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コラム:メサイアコンプレックスとは

コラム   2022/12/11 (日)  12:40 PM

人助けで人間関係を壊す人たち:メサイアコンプレックスとは 

 

メサイアコンプレックスは、「救世主(メシア)願望」によって対人関係にトラブルを生じてしまう人たちのことで、ターゲットにされた人が求めてもいない不要なアドバイスを、「人助け」や「献身性」に置き換えてしまう心理のことです。 

 

このコンプレックスは過去にあった不幸の感情を抑圧し、その反動で「私は幸せな人間」という思い込みが無意識に形成されています。自身の思い込みと外側の世界とのギャップに当人は気づけず、健全で安定した人間関係を持続できませんから、次々と相手を変えては「人助け」を繰り返します。 

 

常に人を優先して、人を援助し続けることは、ふつうですと過剰なストレスを生じます。 しかしメサイアの人はストレスを感じないフリをします。 

 

「私は援助にストレスを感じません」という超人的な振る舞いによって、コンプレックスや自己否定感情を克服しなければなりませんから、いよいよ「こんなにあなたにしてあげているのになぜ感謝しないの!?」などという気持ちが禁じ得ず、他人の振る舞いに口うるさくなったり、細かくなったり、とにかく支配的になってゆきます。 

 

善行への見返りは「ほめられる」、「一目置く」、「感謝を伝える」、「いつも気にかけています」といった言葉を絶え間なく求めていますから、何かしてもらう度たびに、お礼や感謝、賞賛の言葉を伝えることに振り回される人たちは疲弊して次々と立ち去ってゆきます。 

人助けで人間関係を壊す人たち:メサイアコンプレックスとその職業 

 

援助職と呼ばれる職業に従事している方々、医師、看護師、介護士、心理士や国や社会に大きく貢献する政治家、教師、経営者などにもメサイアコンプレックスの傾向は少なからずあるかも知れません。第三者の目で自分を客観的に観察する、例えば、スーパーバイザーのような存在が不可欠となるかも知れません。特に、これらの援助職や教師、政治家、経営者などの親を持つ子どもは、一般水準のサラリーマン家庭にくらべると、「救世主願望」は強い傾向を持っているかも知れません。

 

政治家や学校法人のトップが公的資金を私物化してしまう事件などは、メサイアコンプレックスの反動から甘えの部分が生じ、「みんなの救世主である私だから、少しくらいこのお金を借用しても問題などない」という心理の典型かもしれません。 

 

「幸福でなければならない私」に僅かの不幸もあってはならないという、いわば度数の合わないこのメガネを外さない限り、世界も現在の私の状況もぼやけてピントが合いません。幸福の幻想に自己陶酔していなければならない心理状態の原因は何でしょうか。 

人助けで人間関係を壊す人たち:メサイアコンプレックスが生まれる環境 

 

まず大前提は、どの子どもたちも、親や家庭環境を選べずに育ちます。「生れ落ちる」という言葉の動作の中には、多分に受動態(I was born)を感じます。生れ落ちる⇒腕で抱きかかえる。これが人間の出発点です。選択肢はひとつ、「今ここにいる親」という現実です。 

 

本来であれば幼少期の家族環境がどうにも受け入れらない場合もある筈でしょう。 日常的な貧困、親同士のケンカ、暴力、養育放棄、家族の中での不当な扱い、親子間の役割の逆転、等。しかし、子どもたちは家庭環境も選べません。

 

「この親に育てられたい」という心理と「この親の言うとおりにしなければならない」という心理で、後者の「~しなければならない」ばかりですと、本来の自分の気持ちに子どもは遠慮してゆく道を選択せざるを得なくなります。

 

泣き叫びたい気持ちも解放できず、今ここにいる親の養育を受けながら怒りや嫉妬をこらえます。出来るものなら書き換えたい、千切って紙屑のように過去を捨ててみたい。記憶は残酷にも蓄積します。この怒りや嫉妬エネルギーは、自分でも計り知れないほど心の底深くに押し込めなければなりません。 

 

「どうか私と同じような境遇にほかの人がなりませんように」 

 

このような美しい願いを感じるとき、いつもの自分否定感は立ち去り自尊心が生まれてきます。 

 

「困った人を見ると、助けたくなる。人の喜ぶ笑顔を見ることが私の喜び、私自身が幸せで満足しているから、今度はみんながしあわせであってほしい、これは私の使命であり、私はみんあから選ばれた人」 

 

怒りや嫉妬のエネルギーは真逆であるやさしさの誇大妄想を描くことによって,日常生活の均衡が保てたような自己暗示が慢性化します。「幸福なわたし」を演じることで、不幸な記憶は無意識の中にいよいよ抑圧されますから、「やさしいわたし」へのただならぬ自信とプライドが大きくなります。 

 

そのため、「そのままの自分」が露見した時、不幸な記憶と自己否定感が蘇ろうとします。再びそれを抑圧しようとすると、そのままの自分でいることに、何か強烈な孤独やみじめさを感じたり、自分を無意味に感じたり、自分という存在が消えてゆくような感覚に襲われたりします。

 

寧ろ、「そのままの自分」という感覚が不明瞭で何のことか感じることができない感覚麻痺や解離に陥っています。それ故に、「私の幸福」を実践するために、ターゲットにできる他者を探し続けるのかも知れません。

人助けで人間関係を壊す人たち:メサイアコンプレックスと似ている精神疾患 

 

