜間になると父の徘徊がはじまり、同じことを朝方まで何度も繰り返す。とうとう出勤時間になってしまった。こうして2週間が経過したころ、疲労困憊から認知症の親への暴力にまで発展。親想いで最初は面倒をみたいと思っていたのに、こんな結果になるとはとご本人も自分の怒りに驚き、自責の念が拭えず親への罪悪感まで感じて精神的なダメージを受けてしまう。 

 

 

㈬不当な扱いをされても怒らない例 

 

これは聖人や歴史的人物の域で怒りをこらえると尊敬されます。非暴力主義で有名なインドの政治指導者マハトラ・ガンジーが挙げられます。 

 

仏教で三毒といわれる「貪瞋痴(とんじんち)」の中の「瞋(じん)」は「いかり」とも読みます。「瞋(じん)」は愚かで、煩悩を生み、人間関係、社会、果ては世界での愚かな失敗を招くと説かれています。核爆弾という「瞋(じん)」の産物、すなわち戦争がその最たるものでしょうか。 

 

怒りを吐き出すことや怒りを我慢することは、このようにたくさんの問題や人間の尊い部分や様々な側面を垣間見ることができるかも知れません。 

怒りとイライラで生きづらい心理:「怒り」を封じ込める社会 

 

野生の感覚を現代社会は放棄しています。スマホ社会、バーチャル、様々な分野でのロボット進出など、「野生さ」とはどこか無縁に聞こえる雰囲気で社会は覆われています。 野生の感覚とは心と身体が相関照応した自己の状態と呼べばよいでしょうか。 

  

  

・快不快への感覚が研ぎ澄まされている 

  

・どこに進むべきか自分の中に基準がある 

  

・思考が活性化している。判断が正確で早い 

  

・わかりやすい人物である 

  

・文明の産物である道具に振り回されない 

  

・何かをつかみ取ってくるパワーがある。 

  

・独りであることがふつうである 

  

・仲良くなろうなどと考えないし、対立しようとも考えない 

  

・自分の中に飢餓に敏感である 

  

・嫌われるとか好かれるとかは二の次である 

  

・堂々としている 

 

・「正しさ」を判断基準にしない 

  

 

これにあてはまるのは人間?それとも動物!?  

皆さんはどちらを思い浮かべるでしょうか。 

 

人間は動物を見て癒されることは多々あります。SNS上では動物のかわいい動画などが氾濫しています。動物は人間社会の複雑さや集団内の規則には無縁に見えます。生きる瞬発力があってわかりやすく、素直で人間には楽に見えたり、可愛らしく見えたりします。そして、乳児期から幼少期の人間もこれと似た状態を持っているかも知れません。 

 

一方、社会は監視機能や自己管理、道具を使用する上での膨大なルールと同意を求められ、頭ばかりをフル稼働しなければならなくなっています。社会の複雑化は益々加速化しています。 

 

「野生さ」の感覚として上に列挙した状態のいくつかでも、維持して成長してゆけたら、生きることがとても楽になってゆきます。

 

しかし、忖度、伺いを立てる、気を遣う、仲良くしなければならない、AさんとBさんのバランスをとるなど、人間同士は「正しくある」べきだという信念を通じて、社会生活を円滑にしようとすることに比重を置いてしまいます。あるいは、 

  

「きのう、Vさんに思わず怒りをあらわにしてしまった。確かに私は間違ってない、 

 でもあしたから、Vさんとどう接したものか、、、私が謝るのはどうも腑に落ちないし、、、」 

  

感情的なトラブルには、社会や集団から排除されたら、嫌われたらという不安が常につきまといます。 

  

言いたいことを言わない我慢強さは、自己の感情の出口を封鎖してしまいます。 普段から素早く「それは私には無理です」、「できません」ときっぱりとトラブルなく上手に言える人であれば、依頼する側もあきらめてくれますし、あなた自身もストレスをその場で回避できます。上手に自己の思いを相手に伝えることができないと、人間関係そのものがストレスになります。 

  

これがうまくいかないと「怒り」は蓄積して、太字フォントのように強いアクセントをもった感情のマグマとなって表出するかも知れません。

 

感情が火山のように噴き出してくるのは、あるいは、不快なセンサーが働かずに感情が鈍麻してしまうのは、「人間に懲らしめられるのでは、、、?」という恐怖を社会生活全般で感じてしまう要因があります。 

怒りとイライラで生きづらい心理:怒り不要の自分 

 

「私は、私がどうしたいか知っている」 

 

この羅針盤があれば、わざわざ怒りを溜め込むこともなく、その場で速やかに快不快を相手に差し障りなく表明して、しなやかに生きることが実現してゆきます。理由は逐一相手に述べる必要はありません。その場で自分の正直な気持ちを伝える。 

  

それでは「人間に懲らしめられるのでは、、、、?」という不安や恐怖、怯えが先行して、 自己を表現(ここでは怒り)させなくなった原因は一体何でしょうか。 

怒りとイライラで生きづらい心理:いくつかの精神疾患 

 

封印された怒りによって引き起こされる症状は、その怒りを言語化(意識化)することを回避しようとします。言い換えれば、「自己表現、自己主張は罪である」という誤った信念が怒りの処理に頭を抱えて、生きづらさを感じさせてしまいます。 

 

うつ病:怒りの抑圧によって、相手への怒りが自分への怒りに方向を変えてしまうために、自責の念と自尊感情の低下が起こります。 

 

依存症:怒りの感情に気がつきたくない。例えば、職場でどうしても苦手な社員がいる。しかし、その感情をあらわにしたら、トラブルやハラスメントを生む。とりあえずお酒で紛らわそうがきっかけとなり、アルコール依存症に発展してゆく場合があります。 

 

複雑性PTSD障害:幼少期に親からの長期間に及ぶ虐待、ネグレクトなどによって、不当な扱いを受けていることがおかしいとも思えず、親からの恐怖を回避するために感情を解離させてその家庭に適応する。

 

仮面家族を演じる。親へ訴えたいことをあらわにしたら、私はどうなるのだろうかという不安と恐怖は、言葉にできませんし、意識に描くことなど死の恐怖に匹敵します。トラウマという頭の中の映像は、怒りへの意識を高めます。しかし、当人には「怒り」=「恐怖」という捉え方をしているため、これは私の部分ではないと意識から追い出そうとします。 

怒りとイライラで生きづらい心理:成長の声 

うつ病依存症複雑性PTSD障害でも、意識がようやく怒り(トラウマ)を受け止めてくると、怒りを閉じ込め「よい人」を演じてきた私をやめようとします。その際、親や兄弟、教師や上司、知人、友人と言われた人たち、つまり、人間全般への怒りが噴き出すかもしれません。 

 

コントロールの効かない怒りによってトラブルを招かないためにも心理カウンセリングへの相談と治療は非常に大切です。自分の怒りと上手に付き合えることが、人間関係を苦でも楽でもないものに変えてくれます。

 

あなたの怒りは悪でも罪でもありません。あなたが感じた怒り、ただそれだけのものです。その怒りは、他者へぶつけるためのものではなく、「私はこうしたかったんだ!」という発見や成長の声であるはずです。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

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