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コラム:イライラを手放せない人達

コラム   2023/05/10 (水)  12:36 PM

イライラを手放せない人たち:悪循環の輪、同じ過ち、繰り返し、 

 

人間は自分の好きなことができません。 やってみたいと思うことに自信を持てないかも知れません。人間は楽しくなることや愉快になることが元々上手ではないかも知れません。 

 

ましてや人間同士が仲良くなれたり、喜びを分かち合うことなどほんとうに苦手なのです。 だから、次はもっといい結果を出そう、人には優しくなりたい。 

 

今は正気をなくすほど感情的に乱れていても、本当は仲良くしたい、平和でいたいという気持ちを持ち続けられるのでしょう。 

 

眠ることに失敗して朝がきます。次の日もまた眠れません。つぎはきっと、今度こそと思って自分に希望を託すほど、自分自身が自分に全く言う事をきいてくれません。 

 

これは典型的な「イライラ」の状態のひとつかも知れません。そして、人には見えない自分の心の中だけで、優しさや平穏な気持ちを持っていたはずなのに、心が、ある問題にとらわれすぎると、絶望的になった末に悪人を演じることもあるでしょう。それもイライラかも知れません。 

 

イライラを手放せない人たち:イライラの特徴 

 

イライラには以下のような特徴があるでしょうか。 

 

 

1.イライラの時間は未来形である。未解決な心の問題にとらわれた行動を無意識にしている。 

 

2.イライラの空間は密閉されている。過去のトラウマの支配され、出口が見つからない。 

 

3.イライラの行動は受動態で「待たされている」状態。相手や環境の状態に左右される。 

 

4. イライラは冷静さと現実感覚が奪われる。自分の実像が見えない。 

 

5.イライラは抑圧できない感情で心が充満する。家族や社会への怒り。 

 

6.イライラは素早い動作、怒りの表情、嫉妬心から相手にマウントした会話などが起きる 

 

7.イライラは他者への不信感から完璧主義や万能感をめざそうとする 

 

8.イライラは頼みごとが苦手である。 

イライラを手放せない人たち:「繰り返さない」よりも「認められたい」 

 

DV、様々なハラスメント、虐待行為、発作的な暴力、短絡的行動、自暴自棄、夫婦喧嘩、離婚願望などは、イライラなしには成立しない世界かも知れません。 

 

「お前が悪い」、「あなたが悪い」という他人への攻撃は、底をつくとクールダウンして「自分が悪かった」と反省の方向に戻ってきますが、「イライラ⇒怒りの爆発⇒反省⇒イライラ」のループが日常茶飯事ですと、変化の一向に訪れない自分自身に自己嫌悪と自暴自棄が生まれ、人生そのものを狂わせてしまうかも知れません。 

 

続けるのが難しい極端なダイエットや禁酒と同じように、「イライラ」が手放せない人たちは、自分で蒔いた種は自分で何とかしたい、自分の力だけで解決すれば今までの失敗行為は浄化され、みんなは認めてくれるだろう。

 

しかも自分を克服したという達成感も得られるかもしれないという信念を捨てられずにいる場合があります。本来の目標である筈の「同じ過ちを繰り返さない」という信念よりも、「養育者や社会から認められたい」という信念の方が優先してしまいますから、こうした承認欲求が再び枯渇するとイライラによる悪循環が繰り返され、変化は一向にやってきません。

イライラを手放せない人たち:万能感を「認められたい」 

 

「いつか認められたい」という信念は、自分にとってのある種のゴールであるため、手放すことは容易ではないかも知れません。この信念がありますと、もう他人の意見や相談が全く価値を持たなくなってゆきます。 

 

表面上は他人の意見やアドバイスにも「ありがとう」というの感謝の意を表したりしますが、その「ありがとう」が形式的挨拶のため「繰り返さないためにはAさんの意見を自分の中に取り入れてみること」という実践が伴いません。

 