●共依存

 

特定の人間関係(夫、妻、子)へ依存する共依存は、愛情の名の下に相手を支配します。共依存者は、相手から依存されないと自分の存在価値を感じることができません。 奥様がご主人への甲斐甲斐しいケアや家計を助けて働いたりすることが、かえって夫のアルコール依存症の問題を長引かせ、ご主人は断酒できずに仕事にもつけない状況を継続させてしまいます。アルコール依存症の奥様と心理面談をすると、このことに気がついていないケースが多く見受けられるのは、その行動の根底にトラウマの問題を持っていることが多々あります。 

 

当相談室のコンテンツ”共依存”はこちらになります。

 

●ミュンヒハウゼン症候群

 

虚偽性障害のひとつのミュンヒハウゼン症候群は、メサイアコンプレックスとは逆に「不幸な自分」を演じます。自分の子どもや配偶者などを自らの手で病気やケガをさせて、自分の問題を世間にアピールして同情を買う行為を求めます。エスカレートすると、わが子を死亡させてしまう事件も過去に多く起きています。子どもの病気、ケガという口実によって周囲の人間関係を巧みに操作します。ミュンヒハウゼンもメサイアも人々の道徳心を揺さぶる点では共通しています。つまり、 

 

「私が人々を同情して救済する」がメサイアコンプレックス 

 

「人々が私を同情して救済してくれる」がミュンヒハウゼン症候群といえるでしょうか。 

 

 ●自己愛性パーソナリティ障害

 

DSM-5に分類されているパーソナリティー障害群のひとつで、自分を特別な存在と感じ、賞賛欲求が過剰です。業績がないにもかかわらず優れていると思い込んでしまいます。共感性は欠如し、露骨に相手を利用します。傲慢さと嫉妬深さがあります。自分の間違いを指摘されると怒りをあらわにします。すばらしい自分という存在はみんなの上に立つべきだという心理を有する点で、メサイアコンプレックスと共通します。メサイアコンプレックスの方は、自己愛性パーソナリティ障害の要素を多かれ少なかれ持っているかも知れません。

  

●アダルトチルドレン

 

機能不全家族の環境で親からの虐待やネグレクトによって、トラウマの問題によってそのままの自分に自尊感情が持てず、他者に尽くすことで自己の存在価値を見つける傾向があります。道徳心が強く過剰なほど人に尽くす「よい子」を演じてしまいます。 

 

当相談室のコンテンツ”アダルトチルドレン”はこちらになります。 

 

 

人助けで人間関係を壊す人たち:トラウマとメサイアコンプレックス 

 

メサイアコンプレックスの方の心理は、不幸な状況を回避する意識傾向があります。不幸な環境下にいた頃の自分は自分ではないとご本人の無意識は言い聞かせています。そして、家庭環境下での虐待や養育放棄などの慢性的なストレスがトラウマを回避しようと、他者へ自分の不幸を投影してしまう結果を招きます。こうして度数の合わないメガネで他者や世界を見ることになってしまいますから、実際とはかけ離れた判断ばかりの毎日でパフォーマンスは無駄足を踏むことになります。家庭環境での親からの慢性的な虐待は、複雑性PTSDを長期間に渡り発症している場合もあります。 

 

当相談室のコンテンツ”複雑性PTSD”はこちらになります。

人助けで人間関係を壊す人たち:メサイアコンプレックスとのつき合い方 

 

メサイアコンプレックスの方は、うっかりすると自分と他人が投影によって融合してしまうかもしれませんい。最初のうちは他者も「私に気づかってくれたり、親切にしてくれる優しい人」というイメージであなたを捉えるかもしれませんが、根底にはトラウマの問題があるため、他者があなたを賞賛しないと、あなたは怒りや嫉妬の感情がフタを開けて、その関係を壊すことになります。こうした関係を何度も何度も繰り返して、最後は「独りぼっちな私」を強烈に感じてゆくかもしれません。ここまで到達しますと、いよいよ心理カウンセリングの役どころとなります。 

 

「私は私、あなたはあなた、私はあなたに期待しません」 

 

ことばを体で感じられれば、意識は変わってゆくはずです。「私は私」を感じられないことが、他者との融合を追いかけ、しがみつこうとさせ、幸福からの見捨てられ不安は煽られます。人に援助やお世話をしそうな時には、「これは自分がしたいこと?それとも○○さんがしたいこと?」という問いかけを、できる範囲で日常生活で意識的に実践してみてください。 

 

わたしの「~したい」にであった時は、たとえそれがみんなに迷惑に思えることでも、一番に優先してみてください。それによって心地よい気持ちになれましたら、ご褒美を自分に与えましょう。ただし、気をつけてください。うっかりしていると「あなた」と「○○さん」は、いとも簡単に入れ替わって、「あなた」は「○○さん」さんを自分の支配下に置いてコントロールしていただけだったという、メサイア状態に戻っていたりしますので。 

 

そして、トラウマの問題を解決することは、本当の自分に出逢うための近道です。それ故に、「独りぼっちの私」を強く感じた時があなたへのチャンスとなります。FAP療法は こうしたトラウマの治療においてその効果を発揮してきました。 

 

当相談室のコンテンツ”FAP療法”はこちら になります。

 

すぐそこで、未だに使用してこなかった本来の能力をあなたはお持ちでいらっしゃいます。 トラウマから少しずつ解放されてください。 

 

●ご興味のある方はこちらからご予約を頂けます。

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