周りは何度言っても同じ過ちをしていることに、どうして伝わらないのかと訝しく思います。いわば、当人は聞いている心算で聞いていないし、理解もできません。そして、その聞いていない事実に気がつけないことが同じ過ちを何度も繰り返してしまうかも知れません。

イライラを手放せない人たち:足を引っ張る 

「万能である自分を認めてもらわなくては」という心理が、自分の中で絶えず活動していて、それに操られますと社会や他人が私の足を引っ張る敵に思えてきます。

 

自分があれもこれもやっているのにどうして電車やバスはこんなに込んでいるんだ、またwifiの接続が悪い、今日もあの人ばかり上司から評価されている、あのコンビニの店員は愛想が悪い、子どもの遊ぶ声がうるさい、救急車のサイレンがうるさい、バスの中は高齢者ばかりで気が置けないなど、こうした日常生活の風景から負の要素ばかりを意識にフォーカスして、自分の中にイライラを呼び込んでしまいます。 

 

「認められたい」という隠れた信念は、ご本人が「わたしは他人の意見やアドバイスを忠実に実行しないし、その意見に勝手な自己解釈をしている」という事実に気づけないと、他者との対話は困難になります。

 

対話の成立しない自分、自己に固執する自分、それ故に、当人は深い孤独を感じています。人間は神様とは異なるため、その孤独感に耐えらないときがあります。すると、誰も自分を認めないというイライラを、今度は怒りや嫉妬で表現せざるを得ない心理状態に陥ってゆくのでしょう。 

 

イライラを手放せない人たち:イライラ=トゲ=トラウマ 

 

「苛苛」は「イライラ」と読みます。漢字の部首には草冠あることから、この文字が植物に由来し、棘(とげ)という意味がある文字という語源を持っています。 

 

この「トゲ」の性質はどんなものでしょうか。 

 

草むらや林に入ってトゲに刺さった、トゲに衣服を引っかけたという経験からもわかりますが、トゲに自発的にこちらから向かっていって、わざわざ痛い思いをしたいと望む人はいないでしょう。それがトゲの性質です。不注意や混乱を招く環境の中で、うっかりトゲに刺さったという場合が殆どでしょう。 

 

アロエやバラ、ヒイラギやアザミが密集する中に「さあ、飛び込んで」と命令されて、何の抵抗もなく飛び込める人はいないと思いますが、家庭環境や養育関係の初期段階でこのトゲを回避できずに苦しんだ経験を持つと、苦しみや痛み、危険や恐怖に対しての感覚麻痺は確実に起きています。いわゆる、トラウマの問題かも知れません。 

 

人間には「トゲ」を避ける性質があります。それは痛みへの恐怖や不快感を生得的に知っているからでしょう。このトゲを避けなくてはという予測能力と未来への不安が一般に「イライラ」と呼ばれているのではないでしょうか。また、トゲが私の体のどこか一部に刺さっていると、意識はそれを気にし続けるか、その負担の重さに意識から解離するかを選択します。自分の行動の本題に向かいたくても、トゲの方向に気持ちは引っ張られ集中力は低下するでしょう。 

 

明日も未来も痛いこと、不快なことばかりと思って、自分に警戒領域を設定しなければならないことは、家でも学校でも会社でもどこでも過度の緊張を強いられることになります。 

 

「そこにもトゲが!こっちにも!!あっちにも!!!」という緊張感は止みません。 

イライラを手放せない人たち:安全な場所のイメージ 

 

そんなトゲの刺さった心を安全な場所に置いてみましょう。 安全な場所と聞かれてあなたはどんな場所をイメージしますでしょうか。 

 

自由な発想でイメージしてみてください。社会的な価値、評価、規則から逸脱していても大いに結構です。 

 

意味不明の突拍子もない 言葉、風景、色、音、像、匂いなど、、、、、。 

 

安全な場所がどうしても見つからず、想像すらできない時は、ひとまずカウンセリングルームグロースを安全な場所としてご利用いただき、慢性化した「トゲ=トラウマ」の問題を改善するお役に立てればと思っております。 

 

あなたが本来持っている能力は、「トゲ=トラウマ」に妨害され、イライラとなって社会生活を生きづらくしているとき、「そのトゲはわたしのものではない」ということに気づけることが重要です。こうして快不快の羅針盤は機能しはじめます。自分への気づきを発見し、成長へとサポートさせて頂くのが心理カウンセリングの役割であり、皆様の中の本来の自分の姿で生きられるよう真摯にご対応させていただきます。 

イライラを手放せない人たち:健康な気づきの声 

 

イライラに脅かされず、トゲに妨害されなくなった時、以下のような気づきが健康的な怒りとともにうまれてきます。その気づきとは 

 

「そのトゲはわたしのものでない。そのトゲがわたしのもののように思えてしまうのは、私が孤独を選ぶ道を強いられ、他人の手助けを執拗に拒絶するから。他人のトゲまで私のトゲに思えてしまう。すると世界は生きるにふさわしくない場所と化して人間社会にうんざりする。 

 

このトゲは分担されるべきもの。人様のトゲは人様に返却しよう。そもそもそんなトゲを持ち続けていること自体がおかしいし、こんなに体と心に悪いものをもっていたら、私が何人いても足りなくなってしまう。あれもこれもとイライラしながら一体、今まで何をしていたんでしょう」 

 

この状態が当たり前になる頃には、自分の言いたいことがハッキリと言えることに喜びを覚えて来るかも知れません。自他の融合から解放され「私は私、あなたはあなた」という境界線が引けるようになりますと、独りで抱え込んだり、他者を心配のあまり、子ども扱いして世話を焼いたりという行為に、以前のような喜びを感じなくなります。たとえば、過干渉の親子の問題アルコール依存症の夫とイネイブラーの妻の問題もこうして解決してゆきます。 

 

イライラを手放せない人たち:イライラの原因 

 

先ほども述べましたが、人間は自分の好きなこと、やってみたいと思うこと、楽しくなること、愉快なこと、仲良くなれることや喜びを分かち合うことに対して、非常に手間がかかり、遠回りばかりしています。挙げ句の果ては道に迷って、こんなはずではなかったのにと思う自分に願いを込めて、もう一度、さらにもう一度と自分にチャンスを与えます。 このチャンスと良い結果に固執してしまうと、それ以外はすべてイライラの元となります。 

 

ストレスの原因は、単純に自分が楽になることができないことです。 トゲを感知して自分を快の中に置く装置が機能していないとイライラは手放せません。 

 

その手放せないイライラの原因を過去の親子関係、家庭環境、トラウマの支配、愛着形成のタイプ、成育歴などから、心のトゲを除去してみた時に、イライラの正体が見えはじめ、イライラは徐々に手元を離れてゆきます。強度の承認欲求や他者の声を遮断し現実認知を歪めてしまう万能感も落ち着いてもくるでしょう。 

 

鮮やかな現実感覚の中で実際の自分を発見できると、地に足がしっかりついてゆきます。ぶれません。ぶれない自分に気がつくことが安定した心には不可欠です。言い変えますと、自分の中の快不快がはっきりわかっているということでしょう。

 

不快に近づかず、快には近づくということが、人間集団の中でも上手に実践できれば、イライラはいつの間にか消えてゆくでしょう。繰り返しばかりですが、多くの人は、この自分の快不快で動くという単純なことができず、現代社会にあふれる利便性や効率性を兼ね備えた情報ツールの中に投げ込まれ、翻弄され、攪乱され、もがき苦しみ、時にイライラの罠に引っかかてしまうようです。 

 

「あ!スマフォを忘れて来た!!」 

イライラと同じように、スマフォもiphoneも手放せませんね。 

その理由は、人間が自分の心の声すら、正確に聴くことができないからなのかもしれません。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

 

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